1章-6節 城壁都市レゾン
レゾンの街は平原のど真ん中に突然現れる、壁に囲われた街だ。四方に門が配置され、俺は街道が通じている西門から入ることとなった。
街を囲う高い壁は、どうやら野生動物や手配中の犯罪者、そしてなにより魔物の侵入を防止する役割があるらしい。歩いてきたから分かるが、この街の周囲にはダンジョンの入り口を示す看板があちらこちらにあった。城壁の本来の役割は、ダンジョンから魔物が溢れ出た際の防波堤らしい。
だからか、入門の確認はそれほど厳しくない。
レゾンは大都市だ。入門検査などで物流を滞らせるわけにはいかないのだろう。
俺の順番が回ってくると、鎧姿の警備兵が目を向ける。上から下まで身なりを確認し、別に珍しいものもなかったのだろう、とりわけ表情も変えずに口を開く。
「旅人か?」
「ああ。冒険者となって名を上げるために田舎から出てきた」
そうか、と軽く返事をしながら壁際の手配書を一瞥する。
「面倒は起こすなよ。次っ!」
――と、入門者の確認などこの通りだ。
一人ひとりを精査している暇もないのだろう。門には多くの人が出入りを待っている。
「ようやく、ここまで来たか……」
巨大な門扉をくぐって、思わず一人で呟いていた。
話には聞いていたが、レゾンは俺の故郷はもとより、今まで通ってきたどの村や町よりも大きい。
通りは石畳で綺麗に舗装され、馬車や人が忙しそうに行き交っている。道々には商店や工房が立ち並び、人々の活気は溢れんばかりだ。
道行く人の人種も様々で、このオルデウス国でも有数の大都市というのも納得できる。
「冒険者組合……と、いきたいところだが、まずは宿だな……」
日はまだ高いが、こんな身なりじゃ、さすがにな……。
あいも変わらず、ぼさぼさの頭。村から持ち出した外套は泥や煤、血で汚れている。マリアーヌたちと別れてからまた何日も風呂に入ってもいないことを考えると、鼻を背けられるのも目に見えている。
汚いことが冒険者にとって有利に働くことがあるのならこのままでいるが、普通の人間の感性ではまず有り得ない。最初に受けた悪い印象というのは後々まで影響する、というのはいつ読んだ本に書いてあっただろうか。
目抜き通りを中心街まで歩き、安宿を探して今度は路地に入った。洗練された通りに比べると、途端に雑多な印象を受ける。
どこか湿っぽい空気が満ちた路地裏の道で、黒猫が酒樽の上で欠伸をしていた。晩秋の昼下がり、午睡にはちょうど良い気候だろう。
見ていると、猫と目が合った。吸い込まれるような蒼い瞳。威嚇するでもなく、逃げるわけでもなく、じっとこちらを見ている。
「腹が減ってるのか?」
――背嚢に乾燥肉があったので、ナイフで削いで一切れ投げ渡す。猫は赤茶の乾燥肉に飛び付くと、あっという間に平らげてしまった。
おやつに満足したのか礼なのか、一声鳴くと、路地の奥へゆっくりと歩き出す。時折こちらを振り返りながら、まるでついてこいと言っているかのようだ。
急ぐ訳でもない。なんとなく足を向けてみると、路地の先の奥まったところに酒場を兼ねた宿を見つけた。看板には黒猫の意匠。どうやらこの宿の飼い猫のようだ。
狭い路地の奥で、不思議とここだけは柔らかな陽光を浴びている。
大きな窓からは営業前の酒場が見えた。
「――これも何かの縁か」
自宅の酒樽の上で顔を洗い始めた猫をひと撫でしてから、宿の扉を開けた。
酒場のカウンターには誰もいない。椅子がテーブルに上げられているところを見るに、夜にしか営業しないのだろう。鍵は開いていたが、店主も留守だろうか。
見回していると、黒猫が俺に続いて宿に入ってきた。勝手知ったる様子でカウンター脇の階段を上って行く。首輪に付いた小さな鈴が可愛らしい音を立てた。
「おや、お客さん?」
猫とすれ違うように階段から現れたのは、灰色がかった髪を撫で付けた初老の男性。仕立ての良いシャツを着て、ピンと背筋の伸びた、上品な雰囲気の男だ。白い手袋までして、まるで物語に出てくる執事のような印象を受ける。
「ああ。宿を取りたい」
「見たところ、冒険者のようだな。長期滞在なら三食付きでも安くするよ」
元よりレゾンでの生活の拠点にするつもりだったのだ。これ幸いにと、店主の提案に乗ることにした。
前金として一週間分の料金を支払い、二階の一室に通される。
「いい部屋だな」
ベッドと棚があるくらいの簡素な作りだが清潔で手が行き届いていた。窓からは近隣の住民だろうか、井戸端会議が盛り上がりを見せていた。大都市も、一つ道を逸れれば生活がある。
