1章-2節 その門出に祝福を①
翌日になって、本日も晴天。四日連続の晴れは吉兆か、凶兆か、俺には判断できない。
山が俺の出立を祝福しているのだろうと、都合よく考えておけばいい。
「しかし――」
昨日のうちに荷造りは完了した。もういつでも出発できるが、生家やそこに眠る思い出をこのままにはしておけない。誰も居なくなった村の大半の家は既に雪で潰れている。この縄張りの主である俺がいなくなれば、昨日の熊だけでなく、他の獣たちも目を付けるだろう。
ならば。
「想像こそが創造する――」
昨晩はこの言葉を思い出しながら、何度も練習した。
魔法は想像するほどに形になると知った。
家の扉に手を掛け、手の平に冷気を集める。
「氷包苑覆」
またしても呪文が口からこぼれた。どんな原理かは不明だ。
魔力が手の平から抜け、かわりに鋭い頭痛が走る。
集まっていた冷気は扉を伝い、壁、そして屋根を覆い、、やがて家全体を氷で包み込んだ。
「上手くいった」
押し寄せる疲労感は魔力が失われたことによるものか。
膝をついて見上げれば氷の結晶に閉じ込められた俺の生家。ここに残る思い出とともに優しく、しかし冷たく輝いている。
この雪と氷に覆われた山中において尚、凍てついた冷気を放っている。これなら獣は近づけないし、氷が融けるまで家が潰れることもないだろう。
自らに託された力とはいえ、これほどとは。
改めて魔法の力に驚いてしまう。
外れジョブの〈氷雪士〉でもこれだけのことができるのだ、他の魔導士が如何に強力な存在か……想像に難くない。少しでもその力に近づくためにも、鍛錬を怠ることはできないな。
――さて。
決意が鈍る前に、出発しよう。
「父さん、母さん、行ってきます。たまに帰ってくるから」
心に描いた写真へ、別れの言葉。
そうして、俺は故郷を旅立った。
当面の目標は、街にたどり着くこと。そして街で冒険者となり、生計を立てることだ。
この山では狩りばかりしてきた俺だ。はみ出し者の受け皿とも言われているらしい冒険者組合に所属するしか道はないと思っている。
では冒険者として生計を立てるに足る、それでいて一番近い街はどこか。
昨晩は古い地図を睨みながら、そんなことをずっと考えていた。
――本当は、ずっと心の片隅で考えていたことだった。
導き出した結論は、あるいは既にあった結論は、城壁に囲われた冒険者の街、レゾン。
レゾンはこのオルデウス王国の中でも比較的新しい都市で、周辺にはダンジョンが豊富に存在する。そのために防壁が街を覆っているのだという。
ダンジョンは危険も多いが、資源の宝庫でもあると聞く。冒険者が稼ぐにはうってつけというわけだ。
この山からそのレゾンまでには、徒歩で数十日かかる長旅が待っている。少々遠いが、生活のことを考えるなら、生きやすい街を選ぶべきだろう。
……逆に言えば、こんな酷い辺境の村だからこそ次々と人が出て行き、遂には俺一人が残ることとなったわけだが。
――雪の積もる道を歩き出す。
強風に吹き散らされ、凍結した雪が朝日を照り返し輝いている。
俺の心も気持ちよく晴れていると言いたいところだが、そうはいかない。
旅の序盤は、雪山の下り。命がけの旅立ちだった。
俺の居た村は、高山の中腹。森林限界の更に先にある。
道と呼ぶにも憚られる悪路が続いている。それはゴツゴツした岩肌の大地に雪が深く降り積もり、そして凍り付いた氷結の山道だ。急峻な地形で、慣れている俺でも眩暈がするほどに高い崖もある。その上、身体が浮くほどの風が突然吹きつけてくるのだ。気を抜いたら死ぬ、そんな命さえも軽くなるような道。
もちろん、全くの無策で出立したわけではない。
前方の急坂にロープが張られている。この辺りには狩りに出ることもあるため、岩肌に杭を打ち、ロープを通してルートを構築してある。靴には鋲を打って滑り止めとしている。
滑落したら最後、運が良くて即死。運が悪ければより苦しんで死ぬ。村を出た結果、惨めな結末を迎えた、なんてことにならないよう、細心の注意を払いながらゆっくり降りていく。
凍り付いたロープが軋みを上げる度に心臓が跳ね上がる。極低温の世界では、全てのものが凍り付く。ロープとて芯まで凍れば折れることもある。
