第六話
しばらく、真守の母はポカンとしていた。
突然の申し出に驚いたらしい。怪訝な顔で真守の母の文乃が言った。
「しかし、あなた様にそこまでしていただく理由がございません」
「異国にはボランティアという言葉があるのでございますよ。わたしは良い行いをしなければならない身の上なのでございます」
何しろ、密漁に手を染めたんだもの。清く正しい振舞いをしなければ禊にならない。
聞けば、文乃は三年前、川の洪水によって夫との暮らしが破綻したという。夫は川に流されて行方不明。以後、母一人で子供を育てている。夫が死んだと確定しているのなら再婚も出来るが、今のままではどうにもならない。文乃は夫が生きていると信じて帰りを待つしかない。
(息子二人を育てるのは大変だろうな)
高熱の身体で物売りをするのは無理と判断した真守の母は泣きながら、それではお願いしますと言って任せてくれた。
そのアイスキャンデーというのは、木の棒に果汁と砂糖をまぜたものを凍らせたものである。
五月の末。いつもなら、もっと売れるというのに、生憎、今日は曇り空で風も強い。
ちなみに、昨日はカンカン照りで、おそらく、文乃は暑い中を歩き回って体力が消耗したのだろう。日曜日、桜子は手押し車を押しながら、慣れない行商をする事にしたのだが、何しろ初めてなので上手くいかない。大使館の辺りをうろうろしてみたけれど、彼等は、小汚い服装で売り歩くアイスキャンデーに興味を示そうとはしなかった。ホテルやデパートのアイスクリームを食べる方が衛生的だと思っている。
「異人さんは無理か……。まっ、そりゃそうだな」
桜子はアイスキャンデーを完売する為に人が集まる場所へと向かった。
そこは花街のすぐ側。いわゆる私娼窟。
春を売るお姉さん方や客の男にアイスキャンデーを売ろうと思いついたのである。
しかし、呼び売りの人達の縄張りを踏み越えた事に気付いていなかった。
アイスキャンデーを遊廓の通りで売り切った後、帰ろうとした時、強面のお兄さんに腕をつかまれていた。
「おい、ここは親分の縄張りだぞ。誰の許可を得て、ここで物売りをしてやがる。ゴラァ」
遊廓の敷地内、もしくは、その近隣で物売りをしたい奴は、それ相応の上納金を納めるように脅された桜子は声を震わせた。
「申し訳ございません。わたし、そのような決まりを知りませんでした」
桜子の顔を至近距離で見た男はニヤッと笑う。よく見れば、花魁よりも別嬪だ。
化粧をしていい着物を着せたなら、この女は高く売れるに違いない。
「おい、おまえ、この落とし前、どうつけるつもりなんだ。売り上げ、全部、渡しやがれ」
「この売上金は差し上げられませんのよ」
「てめぇ、ふざけたんのかよ。すぐに払え。おまえ、女なんだから身体で払ってくれりゃいいんだよ。オレの兄貴の店に行けば金をうんと稼げるぜ。楽なもんさ。股を開けてりやいいだけだ」
下種丸出しの言い方に胸糞が悪くなってきた。
こういう輩が寒村の貧しい少女を食い物にしているのだ。成敗してやりたい。
「あら、わたしでよろしいのですか。試してみませんか。立ったままでよろしければ、あなた様を一瞬にして別の世界へと誘って差し上げますわ」
言いながら、桜子は安物のセクシー女優のように相手を見上げると、そいつは、そわそわしたように桜子を薄暗い路地へと誘ったのである。
「おまえ、随分と大胆な奴だな」
「おそれ入ります」
桜子が着物の裾をめくりあげると、相手は興奮気味に太ももに視線を落としたのだが、次の瞬間、桜子は背後に回り、相手の顎の下に自らの右肘を入れる。
ぐっと首筋の頸動脈を絞めると、男は白目を向いて崩れ落ちた。瞬殺である。
油断している男を失神させるのなんて簡単だ。
「ごめんあそばせ。これで支払いは完了ですわね」
桜子はうつ伏せで果てている男を跨ぐと、さっさと花街をあとにしたのだが……。その途中、ふと思った。
