第八話
それは、絹代によって仕組まれた事だった。
要の会社に、なぜか、要の継母の環が訪れたのだ。
「来週の絹代さんのお誕生日のパーティーに招待されました。女性だけの親睦会です。いつものように、ゆき恵がいく予定でしたが、生憎、あの子は、女学校のシスターが主催されてるバザーの手伝いをしなければなりません」
ゆき恵は要の腹違いの妹だ。女学校を卒業したゆき恵は袴姿で自転車に乗る快活な娘で、いつか、留学したいという夢を胸に抱いている。そんなゆき恵から、聞いたことがあるのだが、絹代の誕生日パーティーというのは、絹代を褒め称える為のものである。
招かれるのは絹代の取り巻き連中。
ゆき恵も、毎回、仕方なく出席していたようである。
「ゆき恵も、お誕生日のプレゼントを買って用意しているのよ。それを、ぜひ、桜子さんから渡してもらいたいのよ。絹代さんも、ぜひ、あなたの許嫁と仲良くしたいとおっしやっているのよ。だから、顔を見せに行きなさい」
桜子に出席するように、わざわざここまで言いに来たのである。
「弓削家と伊集院家の繋がりは、あなたも承知しているでしょう? 絹代さんの御招待を断ったりしないわよね。あの方のパーティーに招かれるという事は名誉な事なのですよ。それに、貿易の仕事をしたいのなら、弓削家とは懇意にしておかねばならないわ」
絹代と要が結婚したら弓削家との繋がりは確固たるものになるだろう。
金儲け。金儲け。大事なのはお金。環は、継子の要に対して悪意はないが損得勘定で動く女だった。
「この日本の海運業界は弓削家の手中にあるって事を忘れないでちょうだいね。ては、ごきげんよう」
要は、継母や絹代の暗い企みを感じ取りながらも断ることは出来なかった。
「あら、わたしがお誕生日のパーティーに招かれたのですか」
「弓削絹代という女性がいます。その人は、うちの家族と仲がいいのです。彼女のパーティーには、オレの妹が行く予定でしたので代理として行っていただきたいが、桜子さんが嫌なら断ってもいいのですよ」
桜子は、前世のキャラクター相関図を見ているので絹代のキャラクターは鮮明に覚えている。
高慢で身勝手な女で何でも自分の想い通りにしないと気が済まない。
桜子は、心の中でこれから起こる出来事を予測していた。
(来た来た来たーーーーー。これぞ、恋愛ドラマの醍醐味じゃん。健気なヒロインが意地悪なお嬢様に虐げられるイベントの始まりだわ)
桜子にとって、絹代との対面はお化け屋敷に入るようなもの。おおいに恐怖を楽しもうと思うのだ。
「桜子さん、オレの家族の為に無理をしてはいけませんよ」
要の心配を他所に桜子は微笑む。
「いいえ。行きます。そのような集まりに招待していただけるなんて。とっても光栄ですわ」
そのパーティーには普段着で来てくださいと環は要に言っていた。
しかし、要は、妹のゆき恵から聞いて知っている。普段着で行くと恥をかくことになる。
「桜子さん、そのパーティーには洋装で行ってください。洋服はお持ちですか。ないのなら、至急、デパートで買って下さい。お金はオレが払います」
「洋服のことならご心配なく」
レンタルすればいい。
確か、鍋などの生活用品や喪服などを貸してくれる便利な店があったはずだ。そこに行ってみたところ、古臭い喪服のワンピースしかなくてがっかりした。女性用のシューズも踵が擦り切れており、いかにも古臭い。
送迎の際に相談したところ、ジェイコブが言った。
「わしの知り合いのヴィクトリアとおまえさんの体形は似ている。彼女のドレスを貸してもらえるように話をつけてやろう」
「しかし、それは申し訳ないわ。こちらも何かお礼をいたしませんと」
「ああ、そのことだが、ヴィクトリアはハイキングが趣味でな。護衛として英語が出来て、しかも、腕っぷしのいい女性を探しておられたのだよ。あさってヴィクトリアに付き合ってくれるかね。実は、おまえさんに頼もうかと思っておったのだ」
渡りに船。
ヴィクトリアの父は、日本でラムネの製造と販売を手掛けている。神戸や横浜に入港した外国船はラムネを大量に買ってくれるという。
長女の金髪で痩身のヴィクトリアはまだ十八歳になったばかり。今年の三月に日本に来たという。祖国には婚約者がいる。今年の末にはイギリスに帰国して結婚する予定だ。
歳も桜子と近い。いいタイミングで出会えて良かった。
「結婚したら、こんなふうに海外の街を歩くなんて無理でしょう。だから、今のうちに日本のあちこちを見て回りたいの。極東まで来られて幸せよ。ここは緑が豊なのね」
ヴィクトリアは山道を楽しそうに歩きながら夢を語った。
「わたし、いつか、この日本で見聞きしたことを本にして出版するわ」
山の中で見つけた花をスケッチする様子を桜子は黙って見つめていた。すると、ちょろちょろと瓜坊(猪の子供)が現れたものだから、ヴィクトリアは可愛いと言って抱き寄せた。