山に心を何度も殴られ、それでもなんとか歩みを進めていく。
――そうして下山を開始して、半日は経っただろうか。
そこで雪に人のものと思われる足跡を見つけた。
「こんなところに、誰が……?」
疑問符が白く煙って吹き流されていく。
こんな辺鄙なところに人間が来るなど、今まで無かったことだ。
得るものは少なく、人がギリギリのレベルで生活できる程度の不毛の地だというのに。
どうやら登って来ていたようだが、俺が降りてきた道に使われた形跡はなかった。
「……それも当然か」
視線は足跡を追った。
麓から続いているであろう靴底の跡は途切れ、代わりにあるのは滑落の跡。斜面は風が唸る谷の底へと続いている。凍った雪に足を取られたのか、体力の限界か。いずれにせよ、生存は絶望的だ。
足跡からして滑落からさほど時間は経っていないようだが、俺一人の力では谷底の捜索はできない。無事に降りることすらままならないだろう。
「せめて、遺品の一つでも転がっていれば――」
滑落の跡に目を凝らしてみると、【魔眼】スキルが起動し、望遠の視界を獲得。そのまま痕跡を追っていくと、雪の被った岩に鞄が引っかかっていることに気付いた。通常の視界なら豆粒ほどにしか見えないが、今ならはっきりと見える。まさか、本当に残っているとは。
「見つけてしまったものは仕方ない、回収してやるか……」
俺が生まれ育ったこの山で人が死んでしまったのは忍びない。誰とも知れぬが、遺品があれば弔いもできるだろう。
「しかし、ここを降りるのは命掛けだぞ……」
谷底からは強い風が音を立てて吹きつけ、斜面は太陽光を眩く照らし返すほどに凍り付いていた。一度滑り出せば、止まれぬまま俺も崖下の他人と同じ運命を辿るだろう。
魔法で氷の棒を作り、鞄を引っ掛けられないだろうか。試しに作ってみるが、長くなるにつれ細く脆くなっていく。長さはともかく、荷物を持ち上げる強度はない。これではダメだ。
ならば、と考えを改める。
自分が降りるための足掛かり・手掛かりを用意すれば良いのだ。
足元の雪と氷に手で触れる。瞬間、魔力を通せば思うように形を変えることができるという確かな感覚が伝わった。
さすがは〈氷雪士〉。最弱と言えども魔導士系ジョブである。
雪や氷を操作し、斜面に巨大な氷柱をいくつも作成していく。これで例え滑落しても、氷柱が谷底への落下を阻むだろう。試しに蹴ってみたがこちらの足が痛くなるばかりだった。後は手持ちの道具でなんとでもなる。
結果、最初に考えたよりは簡単に荷物を拾い上げて戻ってくることができた。ツルツルと滑る斜面だったが、作り上げた氷柱を上手く使えた。
「さて、中身は――」
身元を特定できるものはあるだろうか。
都合よく名前などが書いていれば良かったが、そんなものは無かった。
出てきたものは僅かな生活必需品と、家紋の刻まれたいくつかの小箱。おそらく他の荷は持ち主と運命を共にしたのだろう。
商家か騎士か学者か、はたまた貴族か。家紋があるということは平民ではあり得まい。こんな所にやってくるのだから学者あたりだろうか。これまで村人以外が山を登ってくるのを見たことはないが――。
小箱の殆どには鍵がかけられ、中身は不明。俺は盗賊ではないのだから、鍵を破壊して開けるなどということは出来なかった。
唯一、鍵の掛けられていなかった箱には〈写影師〉によるものと思われる写真が一枚。家族写真だった。
豊かな髭にパイプを咥えた紳士と、美しい妙齢の女性。そして、正装をした幼い姉妹がはにかんだ笑みを浮かべている。
「これを頼りにする他ないか」
レゾンまでの道中にも小規模な町や村がある。山の麓にもヤク村という小さな村があった。こんなところにまでやって来た者なら、ほぼ間違いなく立ち寄っている。聞き込みをすれば情報が手に入るだろう。
無理に遺族を探し出す必要など無かったが、ともすれば村に帰りたいという気持ちを払う為にも、必要なことだった。村の外に目的があれば、あの寒村に戻りたいという想いも少しは落ち着くだろう。
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