1章-1節 神より最弱を託される③
独りになって、綱渡りだった日々が走馬灯のように巡る。生きるのに精いっぱいの日々。獲物が取れずに腹を空かせてばかりの辛い日常。
死と隣り合わせの中で、ここまで生きてきた。
もう、終わらせても良いだろうか。こんな、辛いこと。
「――まだだッ!」
走馬灯の幻影を振り切る。ここで終わらせるわけにはいかない。
眼前には死の具現。熊が大口を開け迫っている。
「こん、のっ!」
迫る顎に護身刀を突き上げる。下顎と上顎を縫い付ける一撃に熊が怯み、急制動。体当たりによる圧死を回避。
両手に握った護身刀を更に押し込んで脳を狙うが、強靭な首の力だけで護身刀ごと吹き飛ばされた。
床を転がりながら、痛みに立ち上がる巨熊を確認。肉を貫き、舌を切り裂いたが、怒る獣は止まらない。
口元から血の泡を飛ばしながら、転がる俺に即座に追いすがり、圧し掛からんと両腕を高く上げる。
回転する視界が止まったとき、熊の影が俺に落ちた。俺の力で押し返せるような重量ではない。
数瞬の後、俺は潰れた死体となるだろう。それが分かっていて、それでも諦めたくなかった。
そうして思い至る。
――俺が手に入れたのは【魔眼】だけではない。
〈氷雪士〉。
最弱と称される力。
どうせ最後の悪あがき。使えるものは何でも使え。
「氷凍――」
俺のイメージに沿って自然と呪文が口を吐く。
今までに知覚したことのない流れが身体の中に生まれている。
これが魔力。
力が右掌に集まってくる。だが魔法の発動方法など知らない。
だから、俺はただ口を吐く言葉を、声を、振り絞るだけだ。
「――地槍!!」
瞬間、右掌から魔力が床に伝播。覆いかぶさる巨体に向け、逆向きの氷柱が立ち上る。
その氷柱は槍のごとき切っ先を熊へ突き立て、更に押し上げる。
通常の氷ではありえない強度。鋭さ。これが、魔法か。
氷槍は熊の心臓を貫き、背中を抜け出す。直後に降り出す血の大雨。
滴る赤い雨に手を翳しながら、上を見上げる。
宙に掲げられた熊、その目には既に光が無い。即死したらしい。
周囲に広がった凍てつく魔力が、降り注ぐ熱い血を即座に凍らせていく。
荒い息遣いが聞こえていた。
――俺の呼吸だ。
ようやく、命の危機を脱した実感が湧いてくる。
「これが、魔法……」
呟く同時に鋭い頭痛。魔法行使の代償だろうか。
最弱と評される氷雪士の魔法でも、これだけのことができる。
戦闘を得意とするジョブならば、どれほどのことができたのか。
考えそうになる頭を振り払う。
既に決まったこと。
神託にやり直しはない。
「よし……」
――俺は、決めた。
◇
「ただいま、父さん、母さん。……俺、今日で十五になった。ジョブもスキルも貰った。結果は……まぁ、イマイチだったよ。――だから、明日、この村を出ることにする」
色褪せた写真の中の二人に、今日のことと決意を報告した。写真には、〈写影師〉によって映し出された在りし日の両親と幼い俺の姿がある。全員が笑顔。幸せなひと時の切り抜き。
写真の中の俺は、二人によく似た白い髪を受け継いでいた。瞳は母さんの深い青、鼻筋は精悍な父さんから貰ったと思っている。
そういえば、自分の姿なんてもう何年も見ていない。家にあった鏡は寒さで全て割れてしまったから随分前に捨てたのだ。
今まではここに住んでいたから良かった。村人が一人もいないのだから、自分の外見などどうでもよくなる。だが街に出るなら、少しは身綺麗にしなければならないだろう。きっと今は熊の血を浴びて酷い有様だろうが。
……神託が思わしくなかった今、この過酷な環境で一人生活していくことはできない。村の周囲に生息する《獣》はそれほどに強い。強すぎる。
これまでは俺の意地と、かつての村人たちが残してくれた物資を活用することで何とかしがみついていたが、それも限界だ。五年の歳月で残された物資は底を尽き、俺の意地も曲がり始めた。この村を出なければならないときが来たのだ。
可能性は前々から考えていたのだが、現実になってしまうと心が沈む。仕方なく、別のことを考えるようにする。
「〈氷雪士〉……さっきは咄嗟のことだったが……」
呟き、手の平に力を込める。先ほどと同じ、力の流れ。これが魔力。
魔導の力、つまり魔法については以前、爺さんからその扱い方を聞いたことがあった。
曰く、『想像こそが創造する』だ。当時は、そうぞうそうぞう、などと言われても意味がわからなかったが、今なら分かる。魔導士にとって自身の想像力こそが飯の種になるのだ。
――手の平には冷気が集まっていた。今までにはなかった確かな力が存在している。そのまま真円の氷板を思い浮かべると、薄い、だが確かな実体を持った手の平サイズの氷板が出来上がっていた。
「でき、た……!」
少なからず興奮する。先ほど熊を仕留めた氷の槍も、この氷板も俺が生み出したものに違いない。
これが、新たに備わった俺の力。
氷板を鏡のように使うと、僅かに上気した顔の男の顔があった。頬には血の斑点がいくつも付いている。
男の名前はネーヴェ・サタールンタ。
即ち、俺だった。
耳まで覆う帽子と極低温から目を守る防護眼鏡を取り払う。何日も洗っていないボサボサの髪は《狼》の毛皮よりも固く、酷い有様だ。だが、伸び放題の前髪から覗く青い瞳は変わっていなかった。【魔眼】スキルは目に外見的な変化を与えないらしい。母からの最初の贈り物だ。これには少し安心した。
あと、気になるといえば……ここ最近の時期外れ晴天のせいだろうか。肌が雪焼けで赤黒く染まっていた。秋には大雪が降り続き、強風が打ち付けるこの山で、無風の晴天が三日も続くのも珍しい。というか、経験がない。旅に出る明日も晴れていることを願うばかりだ。
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