次の瞬間、茂みの陰から母親の猪が猛突進してきた。
「危ない。ヴィクトリア様、早く、猪の子供を捨てて下さい」
桜子は、瓜坊をヴィクトリアから引き離すと同時にヴィクトリアを脇に突き飛ばす。
「さぁ、かかって来い」
桜子は自分の方へと猪を誘うと、闘牛のように桜子を突こうとした猪を、おりゃーーーーと投げたのだ。
アメージング。
後に、この日の出来事をヴィクトリアはこう語っている。
『日本の女性は見た目以上に強いのです。しとやかな笑顔の奥には、勇猛果敢な武士の魂を秘めています。いざとなれば猪も投げ飛ばせるのです。それが大和撫子というものなのです』
いや、荒れ狂う猪を投げられるのは桜子だけなのだが……。
とにかく、九死に一生を得たヴィクトリアは、すっかり、桜子に心を許してくれた。
「あなたはドレスが欲しいと聞いてるわ。そうだわ。お化粧もしてあげる。それに、髪もコテで巻くといいわ。任せてちょうだい」
イギリス人の中でも特にセンスのいいヴィクトリアのおかげで、パーティー当日の桜子の服装はファッション雑誌から抜け出たように垢ぬけたものになっていたのである。
絹代のパーティーは絹代が暮らす大豪邸で行われた。小汚い着物姿でのこのこと現れるはずだったのに、どうして、あんなに洗練された洋装で現れたのか。
絹代は歯ぎしりする。
その場にいた若い女性は二十人。
全員が富裕層の令嬢である。
桜子が絹代の為に持参したプレゼントは、ヴィクトリアが愛用しているスティック型の口紅だ。最新モデルの口紅だ。
「あ、あら、素敵なものをありがとう」
顔をひきつらせながらも絹代は笑みを絶やさなかった。あくまでも、良い人を演じようとしている。容姿端麗で主席で帝大を卒業した要に相応しいのは自分だとマウントを取るつもりで言う。
「桜子さん、今日は、わたくしの女学校時代のお友達を呼んでいるのよ。あそこにいらっしゃる方達は英国人なの。だから、今日は日本語じゃなくて英語で話すことになっているのよ。よろしくて?」
横浜の居留地の近くにアーメン系の女学校がある。
そこはハイカラで裕福な女子が集う場所である。日本人と異国の女生徒が共に学んでいる。例えるなら、アメリカンスクールのようなものである。
日本人は十五人。欧米人五人。
全員が英語を話す中、田舎者の桜子をコンプレックスと疎外感の沼に蹴落としてやろうと思っていたのだが、なぜか、桜子は英語が話せた。
(ど、どういうことなの)
絹代は愕然となる。
しかも、桜子は初対面のイギリス人のレディ・イザベルと意気投合している。
モートン伯の御息女のイサベルは、『赤毛のアン』という児童文学について話していたけれど、他の日本人は誰も読んだことがない。
まだ翻訳されていなかったからだ。しかし、桜子は前世で赤毛のアンを読んでいる。
イザベルは、一通り、興奮したように赤毛のアンについて語った後、今度は、別の事を言い出した。
「あたしって赤毛だからアンに感情移入しちゃうの。そうそう、赤毛と言えば、赤毛同盟よね」
「ああ、コナンドイルの名探偵ホームズのお話ですわね」
桜子は文学少女ではないけれど、漫画でホームズの話を読破している。
外国勢のリーダーのイサベルが桜子と和気藹々と話しているものだから、普段、イザベルとつるんでいる他の英国人も桜子に話しかけてきた。
「桜子さん、あなたのドレス、本当に素敵ね。モダンだわ」
七年前から日本で暮らしている彼女達は、今、祖国でどんな服が流行っているのかを肌で感じる機会は少ない。
桜子が思う以上にヴィクトリアはお洒落に関するセンスに長けていたようだ。
みんな、うっとりしたように桜子の衣服や着こなしを褒めてくれている。絹代の取り巻きの日本人も桜子が美人だと認めざるを得なかった。
何やら、自分にとって不利な展開となったものだから、絹代は若いメイドに目配せをする。
すると、飲み物を運んでいたメイドが桜子とぶつかり、その袖口にワインをこぼした。
「あら、桜子さん、大変だわ。すぐに染み抜きをしてさしあげて」
桜子は少し離れた応接室に連れていかれた。そこで、十五歳くらいのメイドが泣きそうな顔で桜子のドレスの染みをタオルでポンポンしながら何とかしようと奮闘してくれている。
「も、も、申し訳ありません。本当に、本当に申し訳ありません」
言いながら、涙目になっている。
「あ、あの、桜子様のバッグも濡れてしまいましたわ。お拭きします。桜子様は、こちらの椅子に掛けてお待ちください」
その時、桜子はメイドの妙な動きに気付いていた。桜子のハンドバッグを勝手に開けて何かをぶっ込んだ。手品のような早業を見逃さなかった。
(もしかして、泥棒の罪を着せられるってこと?)
