1章-5節 呉服商マリアーヌ①
突如声を掛けられて、一気に緊張する。声は馬車の中から届いた。まさか、馬車の中にまだ盗賊が隠れていた?
魔力を展開しようとして、停止。
盗賊なら声を掛けるはずがない。そして、目の前の衣類の山がもぞもぞと動き出したからだ。
「堂々と婦女子のパンツを覗こうとするのはいかがなものかと思いますわ……」
降り積もった服の山を払い落とした女が、赤らめた顔に非難がましい目でこちらを見ていた。彼女の服の裾は、どうやら今俺が握っている布だったようだ。
「……いや、すまない。人がいるとは思っていなかった」
「そりゃあ、別の盗賊だと思いましたもの。必死で気配も消しますわ」
「見事だった。全然分からなかった」
「褒められるのも、なんだか納得いきませんけど」
意外な積荷があったものだ。
豪奢に青髪を結い上げた若い女は、呉服商を営むマリアーヌと名乗った。俺も名乗り返しておく。
彼女はどうやら御者の主人でもあるらしい。主人を乗せていたからこそ、御者も死にものぐるいで逃げたのだろう。その結果起きてしまった事故を、マリアーヌは咎めていなかった。
「見事といえば、盗賊退治、感謝いたしますわ。お強いのですね」
「相手が油断していただけだ。いくら強者でも、気が抜けていれば付け入る隙がある」
相手がもっと注意深ければ苦戦しただろう。それに全員がジョブとスキルを全力で使用していたら結果は分からなかった。所詮、俺は〈最弱〉でしかない。
「ご謙遜を。数を頼みにする者どもを打ち破ってみせた。その結果が、貴方様の実力ですわ」
「実は俺も仲間で、今はこうしてあんたへの懐柔策に出ているのかもしれないがな」
「……怖いことを仰いますのね。ネーヴェ様はお人が悪い。――ですが、わたくしとて商人の端くれ。人を見る目は養って来たつもりです」
俺の言った可能性は考慮していなかったのだろう。マリアーヌは息を飲み込んだ。しかし、その顔には怯えはない。返してきたのは挑戦的な眼差しだ。……有能な商人なのだろう。
「それに、彼等は元護衛ですの。どうやら商品に目が眩んでしまったようでして」
「人を見る目はどうしたんだよ……」
マリアーヌは悪戯に笑うだけだ。前言撤回。有能かどうかはさておいて、肝が太い女だった。あんなに悪人面を晒した連中をよく雇ったものだ。
「あら、貴方様も似たようなものですわ」
さっと差し出された手鏡に、何日も洗わず固まった髪と、煤けたように汚れた顔が映る。……俺だった。
「若干お顔がお若いだけで、見てくれは野盗のそれですわよ」
「……ごもっとも。返す言葉もない」
「ネーヴェ様は旅人ですか? 目的地は?」
「レゾンを目指している。あんたは?」
「わたくしは地元のフロイデまで。よろしければ途中まで護衛としてご一緒なさりませんか?」
「構わないが……」
頭に地図を描く。
フロイデはレゾンの西に位置する大都市だ。たしか、港湾都市で商業が発展しているという。
このまま太い街道を進むのであれば、確かに途中までは同道できる。
「勿論、タダとは言いませんわよ。路銀は持ちますし、危険があれば手当てとして上乗せします」
「それは助かる。金はあっても困らない」
「決まりですわね。では、そろそろバルトを起こしましょう」
バルトとは、今も横になっている中年の御者のことか。先ほどから、中々目を覚まさない。
マリアーヌは御者の頭にそっと手を添えた。何が起こるのか見ていると、その手に魔力の流れを感じる。
「癒青活薬」
囁くような詠唱。
温かな光がマリアーヌの手を伝ってバルトに届き、その全身を包み込む。光は身体のそこかしこにあった擦り傷を治し、やがてバルトの意識をも闇から引き上げた。
回復の魔法、か……。
