第39章: アニーとスズメ~会話?それとも任務?えっ?~
屋敷はまだ「精神的衝撃からの復旧中」という奇妙な状態にあった。静けさはあるが、それは平穏ではなく、ただ嵐の後に残る歪んだ沈黙だった。
バッキーは水を飲んでいた。まるで薬でも流し込むように、何度も喉へ落とす。視線は虚ろで、昨日の出来事をまだ脳が処理しきれていない様子だった。
床に寝転がるリリスは天井を見つめたまま動かない。天井のシミを数える方が現実より楽だとでも言いたげだ。
ヴェルザリアはというと、戦闘の一部始終を紙に描いていた。だがそれは記録というより、もはや抽象画に近い。爆発の線と軌道が芸術作品のように歪んでいる。
エリスは床に落ちた短剣をじっと見つめていた。触れるでもなく、ただ観察するだけ。そこにある「殺意の残滓」を測るかのように。
その空間の中心で、スズメは静かにナイフを拭いていた。一定のリズムで、無駄のない動作。水滴ひとつ残さない徹底した整備だった。
そしてアニーは──
座っていた。
本当に、ただ座っていた。
壁際でもなく、逃走経路の確保でもなく、屋根の上からの奇襲姿勢でもない。
完全に「戦闘用個体」としては異常なほど無防備な姿勢だった。
その違和感が、逆に空気を重くしていた。
少し離れた場所でルジアが腕を組んで様子を見ている。
「……これは新しいな」
バッキーが小さく返す。
「……攻撃してこない」
「それはそれで怖いんだが」
その言葉に誰も否定できなかった。
やがて沈黙を破るように、アニーが口を開く。
「……私は、失敗した」
部屋の温度が一段下がった気がした。
ヴェルザリアは無言で紙を掲げる。
【敵の自己反省】
「やめろそういうの貼るな!」
バッキーが叫ぶが、ヴェルザリアは真剣そのものだった。
スズメはナイフの整理を終えると、一本ずつ並べ始める。寸分違わぬ角度。狂いのない配置。
「危険物分類完了」
淡々とした声だった。
「保管が必要」
そう言うと、彼女はナイフを箱へと収めた。まるで台所用品を片付けるような自然さだった。
アニーの目がわずかに揺れる。
「……私の武器を、壊さないのか」
スズメは即答した。
「まだ使用可能」
沈黙。
バッキーは頭を抱える。
「この人、殺しを在庫管理してるんだが」
アニーは数秒間、何も言わなかった。
そして唐突に問う。
「なぜ、私を殺さなかった?」
空気が凍る。
ルジアでさえ一瞬呼吸を止めた。
スズメは少しだけ間を置き、考える。長く、正確に。
「現環境において脅威排除は最適ではない」
結論は短かった。
「不要」
アニーは瞬きをした。
「不要……?」
「そう」
さらに続ける。
「あなたは継続的な危険ではない」
その言葉は淡々としていたが、逆に残酷なほど明確だった。
ヴェルザリアが小さく呟く。
「……あいつ、人を天気みたいに評価してる」
アニーは自分の手を見る。
その手は確かに、何度も命を奪ってきた手だ。
「私は、お前を殺せない」
「それでも危険ではないと言うのか」
スズメは即答した。
「正しい」
ルジアが腕を強く組み直す。
「……これはかなり正直すぎるな」
アニーはしばらく黙っていた。
そして──
ふ、と笑った。
小さく、短く、しかし確かに。
「……面白い」
視線が上がる。真っ直ぐスズメへ。
「なら、教えてくれ」
空気が爆発したように騒がしくなる。
バッキーが椅子から転げ落ちる。
「お前何を言ってるんだ!?」
リリスが目を開く。
ヴェルザリアが叫ぶ。
「敵の勧誘だこれ!」
エリスが首を傾げる。
「メイド化する暗殺者?」
「違う!」
スズメは静かに分析していた。
「訓練要求」
結論は変わらない。
「受諾可能」
沈黙。
アニーが瞬きをする。
「……受諾?」
「可能」
さらに続く。
「訓練には規律が必要」
スズメは床を指さした。完璧に整えられた空間。
「そして清潔」
アニーは数秒黙り、そして小さく頷いた。
「……分かった」
ヴェルザリアが呟く。
「これもう暗殺者養成学校だろ」
ルジアが近づく。
「本気で増やすつもりか?」
「機能訓練」
「説明になってない」
アニーは立ち上がった。先ほどよりも、明らかに空気が違う。
敵意は薄れ、代わりに奇妙な興味が宿っている。
「では、任務は変わったのか?」
スズメは少し考えた。
「変更確認」
結論。
「そう」
アニーは静かに息を吐く。
「了解した」
そして、一本のナイフを元の場所へ戻した。
それは戦闘ではなく、整理だった。
「……ここに残る」
その言葉に、部屋は完全に沈黙する。
バッキーは天井を見たまま呟く。
「もう一人増えたぞ……」
リリスが答える。
「ルジアも入れたら三人」
ヴェルザリアがまた札を掲げる。
【危険女性生態系】
「それ捨てろって言ってるだろ!」
スズメは再び作業に戻っていた。
環境安定確認。
新規個体登録完了。
その目で、アニーを見る。
そこにはもう「暗殺者」の色は薄くなっていた。
代わりにあったのは──
まだどう生きればいいのか分からない者の色だった。
そしてこの屋敷において、それは最も危険で、そして最も厄介な状態だった。
異世界における作者の日記⁸
さて、あの阿鼻叫喚の『ラブホストホテル』での大騒動を終え、私たちはようやくそこを後にしました。ヨハンやアミさん、リズベスにリリヤの4人は、何事もなかったかのようにすっきりした顔で、円満にそこを立ち去ったのですが……。
私だけは別です。そこで目撃した凄惨な光景(主にガーゴイルの肉を解体するリリヤ)のせいで、完全にトラウマを植え付けられていました……。
その後、私たちは気を取り直して、まともで素敵なゲストハウスに泊まることにしたんです。ホッと一安心……と思ったのも束の間、部屋割りが発表されました。
なんと、私はアミさんとリズベスの二人と同じ部屋に泊まることになりました。
……おい、ちょっと待て。あの肉食系サキュバスと、隙あらば言い寄ってくるリズベスと同室!?
これから朝まで、私の貞操がうまく持ちこたえてくれるかどうか、本当に分かりません。というか、一睡もできる気がしないのですが……。
あ、そうそう。気が早いですが、この修羅場を乗り越えた数日後、みんなでキャンプに行くことが決まりました。大自然の中でリフレッシュしたいところですが、今度はどんなゲテモノ料理が待っていることやら。
まずは今夜、この部屋で生き残ることに全力を尽くします。
それでは、明日の朝、無事に目が覚めたら次のチャプターでお会いしましょう……!