(鬼滅の刃の遊廓編の映画の舞台って、こういう感じだったな……。嫁が三人いるイケメンの柱の名前、何だっけかなぁ)
時折、前世で見ていたアニメが恋しくなる桜子であった。
その一時間後、桜子に絞め技をくらって失神していた男も目覚めたのだが、もう、その頃には、桜子は文乃に売上金を渡していたのである。
「お嬢様、本当に、このお金をいただいてよろしいのでしょうか。これは、あなたが働いたお金ですよ」
「いいのです。その代わり、真守君を立派に育て上げて下さいな。この子が大人になった時に、困っている方の為に慈善活動をしていただければよろしいのです」
桜子はそう言うと、自分の着物に着替えて帰宅したのである。今日は、吉原まで足を伸ばしたせいで、すっかり日が暮れている。自宅まであと五分という場所に来た時、背後から声をかけられていた。
「よう、桜子、元気か?」
振り返るとマタキの雄一がいたものだから驚いた。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「炭を売りに街に来たんだよ」
雄一は猟師の傍ら炭焼きもしている。都会では炭の需要が高い。焼き鳥やウナギの蒲焼など、一流の店で雄一の炭は重宝されている。
「オレなぁ、おまえのことが心配で見に来たんだ。おまえ、伊集院さんに優しくしてもらってるのか。酷い目に遭ってないか?」
「もちろん、要様は優しいよ。だけど、最近、要様のお仕事は上手くいってないみたいなんだ」
桜子は雄一と話す時は素の自分に戻っている。今更、雄一の前でお嬢様のフリをしても仕方ない。
「へーえ。そうなのか。おまえさぁ、結婚生活が辛くなったら、いつでも山に帰ってこいよ。オレも、おまえ一人ぐらいなら養えるぞ」
マタギの仕事は春から秋まで。
冬は炭焼きの仕事をしている。
舞茸などの茸を売ったり、近隣の工事の手伝いをしたりする事もある。農業をするよりも儲かっていると言えるだろう。
「お兄ちゃん、あたしのことより、自分はどうなのよ。お兄ちゃん、好きな人はいないの?」
「惚れた女ならいるけどなぁ、どうもなぁ、相手はオレと山で暮らすのは嫌だと言うんだよなぁ。だから、オレ、今、町で暮らすかどうか迷ってんだ」
雄一は、どうやら、カフェーの女給と付き合っているらしい。カフェーの女給をするくらいだから、都会での便利な暮らしが好きなのだ。山小屋での新婚生活など自分には無理だと彼女は言っているという。
マタギは春になるとマタギ小屋に泊まり込む。山に入る前には身体を洗って身ぎれいにする。そうしたら山の神様が喜ぶからだ。
マタキは又鬼とも言う。
『心の中に鬼を住まわせていないと猟師などやってられない』
雄一はそう言っていた。
猪や鹿にも家族がいる。それを分かったうえで撃つのだから、ある意味、非情さが必要となる。撃ったと思っても死んだふりをしただけで、反撃してくる熊もいる。
生きるか死ぬかのヒリヒリとした世界に身を寄せているマタギはゲン担ぎを重視している。
獣相手の狩りは真剣勝負。
戦うには己が獣や鬼になるしかない。少しでも、相手に隙を見せようものなら、こっちがやられる。
本来、マタギが猟をする場所は女人禁制だ。しかし、山の神は桜子のことが気に入ったのか、桜子が銃を握ると獲物がわんさかと捕えられた。
雄一の父は、最初は桜子が銃を扱うことに反対していたけれど、あまりにも射撃が上手いし、いつも沈み込んでいた桜子が生き生きしているので、猟に随行することを許してくれた。
『桜子はマタギに向いてるぞ。おまえは山の神に愛されてるからな』
雄一はそう言って桜子を手放しに褒めてくれる。桜子にとって、雄一は家族のような存在だ。だから、是非とも、雄一には幸せになってもらいたい。
「今度、お兄ちゃんが好きになった人を見せてね」
「おう。そのうち見せてやるさ。おっぱいが大きくていい女だぞ」
そう言うと、雄一は、少ししゃがみこんで、持っていた手ぬぐいに唾をつけると、桜子の顔の泥を拭ってやった。
