第5章:準備 スズメ対アルシエルの息子、未来の騎士(1)
廊下に、足音が響いていた。
静寂の中に規則正しく刻まれる音。
迷いも乱れもない、正確無比なリズム。
その音の主 スズメは、両手で慎重にトレイを運んでいた。
白磁のカップが、微動だにせず整列している。
揺れひとつないその様子は、まるで最初から固定されているかのようだった。
- 温度、適正。
香り、安定。
見た目、許容範囲内。-
彼女の頭の中では、淡々と評価が下されていく。
この屋敷に来てから、数日。
決して長いとは言えない時間だったが、それでも十分だった。
観察し、
分析し、
そして 修正するには。
当然、その過程で周囲に波紋が広がらないはずもない。
「……たった十分で応接間を全部整えたって……」
「……しかも誰の指示もなしで……」
「……あの子、一体何者なんだ……?」
ひそひそと交わされる声。
だがスズメは、そちらに意識を向けることはなかった。
無視しているわけではない。
ただ 必要がないだけだ。
今、優先すべきはただ一つ。
現在の任務。
彼女は一枚の扉の前で立ち止まる。
呼吸すら乱さず、正確に三回、ノックした。
間隔も、力加減も、完璧に均一。
「入りなさい」
中から落ち着いた声が返ってくる。
スズメは静かに扉を開けた。
室内には、書類に目を通している女性――アルシエル夫人の姿。
「失礼いたします」
音を立てずに歩み寄り、テーブルの上にトレイを置く。
「お茶です」
「ありがとう、スズメちゃん」
柔らかな声。
だがその視線は、どこか探るようでもあった。
しばしの沈黙のあと、彼女は口を開く。
「……ずいぶん早く慣れたのね」
スズメは一瞬も迷わず答える。
「まだ改善の余地があります」
機械的とも言える、定型の返答。
アルシエル夫人は小さく息をつき、かすかに笑った。
「……そうね」
そのやり取りが続くかと思われた瞬間――
バンッ!!
勢いよく扉が開かれた。
「母上!」
部屋に飛び込んできたのは、一人の少年だった。
淡い色の髪。
年齢に似合わぬ引き締まった姿勢。
そして、真っ直ぐに相手を射抜く強い眼差し。
「噂を聞きました!」
そのまま言い切ろうとして 彼は止まる。
視線が、スズメに固定された。
一瞬、空気が張り詰める。
「……こいつが?」
スズメはわずかに首を傾け、礼儀正しく一礼した。
「初めまして」
「……」
少年は眉をひそめる。
「お前が“天才の子供”ってやつか?」
「スズメと申します」
「質問の答えになってない」
「理解しました」
短い沈黙。
アルシエル夫人が軽くため息をつく。
「こちらは私の息子よ」
「将来の騎士 になる予定の子」
一瞬の間を置いて、付け加える。
「……そして、少し元気が余っている子でもあるわ」
「余ってません!」
少年は腕を組み、きっぱりと言い返した。
そのまま一歩前に出て、スズメを睨む。
「噂が本当なら……証明してみろ」
「証明、ですか?」
「そうだ」
彼の声には迷いがない。
「俺と戦え」
部屋の空気が一段、重くなる。
スズメはわずかに思考を巡らせた。
通常とは異なる要求。
しかし、能力評価に関連。
結論はすぐに出た。
「承知しました」
即答だった。
「は?」
少年が目を丸くする。
「業務遂行に必要であれば、受諾します」
「……業務?」
「はい」
またもや沈黙。
少年は露骨に困惑した顔をする。
「……お前、喋り方おかしいぞ」
「ご指摘ありがとうございます」
「褒めてない!」
アルシエル夫人はこめかみに手を当てた。
「……あなたたち、本当にもう……」
小さく息を吐いてから、ゆっくり立ち上がる。
「いいわ」
その声には、どこか楽しげな響きすらあった。
「やるなら、ちゃんとやりなさい」
「中庭で訓練よ」
「でも」
息子が何か言いかけるが、
彼女の視線に射抜かれ、言葉を飲み込む。
「やりすぎは禁止」
静かながらも有無を言わせぬ口調。
「……はい」
渋々と頷く少年。
「スズメちゃん」
「はい」
「気をつけてね」
「承知しました」
スズメは小さく一礼した。
評価開始まで、間もなく。
準備が必要。
彼女は周囲を見渡す。
整えられた廊下。
障害物はない。
環境、良好。
しかし
装備、不十分。
何かが必要だ。
適切な 手段が。
視線がゆっくりと動く。
そして 止まった。
壁に立てかけられていた一本の箒。
質素だが、歪みのない柄。
重さのバランスも悪くない。
使用可能。
スズメは迷いなく歩み寄り、それを手に取った。
「……それで戦う気か?」
少年が呆れたように言う。
スズメはまっすぐ彼を見る。
「はい」
「……俺を舐めてるのか?」
「いいえ」
即答。
「じゃあなんで」
「適切ですので」
「……適切……?」
少年の眉間にしわが寄る。
「……やっぱりお前、変だな」
「理解しました」
スズメは箒を軽く握り直す。
足の位置を整え、重心を静かに落とす。
まるで掃除に入る直前のような自然な構え。
だがその安定感は、素人のそれではない。
準備、完了。
「行くぞ」
少年は踵を返し、中庭へと歩き出す。
スズメはその後ろを静かに追う。
足音はほとんど響かない。
影のように、滑るように。
新たな任務、受領。
目的:依頼主の期待に応える。
彼女は箒の柄をわずかに握り締めた。
実行、間近。
中庭へと続く扉が開かれる。
差し込む陽光。
まぶしいほどの昼の光。
そしてその先に待つのは
あまりにも釣り合わない戦いの予感だった。
さて、執筆の合間の近況報告ですが……実は今朝、ついに『ソードアート・オンライン』の第1期を完走してしまいました!
残っていた10話を一気に駆け抜け、そのままの勢いで今は第2期の冒頭(第3話あたり)に突入しています。いや、もう止まらないですね。睡眠時間を削ってまで観る価値は十分にある……と、自分に言い聞かせています(笑)。
正直、ここまでどっぷり楽しめるとは思っていませんでした。、「自分も仮想世界に行きたいな」なんて現実逃避が加速して困りものです。
作者の脳内は今、完全に銃の世界に占領されています。