そんなの冗談じゃない。桜子は、そのブローチをどうしたものかと考える。
階段を降りている途中で、桜子は絹代の祖父とすれ違った。
絹代の祖父は軽く桜子に会釈している。
桜子は、背中を曲げて歩く祖父の背広のポケットにブローチをぶち込んだ。
前を歩くメイドはそのことに気づいてない。
やがて、パーティー会場に戻ったのだが、表向きは和やかだった。
しかし、いよいよ、パーティーが終わる時刻になった時、お約束のように桜子は絹代によって貶められていたのである。
「桜子さん……。あなた、もしかして、応接室からおばぁさまの形見の品を持ち出したんじゃありませんか?」
ザワザワ。
当然のことながら、周囲は騒然となる。
桜子は、迫真の演技でハラハラと涙をこぼしながらこう言った。
「わたしは、そのような真似はいたしません」
桜子が盗んだのは海老だけだ。もう、やらないけれど……。
桜子は眼にもとまらぬ速さで衣服を脱いで断言した。
「この通り、どこにも隠し持っておりませんわ。バッグの中も御覧あそばせ」
その時、ニヤリと絹代は笑った。
目の奥が歪み、愉悦の色が滲んでいたのだが、すぐさま、絹代の顔は真っ青になった。
バッグに瑪瑙のブローチが入っていなかったからである。
絹代はメイドを睨む。すると、メイドは目で訴えた。確かに、言いつけ通りにしました。信じて下さい。絹代に睨みつけられたメイドは顔面蒼白になっている。
桜子は周囲の女性達に言った。
「どうか、わたしの身体検査をして下さいな」
桜子の顔は凛としている。一応、イサベルがボディチェックをしたけれど宝石などどこにも隠されていなかった。
「桜子、もういいわ。服を着てちょうだい」
険しい顔でイサベルが言った。
「あなたの潔白はわたしが保証いたしますわよ」
いきなり、客人を泥棒扱いした絹代に対して周囲は動揺を隠せない。どんどん、雲行きが怪しくなってきている。イサベルが率いる外国人勢は怒り心頭だ。
「客人のドレスにワインをかけるという失礼をしておきながら、泥棒扱いするなんて、なんて失礼な人なのかしら。だいたいね、そんなに大切なブローチなら金庫に入れておくべきなのよ。絹代、あなたの事を見損なったわ。桜子さんに謝りなさい」
「うっ」
イザベルは赤毛のアンの話で桜子と意気投合している。それに、イザベルは前々から桜子の事が少し嫌いだったので、厳しく言い放つ。
「どうしたの。絹代。さっさと謝りなさい」
麗しき伯爵令嬢のイザベルの剣幕に押された絹代は、仕方なく、桜子に謝罪した。
学生時代からそうなのだ。どんなに絹代が金持ちであろうとも、日本の華族やイギリスの貴族の令嬢には太刀打ちできない。悔しかった。
そんな絹代の神経を逆なでするように、桜子は、楚々とした顔で絹代の顔を覗き込む。
「きっと、大切なブローチだったのでしょうね。だから、そんなに取り乱したのですわね」
もう怒っておりませんので顔を上げて下さいと言うと、絹代は泣いたフリをして、ありがとうと呟いた。
しかし、腹の中では怒りと屈辱が渦巻いている。
桜子を貶めるつもりが、自分が主役の誕生日パーティーでこのような屈辱を受けるとは……。
その怒りの矛先はメイドの鈴木敏子に向けられた。桜子達が立ち去った後、絹代は問い詰めた。
「あなた、どうして、あたしの言う事を聞かなかったのよ」
「信じて下さい。わたしは確かにお嬢様の指示に従いました」
「だったら、どうして、ブローチはハンドバックに入ってないのよ。もしかして、あなたが盗んだの!」
「まさか……。決して、そのような事はいたしません」
しかし、絹代の逆鱗に触れた鈴木敏子は、その日のうちにメイドをクビになり邸宅から追い出された。
ちょうど、その頃。
ドレスや靴の入った風呂敷を抱えている桜子はヴィクトリアに平謝りしていた。