「おまえ、なんで顔に泥がついてんだよ」
それは貧乏な婦人に変装するためである。
「うん、ちょっと外で仕事をした帰りなの」
「おまえ、そこまで金に苦労しているのか。噂で聞いたぜ。あいつの親父、結婚に反対してるみたいだな」
だから、気になって教えに来たという訳だ。
「要様の父上は、あたしのこと嫁として迎えたくないみたいなの。要様を大金持ちの令嬢と結婚させたいみたいなんだ。だけど、あたし、負けないから」
「おう、それでこそ桜子だ」
雄一は、桜子の額を指でツンと突くと、魅力的な笑顔を見せた。
「おおっ、そうだ。忘れてたな。おまえに、これ、やるよ。櫛と椿油だ。椿油は知り合いからもらった」
「この櫛は、お兄ちゃんが作ったの?」
雄一親子は手先が器用だから、木で作れるものは何でも作っている。
お皿やお椀もそうだが、椅子や机も自分達で作っている。
「親父ほど上手く作れないが、まぁ、オレにしてはよく出来た方だ。良かったら、これで髪を梳いてくれ。じゃぁな」
走って去っていく雄一を見送る桜子。
しかし、その様子を覗き見ていた者が二人いた。一人は、近所のお節介な米子という還暦過ぎのばぁさんである
もう一人は、二階の窓から見ていたキヨだ。ちょうど要の部屋の窓を閉めるところであった。
「桜子様……」
キヨは、桜子が嬉しそうに雄一と話す様子を見つめながらも、親し気に隣に寄り添う男は誰だろうかと首をかしげる。恰幅が良くて笑った顔が何とも素晴らしい。はっきり言って、キヨの好みのタイプだった。昔、好きだった海軍の将校に似ている。
キヨは、自宅に戻ってきた桜子に尋ねた。
「おかえりなさいませ。先ほど、話しておられた殿方はどなたですか」
「ああ、あの人はお兄ちゃんでございます」
「えっ、桜子様にお兄様がいらしたのですか」
「いえいえ。そうではなくて、兄のような存在ですわ。昔、わたしは山でお世話になったのです。訳があって詳しくは言えませんが、わたしが死なずにこれまで生きてこられたのは、お兄ちゃんの支えがあったからでございます」
記憶を取り戻した後、肉をたらふく食べられたのは雄一のおかげと言えよう。
澄んだ瞳で嬉しそうに雄一のことを語る桜子。
後ろめたい事がないとキヨは確信していたのだが……。
近所のお節介ばばぁの米子はそうはいかない。
その数日後、要は神戸から戻ってきたのだ。手には、有馬温泉の名物の炭酸せんべいとオリエンタルホテルにて購入したハイカラな焼き菓子を携えていた。
神戸に在住しているユダヤ人の夫婦と新しく取引する事になった。会社の未来も明るくなり、ホッとしていたのである。
しかし、その日の午後、いざ、家に帰ってみると桜子は留守にしていた。ばぁやのキヨもいない。
桜子は車夫のバイト。キヨは夕餉の食材を買いに出ているからだ。
手持ちぶたさの要は、旅の疲れを癒すために銭湯に行くことにした。すると、数メートル先に暮らしているお節介ばばぁの米子が近所のおばさんと立ち話をしてる声を聞いてしまったのだ。
「伊集院さんのお宅のお嫁さん、どうなってんだい? こないだ、ガタイのいい男を連れて歩いていたよ。二人ともニヤニヤしてたんだよ。あれは、相当、深い仲だね。それに、その男は櫛まで手渡してたんだからね」
「浮気かい?」
「さぁね、あたしにはそう見えたよ。伊集院さんみたいな色男がいても、女体を持て余すもんなんだね。あたしは前に聞いたんだ。あの娘、庭先で一人で喘ぎ声を出していたんたよ。汚らわしいね」
女体を持て余す……。ある意味、当たっているかもしれない。桜子は漲るスタミナを発散させたくてウズウズしている。
ちなみに、米子が聞いた喘ぎ声は縁側で腹筋する桜子の呻き声である。
車夫として全身を鍛えていても、もっと鍛えたいと欲するのはアスリートとしての本能、あるいは性というやつかもしれない。
☆
その頃、桜子は人力車で浅草を疾走していた。
一方、要は銭湯で富士山の絵を見つめたまま悶々としていた。