「気に入ってもらえたなら良かったよ」
柔和な笑みを返す男は、ふと気づいたように手を打つ。
「お客さん、あんたの名前は? あぁ――私はグレイブ。しがない宿屋の店主だ」
言ってから先に名乗るべきだと思ったのだろう。店主――グレイブは恥じるように少し笑った。そんなことを俺はいちいち気にしたりはしないが、しかし好感の持てる態度だった。
「俺はネーヴェ・サタールンタ。山育ちのただの田舎者だ」
山? と、疑問符を上げる。都会に店を構えていても、山育ちは珍しいのだろう。確かに遠くまで来た実感はある。
「それはそうと、どこかに浴場はないか? この身なりじゃ、どこへ行っても鼻つまみ者だ」
「確かに、これからレゾンの表通りを練り歩くには些か薄汚れている。ま、冒険者らしいとも言えるがね。――浴場は窓から見える広場の先だよ」
一言礼を言い、更には洗濯までしてくれるというグレイブに甘えて、俺は浴場に向かった。
故郷の村では公衆浴場といえば、湧き出た温泉を溜め込み最低限使えるようにしただけのものだったし、これまでの町村でもそう変わりあるものじゃなかった。
なので、文化の違いに驚いた。なにせ、もうもうと湯気が立ち込める広い浴場内で〈按摩師〉や〈散髪師〉といった職人系ジョブの人々が商売しているのだから。
「さて……」
脂と返り血で固まった髪を念入りに梳かしながら、これからのことを考える。
拠点の確保はできた。格安宿とまではいかないが、現在の所持金でも半年はもつだろう。逆に言えば、半年以内に生活の基盤を築けなければ、俺は冒険者の街では生きていけないということになる。いずれ村に戻り、たった独り、いつ死ぬとも知れない生活を再開しなければならない。
……そうはならないように、ここまで来たのだ。
まずは冒険者組合に行き、冒険者として登録する。そして日銭を稼ぎながら、自分にとっての最適な生活を見つける。冒険者になるのは手段だ。目的ではない。この初心は、忘れてはならない。
ヤク村のブリッツに聞いたところによると、冒険者組合は基本的には誰でも分け隔てなく、受け入れてくれるという。
ただし過去に一度だけ、家出した王族の姫が冒険者登録しようとして断られたことがあるとか。そんな身分ではないので、問題ないだろう。
宿に戻ったら、グレイブに冒険者組合の場所を聞いて、早速向かうとしよう。
「あちッ! なんだこれ、煮えてるじゃないか!」
湯をかぶって汚れを流していると、浴場全体に届くような声が響いた。見れば、広い浴槽から蒸気が噴き上がり、全身を真っ赤に染めた男が数人介抱されていた。
「魔導具まで持ち出して、風呂で我慢比べしてよ、はた迷惑な連中だぜ」
「挙句に全員倒れてちゃ、呆れるってもんだ」
「俺なら明日から恥ずかしくて来れないね」
グツグツと煮えたぎる浴槽。人間を茹で上げてどうしようというのか。
よく見れば浴槽の中に光を放つ石が一つ沈んでいる。あれが魔導の産物か。
「効果が切れるまで待つしかないかね」
「足伸ばして入れるのはここくらいなものなんだけどな」
ぶつぶつと、男たちは口々に文句を唱えている。
……ふむ。恐らく長く世話になる浴場だ。最初に恩を売ってもいいだろう。
「あの石をどうにかしたらいいのか?」
「お、にぃちゃん、いけるのか?」
恰幅の良い男が応じる。最初に声を上げていた男だ。
「〈氷雪士〉で、それも新米だから、期待に応えれるかはわからんが、壊してもいいならやるぞ」
「おー最弱の……いやすまない、珍しいジョブだな。かまわん構わん! いっちょやっちまってくれよ」
では、と。浴槽の縁に手をついた。
「氷刻厖掌」
伸び上がる氷の腕。魔力によって作り出された極低温の氷が石を拾い上げ、お湯で溶け出す前に圧縮、粉砕する。魔力の供給を切ると、沸騰した湯に晒された氷はすぐに溶けてなくなった。どうやら、ある程度浴槽から熱を奪えたようだ。
「こんなものだろう。ではな」
「ほぅ。鮮やかなもんだな! ありがとよ、にぃちゃん!」
男はその後「痺れるが耐えれない程じゃない……!」なんて言いながら浸かっていたようだ。結局、誰もが熱い風呂に入りたがっているようだった。この風呂の連中はどこかおかしいのかもしれない。
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