「お借りしていたドレスにワインの染みがついてしまいました。本当に申し訳ありません」
「あら、いいのよ。そのドレスは、もう飽きたわ。そんな事より、また来週、わたしに付き合って下さいな。サイクリングをいたしましょう。それで許してさしあげるわ。あのね、あなた自転車に乗れる?」
「もちろんでこざいます」
という事で、ヴィクトリアの護衛兼友人として、その次の週も一緒に過ごす約束を果たしたのだが……。
その夜、仕事から戻ってきた要は心配そうに尋ねてきた。
「桜子さん、パーティーで嫌な思いをしませんでしたか?」
「いいえ。何もございませんわ。楽しい宴でございました。干しブドウ入りのスコーンや、スフレをいただきましたわ。皆さんともすぐに友達になれましたのよ。絹代さんも親切な方でした」
絹代に関しては嘘をついた。泥棒扱いされそうになったと告げたなら、きっと、心優しい要が胸を痛めると思ったからである。
「同じ年頃の方達と楽しいひとときを過ごせました。これも、要様のおかげでございます」
「そ、そうか。それなら良かった」
要がホッと安堵の溜息を漏らす。
桜子は、ぼんやりと思い返していた。
(ブローチの存在に、絹代さんのおじぃさまは気付いたのかしら……)
もちろん、気付いてる。最初に気付いたのは絹代の祖父の従者だった。背広のポケットに黄色い宝石のついたブローチを見つけて首をかしげる。
それは、確かに絹代の祖母の形見の品だが、シンガポールに行った際に、インド人の宝石商に瑪瑙だと嘘をつかれて購入したものである。本当は安い水晶だと祖母だけは知っていた。
旅の思い出として祖母が最後まで大切にしていたのだった。
「おや、なんで、わしのポケットにこんなものが?」
最近、すっかりぼけている絹代の祖父は、桜子の仕業だとは気付かないまま、そのブローチを元の場所に戻している。
という事で、盗難騒動はこれで終結したと言いたいところなのだが、生憎、そうはいかなかった。
パーティーの三日後。
桜子は客を乗せて人力車を走らせていた。しかし、視界の端には気の毒な浮浪者がいる。
走りながらも道端にうずくまる若い女性の事を気にしていた。昨日も、おとといも、その若い女は駅前の歩道に座り込んでいたからだ。ずっと額を膝にこすりつけるようにして座っている。
桜子が、人力車の仕事を終えて歩いていると、その浮浪者が、絹代のメイドだと気付いたのだ。あの時のようなメイド服ではなく着物姿である。
「あ、あなた、こんなところでとうしたのですか?」
すると、鈴木敏子は今にも崩れそうな顔で答えた。
「お屋敷から追い出されました。わたしは、絹代お嬢様に恥をかかせてしまったので許してもらえなかったのです。わたしは孤児で帰る家もありません」
捨てられた子犬のように情けない顔をしている。埃にまみれた鈴木敏子の顔を見た桜子の胸は痛んだ。
桜子に罪を着せようとしたけれど、この子も、やりたくてしたのではない。あの時、とても申し訳なさそうにしていたから、桜子は事前に察知できたのだ。
「お腹が空いたのでしょう。さぁ、わたしの家にいらして下さい」
「でも、わたしは、桜子様を陥れようとしたのですよ。恨んでおられませんか」
「何をおっしゃいますの。わたし、何の事だか分かりませんわ。さぁさぁ、遠慮なさらずにどうぞ」
まだ十六歳。前世の感覚で言うと未成年の子供。突然、職と住居を失い、さぞかし心細かったに違いない。
(なんつーか、あたしのせいで巻き添えを喰らったようなもんだよね。この娘には気の毒なことをしちゃったわよ。保護してあげなきゃ)
突然、自宅に見知らぬ小娘を連れて帰ったのだが、キヨは、鈴木敏子のやつれた顔を見るとこう言った。
「おにぎりを食べなさい。そして、お風呂に入りなさい」
桜子は、弓削絹代がこの子に何をさせたのか、キヨにも要にも話さなかった。絹代を庇うつもりはない。この子を庇うために言わなかったのである。