(一体、桜子さんは誰と話していたのだろう……)
初めて感じる胸のモヤモヤに何度も何度も顔を洗う要だったが、この気持ちは何なのか自分では分からない。
ちなみに、自宅の庭から漏れ聞こえてくる喘ぎ声に関しては察しがついている。きっと、一人で膝を抱えて嗚咽していたのだろう。
要にとっては桜子は心に深い傷を負った気の毒な女性なのだ……。色々と勘違いを重ねながらも桜子を思いやっている要は、何と、二時間も銭湯で考え事をしてしまった。
火照った顔で帰宅すると、桜子とキヨが同時におかえりなさいと出迎えてくれた。
「桜子さん、オレが三時頃に帰宅した時はどこにいたのですか?」
要が尋ねると、桜子はドキッとしたように少し目を逸らす。
「お、お買い物でございます」
「オレの気のせいかな。しばらく見ない間に、桜子さんは日焼けしたようだね」
すると、キヨが口を挟んだ。
「わ、わたしと一緒にお寺参りに行って下さったのでございます。わたしの息子のお墓まで三時間もかけて人力車で移動したものだから、すっかり日焼けしてしまいましたよ」
キヨは外で桜子がどのようなバイトをしているのかは知らないが、おそらく、どこかの洗濯や掃除を手伝っているのだろうと思っている。
キヨは、要には余計な心配はかけたくないのでハラハラしていた。
だが、要は、二人の様子がぎこちない事に気付いている。それでも、今は、何も言うまいと思い、土産を渡す。
すると、桜子の頬は花のように可憐に染まった。
「あら、こちらはホテルの焼き菓子でございますね。炭酸せんべいも懐かしいですわ」
「桜子さん、神戸に行ったことがあるのですか」
そう問われてハッとなる。行ったのは前世のことだ。
有馬温泉はとんでもない色をしていた。泥と同じ色だった。今となっては懐かしい思い出だ。
「いえいえ、炭酸せんべいを、お父様のお土産としていただいた事があるのです。ラムネと一緒に食べるとおいしゅうございますわね」
この異世界にも、ハイカラなものはあるけれど、日常的にそれを食することはない。
たまに、呼び売りで、ロシア人が、『パン。パン』と言いながら、甘いパンを行商している事がある。そういう時は、すかさず買うようにしている。
人力車のバイトをしているおかげで、お菓子やパンを買う程度のお金の余裕はある。とはいうものの、オリエンタルホテルのようなクオリティのお菓子は滅多に食べられるものではない。
「バターとココアの風味が美味しゅうございます」
本当に幸せそうに頬ばる桜子の顔を見ていると、要は、胸の奥がジンと暖かくなるのを感じるのだ。
「オレは銭湯に行ってきたんだ。君達も、今夜は風呂焚きをしなくていいよ。銭湯に行って汗を流すといい」
それはいいですねと言いかけたが、桜子は人前で脱きたくなかった。キヨに磨き上げた腹筋を見られるとマズイ。上腕二頭筋もなかなかのものだ。近所の人にも見せられない。
「わ、わたし、生理ですので銭湯はやめておきますね。人様の迷惑になりますもの」
キヨにそう言って誤魔化すことにした。
「あら、そうですか。それならば、わたしは銭湯に行かせていただきますね。今日は、たっぷりと汗をかいてしまいましたからね。髪もゆっくりと洗いたいのですよ」
汗をかいたのは桜子も同じである。風呂を焚くことなく、こっそりと自宅で湯あみをしようと考えた。洗濯をする時に使う盥に水を入れて、そこに、少量の熱湯を注ぐことにした。
浴室の脱衣所にぬるま湯の入った盥を用意して、そこにタオルを浸して身体を拭いていたのだが、その頃、要は二階からこっそりと降りていたのである。
お節介ばばぁの米子の言っていた言葉が気になっていたからだ。
(桜子さんは、誰から、どんな櫛をもらったのだろう……)
要は、薄暗い廊下を進み、桜子の寝室の引き戸を開けようとしてハッとなる。
まるで、コソ泥のように婦人の部屋に忍び込もうとした自分に驚き、顔を赤らめる。
(オレは、何をしようとしているのだ?)
