1章-10節 魔族の女 ネアルクロミシア②
「…………美味しいわね、このお弁当。ネーヴの手作り?」
「宿の主人に用意してもらった。別に取りはしないからゆっくり食え」
野犬を使役し集落を襲っていた男は縛り上げて転がしてある。まだ気絶したままだが、後ほど冒険者組合に連行するつもりだ。
今は喉を詰まらせるんじゃないかというほどの勢いでグレイブ謹製の弁当を掻き込む女を見ている。
「おまえ、名前は?」
「ネアルクロミシアよ。長い名前だから勝手に略していいわ、わたしもそうする」
「じゃあ…………シア、でいいか?」
特別何も考えずにあだ名を提案すると、ネアルクロミシア――シアは気に入ったようで破顔した。
俺にはさっさとあだ名を付けたくせに、自分が付けられるのは初めてなのだという。なかなかのセンスだとお褒めに預かった。光栄なことで。
シアは俺が見たことのない服を着ていた。全体的な印象としては黒。袖のない服に、白い、何か動物の毛皮をふわりと肩に羽織っている。靴は裾に隠れて見えないが、脛から膝下までを覆う長靴らしい。この国――オルデウス王国の平均的な平民の服装ではない。異国から来たのだろうか。
ま、故郷の服装のままの俺が言えたことではないか。
「ふぅ……ご馳走様。助かったわ」
「それで、魔族がこんなところに何の用だ?」
辺りは相変わらずの林の中。シアが放った魔法の余波で、朽ちた小屋は崩れかけた小屋に変わっている。
「あら、魔族を知っているのね。若そうなのに意外ね」
「実家に本があってたまたまな。まあ世間に言うところの魔族とは違うが……知ってる者がいないわけでもないだろう」
「いえいえ、これがそうでもなくてね。実は魔族の正確な特徴を知ってる人って、正直もういないと思うわ。もうホントに余計なパーツが足され過ぎて原型がないもの」
――歴史書と宗教書、二つの書が語る魔族は、必ずしも同一の存在ではない、というのは実は一般に知られていない知識だ。
古代の歴史書は『魔族』という『種』を紹介している。彼らの特徴は一つ。頭部から刃状の黒い角を生やしているという点だけだ。古代においては同一の特徴を持つ種はこの星に見つかっていないという。
一方で宗教書、特に最大勢力のハオライル教においては、魔族を人間の弱い心に巣食う空想上の存在として扱ったうえで、翼や湾曲した角、蛇のような尾を備えるなど、『種』というよりも『性質』を紹介していた。
現代における『魔族』とは、一般的に後者の宗教観における『性質としての魔族』であり、中世以降の著作には黒い角を持つ魔族のことは全く言及されていない。どころか、魔族は空想上の存在だとさえ思われており、現代ならばむしろその認識の方が正しいようだ。
ではなぜ俺が知っているのかというと、個人的に歴史書に記された『種としての魔族』の行く末に興味があり、それに関連する本を家で読み漁ったからだ。
シアが魔族を知る者はいないと言うなら、俺が山に引きこもっている間に歴史が動いたということもないのだろう。
「昔はヒト族と敵対していたせいか、もう宗教上の敵対者に押し上げられているわけ。今じゃヒト族の敵、という部分が誇張されてしまって敵ならば魔族、と逆転するような有様よ」
蒼玉の瞳を伏せ、呆れたように嘆息する。
「評判が先行して本質を見てもらえないのは、難しいことだな」
「それだけ遺恨が深いということでしょうけどね。ネーヴはあの宗教に入信してないのね。魔族っていう存在に対する恨み辛み妬みを感じないもの」
妬みがある奴がいるのか。……まぁいい。
「見ての通り、辺境出身なものでな。そもそも村の外との関わりが少ないから、特別何かを信仰しているということはないな。小さな教会はあったが、あれは教義のためというより、大いなる存在を祀って神託を得るための社だったし」
両手を広げてみせる。確かに珍しい恰好ね、とシア。お互い様だろう。
「ともあれ、偏見がなくて助かるわ。――わたしはね、ネーヴ、里での生活に限界を感じて飛び出してきたのよ。だから『なんで魔族が?』と言われて、あなたが納得できるような回答を示せるほどの大した理由はないわね。ただこんな林にいるのは、旅をしてきた身で、お金も拠点も無かったからよ」
……故郷を出たのは、俺と同じか。
「俺も、村で一人になってな。後は神託だけが頼りだったんだが、引いたのは〈これ〉だ」
指先から氷柱が伸びる。
「ああ、いつかどこかで聞いたことはあるわ。〈最弱〉って。確かに氷雪系って、使い勝手が悪いのよね。威力はそれなりだけど、燃費が悪くて潰しが利かないというか――なんて言ったかしら」
「移動式製氷機だろう。昨晩、まさに活躍の場があった」
支部長――フランベルクとのやり取りを話すとシアは腹を抱えて笑った。
「何それ、いくら世間で言われてても悪口よ。普通実践なんてしないわ」
「正しい使い所だと思ったのだが……」
「そうだけど……そうだけど……!」
何やら笑いのツボにハマったらしく、シアはひとしきり笑い転げ、しばらくしてようやく落ち着いたようだった。
「――で、このバカはどうするつもり?」
いまだ意識が戻らない〈従魔士〉を蹴飛ばしながら。行儀が悪いというか無体というか。ま、丁寧に扱ってやる義理はないが。
「野犬事件の首謀者として組合に突き出す」
「そう。だったら、わたしも付いていっていいかしら? ここじゃ食べ物もないし、お金もないし。市街地まで出たいのよ」
「分かった。じゃあ、そろそろ行くか」
さすがに大の男を抱えていくことはできないから、歩いてもらうしかない。まずは起こさないと。
「ネーヴが凍らせたこいつを、わたしが電磁加速させて運搬しましょうか?」
「やめてくれ、木にぶつかったら粉々になるだろ」
笑顔で怖いことを言う。凍りついた無数の肉片を首謀者として組合に突き出したらリースやあの支部長に怒られそうだ。
「冗談よ。――さて、狸寝入りはやめなさい。さもないと、黒焦げにするわよ」
シアの両手の間に紫電が爆ぜる。落雷に匹敵する力が込められているのだろう。静かな林の中に、空気の引きちぎれる凄まじい雷撃音が鳴り響く。
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