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第36章:メイドの買い物日記

 問題が起きたのは、洗剤が切れた瞬間だった。


 屋敷の中は、妙なほど静まり返っていた。


 朝の光が窓から差し込み、長い廊下を淡く照らしている。

 いつも通り完璧に整えられた空間――そのはずだった。


 だが。


 スズメは静かに掃除用の戸棚を開けた。


 中を確認する。


 そして、数秒間沈黙した。


 空。


 綺麗なまでに、何も無かった。


 スズメの目がわずかに細くなる。


「……必需品、消失確認」


 静かな声。


 しかし、その場にいた全員が理解した。


 これは事件だ、と。


 スズメはゆっくり戸棚を閉じた。


「買い出し任務を開始します」


 その宣言と同時に――


 バッキーが顔を引きつらせた。


「……あ、終わった」


 ソファで寝転がっていたルジアが半目のまま顔を上げる。


「……何が?」


 バッキーは遠い目をした。


「スズメが外に出る」


 沈黙。


 次の瞬間、ヴェルザリアがどこからともなく板を掲げた。


【都市崩壊イベント発生】


「それを当然みたいに出すな!!」


 バッキーの全力ツッコミが屋敷に響く。


 エリスは首を小さく傾げた。


 銀色の髪がさらりと揺れる。


「……買い物とは、危険な行為なのですか?」


「普通は違う」


 バッキーは即答した。


 そして小さく付け加える。


「……でも、スズメの場合は別だ」


 誰も否定しなかった。


 数分後。


 玄関前に、完全武装したスズメが立っていた。


 シンプルなバッグ。


 整った買い物リスト。


 そして背中には、いつもの箒。


 完全に戦闘態勢だった。


 するとすぐ横にルジアが現れる。


「……私も同行する」


 バッキーは頭を抱えた。


「だと思ったよ……」


 さらに後ろからカレブが姿を見せる。


「俺も行く」


「なんで」


「集団生存率を上げるためだ」


 真顔だった。


 リビングからレディ•アルシエルがため息混じりに出てくる。


「……放置したら被害が広がりそうね」


 ヴェルザリアが元気よく手を挙げた。


「おでかけ!」


 嫌な予感しかしない。


 そして最後に、音もなくエリスが現れた。


「……人間の購買行動に興味があります」


 バッキーは天を仰いだ。


 もう止められない。


 スズメは全員を順番に見渡した。


「……人員過剰」


 一拍置いて、


「ですが許容範囲です」


 こうして、謎の大所帯による買い出し部隊が完成した。


 街に到着した瞬間。


 通行人たちが静かになった。


 理由は簡単である。


 あまりにも異様だった。


 箒を背負ったメイド。


 神聖な雰囲気を纏う剣士。


 死地を潜ってきた顔の戦士。


 やたらテンションの高い魔王。


 気品あるアンデッド。


 疲れ切った魔女。


 そして。


 全てを諦めた顔のバッキー。


 誰が見てもカオスだった。


 スーパーへ入ると、スズメは即座にカゴを手に取った。


 その動きに一切の迷いはない。


 洗剤。


 石鹸。


 スポンジ。


 雑巾。


 次々と商品がカゴへ入っていく。


 速い。


 正確。


 まるで汚れ専門の暗殺者だった。


 後ろを歩くルジアが小さく呟く。


「……値段を見ずに比較してる」


「怖ぇよな」


 カレブが真顔で頷く。


「完全にプロだ」


 その頃。


 ヴェルザリアが消えていた。


 致命的ミスだった。


 バッキーが青ざめる。


「……待て、あいつどこ行った」


 次の瞬間――


 ドォォォン!!


 菓子コーナーから爆発音が響いた。


 レディ•アルシエルが顔を覆う。


「……でしょうね」


 全員が駆けつけると、そこには煙に包まれたヴェルザリアが立っていた。


 彼女は目を輝かせながら、赤い袋を掲げる。


「“爆裂キャンディ”という物を発見した!」


「それ唐辛子スナックだ」


 カレブが冷静に訂正する。


 ヴェルザリアは袋をじっと見つめた。


 数秒後。


「……それでも欲しい」


「子供かお前は」


 一方その頃。


 エリスは精肉コーナーを凝視していた。


 異様なほど真剣な表情で。


 店員が引きつった笑みを浮かべる。


「あ、あの……?」


 エリスは静かに尋ねた。


「……人間は本当に生物を部位ごとに分類して摂取するのですね」


 空気が凍った。


「やめろぉぉぉ!!」


 バッキーが即座にエリスを引きずっていく。


「そういう学術的なことを買い物中に言うな!!」


 スズメはそんな騒ぎにも一切動じず、淡々と買い物を続けていた。


 だが、その足がぴたりと止まる。


 視線の先。


 清掃用クロス特売。


 50%OFF。


 その瞬間。


 スズメの瞳が、ほんの少しだけ輝いた。


 本当にわずかに。


 だがルジアは見逃さなかった。


 彼女は胸を押さえる。


「……今、喜んだ」


「布で?」


 カレブが信じられないものを見る顔になる。


「……かわいい」


 ルジアが即答した。


 バッキーは静かに天井を見上げる。


「……重症だな、これ」


 その後。


 最大の事件はレジで起きた。


 ヴェルザリアが財布から取り出したのは――


 燃えている硬貨だった。


 店員が固まる。


「お客様……その、燃えてますが」


 ヴェルザリアは誇らしげに胸を張る。


「高級通貨だ!」


「違う!!」


 レディ•アルシエルが即座に彼女を引っ張った。


「普通のお金を使いなさい!!」


 ようやく会計が終わりかけた、その時。


 事件はさらに起きる。


 強盗だった。


 マスク。


 ナイフ。


 典型的な三流犯罪者。


 男は叫んだ。


「金を出せ!!」


 店内が静まり返る。


 そして男は。


 最悪な相手へナイフを向けた。


 スズメ。


 バッキーが小さく呟く。


「あーあ」


 スズメは男を観察した。


「……不適切な刃物を確認」


 静かな分析。


「危険対象と判断します」


 次の瞬間。


 コン。


 軽い音。


 スズメが箒で軽く叩いただけだった。


 それだけで。


 強盗は三つ先の棚まで吹き飛んだ。


 商品が雪崩のように落ちる。


 絶対的沈黙。


 スーパー全体が停止した。


 ルジアが満足そうに頷く。


「……美しい制圧」


 カレブが頭を抱える。


「掃除感覚で強盗処理するなよ……」


 ヴェルザリアは拍手喝采。


 エリスは真面目な顔で分析していた。


「……対犯罪清掃術。興味深いですね」


 帰り道。


 夕日が街を赤く染めていた。


 皆が大量の荷物を抱えて歩いている。


 だが。


 スズメだけは違った。


 彼女は全ての荷物を一人で持っていた。


 当然のように。


 ルジアがその隣を静かに歩く。


「……楽しかった」


 スズメは少し考え、


「効率的な買い物でした」


 そう答えた。


 沈黙の後。


 ルジアが柔らかく笑う。


「……うん」


 その日の買い出しは、


 爆発もあり、


 地獄通貨もあり、


 強盗騒ぎまで起きた。


 それでも最終的に成功した。


 奇跡的に。


 本当に奇跡的に。。


やっと(少し)病気が治ったので、持てる限りの力を振り絞ってこの章を書きました(笑)

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