1章-8節 フランベルク
酒場でグレイブと話し込んでいると夜もだいぶ更けてきた。小さいながらも人気店なのか、入れ替わり立ち替わりで次々に客がやってくる。
多いのが一仕事終えたであろう冒険者達だ。さすがに鎧までは着ていないが、剣や杖など、最低限の武装をした者たちが多く訪れていた。
そんな客の波も引き、残るはカウンターにずっと陣取っていた俺と、もう一人。うねる炎髪が特徴的な髭面の男が、黙々と杯を傾けていた。
「マスター」
空になった杯を掲げて見せるが、グレイブは肩を竦める。
「氷を切らした、今夜はもう終わりだ」
「そうつれないことを言うなよ、なぁあんちゃん」
「……俺?」
水を向けられ、新聞に向けていた視線を上げる。雷光のように峻烈な双眸が俺を見ていた。『南門付近で行方不明者多発』との記事は気になったが後で読み返すとしよう。
炎髪の男はニッと、男臭い笑みを浮かべる。厳つい印象も少しだけ和らいだが、服の上からでも分かる筋骨隆々な体躯も合わさってか、やはり相当な強面に見えた。
「こんな店で新聞を熟読するなんざ、あんちゃんも帰りたくないってクチだろう?」
「こんな店だが、俺の常宿として今日から世話になっているんだ。つまり、俺の家も同然だ」
帰ると独りなのか、あるいは嫁さんがうるさいのか――事情は知らないが、帰りたくないらしい。
こんな店を連呼されてグレイブが諦めのようなため息をついていたので、後で謝っておこう。
男は得心がいったとばかりに膝を打ち、じゃあと、グレイブに杯を突き出し最後の一杯を要求した。話が全く繋がっていないが、理由なんてなんでもいいのだろう。もしかしたら店中の酒を飲み干さなければ帰らないかもしれない。
……しかし考えてみると、この男が居続ける限り、グレイブは店を閉めれず休めない。つまり、明日の朝食に支障をきたす可能性がある。
それは、良くない。
グレイブには俺の食事のために万全の体調で最善を尽くしてもらわなければならない。
「――氷があれば、その一杯で帰るか?」
「なんだあんちゃん、用意できるのか?」
店はどこも閉まってるぞ、などと知った風に言う。酒飲みの癖にどこか冷静だ。
「どうなんだ?」
「いいぜ。もう少し居座るつもりだったが、にいちゃんの氷を待つ間にする」
グレイブはため息を吐くが止めない。最悪、自分が追い出せばいいとでも思っていそうだ。だが、言質を取った今、その心配は無用だ。
グレイブがグラスに酒を注いだ。琥珀色の液体が小さな杯の底を薄く覆う。
同時に中指の先端にひんやりとした力を集める。中指を弾くと、男が今まさに手をかけていたグラスに氷が落ちた。口の広い杯に、球状の氷がすっぽりとはまり、酒を押し上げた。
「うぉぉ!? どんな手品だ!?」
「俺の魔法だ。移動式製氷機の二つ名は伊達じゃない」
移動式製氷機――〈氷雪士〉の蔑称ではあるが、今まさにこれほど相応しい称号もないだろう。
「〈氷雪士〉!? また珍しいのが……」
「さあ、今夜はそれで仕舞いだ。大人しく帰れ」
俺の朝飯のために。――などとは言わないが。
「いいだろう、漢に二言はねぇ!」
剛毅に言い放つと、男は冷え切った酒を一気に煽った。カーッと唸ると、男の口から蒸気となった酒精が溢れ出す。……どれだけ強い酒なんだ。
「おい、あんちゃん、名前は?」
「ネーヴェ・サタールンタ。趣味は読書だ」
今日一日で四人目の名乗り。都会は人が多いことだ。
――とりあえず、また霊峰の民だの何だのと始まってしまっては面倒なので、適当な一言を付け足しておいた。それ以上を伝える気がない、というポーズにもなる。
「ネーヴェ。俺はフランベルク・ルージュ。趣味は……飲み比べだ」
酒同士を比べて楽しむのか、他人と酒の強さを比べるのか――ニヤリと笑うフランベルクの様子からして後者だろう。見たところ酒豪のようだし、付き合わされた方はたまったものではない。飲めない俺には関係のないことだが。
「ではな、また明日会おう、ネーヴェよ。いい夜を。マスター、お代はこれで」
「フランベルク、あんたいつも払い過ぎて逆ツケばかり貯めているんだ、たまにはそこから出してもいいんじゃないか?」
「あれはもうマスターに払った金だ。逆ツケなんかじゃねぇ。それにタダで飲む酒なんざ旨くねえ。だから受け取れ」
金色の硬貨が一枚、グレイブの手に押し付けられた。そこには、受け取らないことを許さないという気迫さえ感じる。
睨み合っていた二人だが、先にグレイブが肩を竦めた。押しつけられた金貨を握り込み、懐へ収める。
「毎度。まっすぐ帰りなよ」
「こいつが切れたらな」
懐から酒瓶を出し、フランベルクは笑いながら去って行った。だがどうせ、明日も来るつもりなのだろう。
「はぁ。しかしネーヴェさんも、大物に目をつけられたな」
「確かに奴は巨漢だったな」
「いいや……あれは、この冒険者組合レゾン支部の長だよ。つまり、あんたがこれから付き合っていかなければならない手合いということだ」
「なんだと……? ただの大酒飲みかと思っていた……」
だから「また明日」などと言ったのか。――ということは俺を冒険者と知っていた可能性も高い。
「まぁあの通り曲者ではあるが、悪人では決してない。そして一線を退いてはいるが、相当な実力者でもある。懇意にして損はないな」
「だが俺は酒が飲めん」
そう言うと、グレイブはただ苦笑するのだった。
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