自分の事を恥じていると、誰もいないはずなのに裏手の風呂場から物音がするものだから身構えた。
「そこにいるのは誰だ」
近所で窃盗事件があったと聞いている。だから、要は風呂場に踏み込んだのだが、その時、全裸の桜子が悲鳴を上げた。
「きゃーーーーーーーーーーーーーっ」
不幸中の幸いというべきか。桜子は手拭いを持っていた。咄嗟に隠したのは腹筋と股間であった。
胸は後回しである。
「し、失礼しました」
要は、慌てて背を向けている。
チラッとだけ桜子の貧相な胸が見えたような気もするが、薄暗いのでよく分からない。
少し頬を赤らめながらも背中越しに要は呟いた。
「桜子さんも銭湯に行ったものだと思っていましたので……。誰もいないはずだと思って踏み込んだのです。申し訳ありません」
「い、いえ……。わたしも電気もつけずに、こんなところで湯浴みをしていたのが悪いのでございます。わ、わたし、その、月のものが来たものですから銭湯は控えたのですわ」
「なぜ、電気をつけないのですか」
この家には電気が通っている。なぜ、点けないのか。
「蝋燭の明かりが好きなのでございますわ」
そういうことにしておこう。
お金がなくて、もったいないからだとは言えない。そんなことを言ったら、要が気を使うことになる。まだそこにいたらしい。戸の外から要が言った。
「あの、盥だけで頭まで洗うのは大変でしょう。もう少しお湯を持ってきます」
銭湯に行けないのなら、お風呂を焚いてもらっても良かったのだが、自分一人の為に風呂を焚いてはいけないと桜子は遠慮したのだと、要は解釈した。
(桜子さんは慎ましい人だからな……)
要は申し訳なく思っていたのである。
「そ、そんな要様、そんな事をなさらないで下さいまし……」
しかし、要はもう動き出している。そして、井戸の水をバケツに汲んだ後、台所に残っていた鍋の湯を注いで、わざわざ持ってきてくれた。
脱衣所の前まで来るとバケツを置いた。
「では、桜子さん、ここに置いておきます」
「ありがとうございます。御旅行から帰宅してお疲れだというのに……、このような雑務をして下さるなんて、なんとお優しいのかしら。わたしは嬉しくて涙が出てしまいます」
嘘ではない。ウルウル、キュンキュン。
憧れの要様の気遣いに涙腺が崩壊する。
うおーーーーー。マジで、要様はいい人だぁーーーー。
いつか、本当にこの人の嫁になりたい。桜子は盥に追加の湯を注ぎながら、要への愛を再確認していた。好きという気持ちが激しく溢れかえっている。
(要様に良い嫁だと思われるにはどうしたらいいのかしら……)
そうだ。明日は、手料理を食べてもらおう。そう思い立ち、その翌日の夕餉は桜子が作ることにした。
煮込み料理は苦手なのだが、それでも、カレーライスならば余裕で作れる。
桜子は海老が大好きだ。だから、市場で新鮮な海老を買った。イギリス人のジェイコブに頼んでイギリス製のカレー粉を分けてもらい、カレーを作ったのである。
「要様、どうぞ、召し上がって下さいませ」
自分で言うのも何だが、なかなかいい味に仕上がっている。カリーの味を下支えしている和風だしはキヨに作ってもらったので問題ない。
しかし、要はカレーを食べた数分後に風呂に入ったのだが、脱衣所から出て廊下を進もうとした時に倒れた。
「か、要様、どうなさったのですか」
まさか、舶来品のカレー粉に毒でも入っていたのだろうか。
ハラハラしていると、台所の残飯を調べたキヨが顔色を変えた。
「桜子様……。海老はいけません。旦那様は海老を食べると蕁麻疹が出てしまうのですよ」
桜子は悟った。
「海老アレルギーなのですね」
アナフラキシーショックを受けて倒れているのかもしれない。
(あ、あたしが伊勢海老を泥棒した罰が、こんなところで巡り巡って要様のお体を蝕んでいる。神様、罰なら、あたしに与えて下さい。悪いのはあたしです)
海老の祟り……。
桜子は真っ青になりながら、要を救うにはどうすればいいのか考えたのだった。