おそらく折れた左腕も完治しているのだろう。
「お、お嬢様……これは……? あやつらは……?」
「元護衛の盗賊はこちらのネーヴェ様が退治してくださいましたわ。頭領は捕らえたので、近くの村の衛兵にでも突き出しましょう」
起き抜けで混乱しているバルトに、マリアーヌは状況を事細かに説明した。俺に対し、最初は怪しい者として向けられていた視線が、主人と自身の命の恩人であると伝えられると感謝の念が瀑布の如く溢れ出る。
こちらが照れ臭くなるほどの感謝を伝えられてしまうと、逆に冷静になるのが人というものだ。主人といい、従者といい、絆されやすい気がする。別のところで騙されなければ良いが。
「では、積荷は持てるだけ持って帰りましょう。それからバルト。魔法では体力や精神までは回復しませんわ。あまり無理しないように」
「はっ、承知しました、お嬢様」
俺としても、動けない人間が増えるのは負担が増すので元怪我人が無理しないことには賛成だ。
そんなわけで護衛の俺も運搬に協力し、盗賊達が乗っていた馬二頭に載せられるだけの荷物を載せた。
最も邪魔になったのは盗賊のリーダーだ。縛り付けた上に売り物にならなくなった衣類で簀巻きにしてさらには猿轡も噛ませているが、流石に犯罪者の頭領を置き去りには出来ない。仕方なく荷物として馬に積載することにしたが、そのせいで馬にはマリアーヌしか乗れないことになった。早めに降ろしたいものだ。
「残った荷物はどうする?」
「近くの支部に回収を命じますが、望みは薄いですわね。まぁ流行調査の買い付けでしたので、必要経費と思って諦めますわ」
俺なら長期間冷凍できるだろうが、こんなところに服を収めた巨大な氷があったら不自然すぎる。別働隊での回収に賭けるしかない。
結局、荷造りが終わったのは夕暮れ時。その間、盗賊のリーダーは一度も目を覚まさなかった。
出発は明日の朝とし、今日は野宿となった。
「ネーヴェ様はレゾンで何かご予定が?」
日が暮れてから焚火を囲む。冷凍保存していた獣肉を焼いて振舞っていると、マリアーヌが身体を寄せてくる。旅をしていた割には身綺麗なのは、商人だからか、それとも俺が汚れすぎなだけか。
「……いや。実は故郷を出て、冒険者として一旗あげようと思ってな」
「左様でしたか。それでしたら、フロイデまでいらっしゃいませんか? レゾンほどではないですが、フロイデにも冒険者組合の支部はありますし、周辺にはいくつかダンジョンもありますわよ」
フロイデまで護衛してほしいということか。この短時間で随分と買われたものだ。
「すまないが、それは出来ない。やはり、冒険者の街で生きていくと決めたからな」
「あら、即答ですのね。残念ですわ、フロイデならわたくしがお世話して差し上げますのに」
「商人には貸しを作っておくくらいでちょうどいい」
「ふふっ。お若いのに賢いですわね」
どこまで本気だったのか、深い緑の瞳を細め笑みを浮かべるマリアーヌ。育ちが良いのは見て取れるが、何者なのかはまだ分からないし、判断もつかない。
この日はさっさと就寝し、翌朝夜明けから動き出すこととした。
朝日が射す頃になってようやく盗賊のリーダーが起きたが、自身の状況にひとしきり騒ぎ立て、そして絶望し、今は馬の背に荷物として乗せられている。
「――村が見えたな」
昼も過ぎた頃、ようやく一番近い村に着いた。
バルトの歩みに合わせていたため、かなり時間を掛けたが、日が暮れなくて良かった。
盗賊の頭領は問答無用で村の衛兵に引き渡した。どうやらこの辺りで悪事を働く有名人だったようだ。ヤツに明るい未来が待っていることを祈ろう。
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