要は、その娘の顔を知っている。
絹代の邸宅で見たことがあるからだ。
要は鈴木敏子に問いかけた。
「絹代さんに追い出されたのですね」
鈴木敏子は、桜子が風呂に入っている間に要に洗いざらい話した。
「わたしは桜子様のハンドバックにブローチを入れました。窃盗の罪を着せるようにと、絹代様から命じられていたのです」
鈴木敏子も、そのような浅ましい真似はしたくなかった。
でも、やらないと叱られる。
「君は、それに従ったんだね。それなのに、いざ、桜子を追い詰めようとした際には、そのブローチはどこにもなかったってことだね?」
「はい。不思議なことに桜子様のハンドバックにはありませんでした。桜子様は下着一枚になって、そこにいたイザベル様が身体検査をなさいました。ブローチはありませんでした」
「ふうむ、なるほど、消えたブローチか……」
「結局、わたしが盗んだのだろうと絹代様はおっしゃって、それでクビになったのです」
要は、それこそホームズのように推理していく。
はてさて、そのブローチはどこに消えたのだろう。
それから、丸二日間、鈴木敏子は伊集院家に居候したのである。その間、鈴木敏子はキヨと共に美味しいお料理を作ってくれた。そして、三日目になると出て行った。
要が、知り合いの味噌問屋に女中として住み込みで働けるようにと便宜を図ったからである。
「ありがとうございます。この御恩は忘れません」
鈴木敏子は桜子と要に深く礼をしてから去っていった。その後も、桜子は、絹代に虐められた事を要には言わなかった。
桜子が、いそいそと洗濯する後ろ姿を要は見つめる。
(桜子さん……。あなたは、どうして、そんな我慢強いのですか……)
それは、物語のヒロインだから。
要は、多くを語らない桜子の芯の強さに感心している。そして、何か言い知れぬ感情が湧き上がるのを感じていた。
(オレは、間違っていたのかもしれない。あなたは強い人だ……)
そうなのだ……。要が思う以上に桜子という女は強いのだが、まだ、桜子のポテンシャルには気付いていない。
というか、こないだのパーティーに関しては、プライドをへし折られてダメージを喰らったのは絹代の方である。むしゃくしゃして当たり散らさずにはいられない。
「レディ・イザベル……。伯爵令嬢だとか言ってるけど、あなたの父親は投資に失敗して没落しているじゃないの」
そうでなきゃ、親子そろって極東の日本なんかに来るものか。
ちなみに、レディ・イサベルはヴィクトリアの親友である。
イザベルは、実は、英国の華麗なる女スパイだ。日本で活動するロシア人やドイツ人の情報を集めて本国に知らせる為に長期滞在している。貴族の令嬢の特権で皇族とも顔を合わせる事がある。
そんなイザベルは、親友のヴィクトリアから、桜子が虐められたら助け船を出すように頼まれていたのだが、桜子はそんな事は知らない。
桜子は自力でこの困難を乗り越えている。
しかし、悔し涙に暮れる絹代は、また更に桜子を追い詰めようと思案していたのである。
(西園寺桜子。あの子は妙だわ。どこで英語を習ったの? それに、ブローチは、なぜ、おじぃさまのポケットに入れられていたの?)
まさか、こちらの意図に気づいて先手を打ったのか。あるいは、メイドを買収したのか。
ひょっとすると、西園寺桜子にはとんでもない裏の顔があるのではないかしら。
妙に勘の鋭い絹代は桜子の核心部を突こうとしていた。
(あの娘について、もっと調べた方が良さそうね)
万次郎が言うように、おそらく、桜子はとんでもない毒婦なのだ。
そうでなければ、要が、あんな娘に骨抜きにされる訳がない。
何としても、西園寺桜子を出し抜いてみせる。その為にも、今度こそ、失敗しないようにしなければならない。
絹代は、探偵を雇い、桜子を調べるようにと命じたのだった。




