第35章:結婚 (終)
混沌が頂点へ達したのは その三日後だった。
朝から屋敷の空気は妙にざわついていた。
使用人たちは理由も分からぬまま落ち着きを失い、廊下を歩く者たちは皆どこかそわそわしている。
そして、その原因はルジアだった。
大理石の廊下を、彼女は静かに歩いてくる。
軍服を思わせる黒の正装。
背には神剣。
長い銀髪を揺らしながら、一切の迷いなく進んでいく。
その手には書類。
大量の書類。
しかも。
公式。
封印済み。
押印済み。
恐ろしいほど完璧に合法的な書類だった。
それを見た瞬間、バッキーは顔を引きつらせた。
「……あっ、終わった」
隣から覗き込んだリリスも、次の瞬間には血の気を失う。
「……あの女、役所仕事まで済ませてる……」
その直後。
バァン!! と勢いよく扉が開いた。
現れたヴェルザリアは、なぜか巨大な看板を抱えていた。
【結婚編・最終章】
「なんでそんなデカい看板作ってるんですか!?」
「いや、空気的に必要かと思って!」
「必要じゃない!!」
屋敷の空気が一気に騒がしくなる。
しかし当のルジアは、そんな周囲など気にも留めない。
真っ直ぐ前だけを見ていた。
窓際では、スズメが花を整えている。
白い花弁を一本一本確認し、左右の配置まで完璧に調整していた。
その隣ではエリスが黙々と補助している。
今回は指を落としていない。
大きな進歩だった。
「……成長したな」
カレブが感慨深そうに呟く。
「基準が低すぎます」
バッキーが即座に突っ込んだ。
一方その頃。
レディ•アルシエルは、いつものように優雅に紅茶を飲んでいた。
この屋敷で唯一、世界が終わろうと動じない女である。
そして、ルジアはスズメの前で立ち止まった。
空気が変わる。
誰も喋らない。
物音一つ消えた。
ルジアは静かに書類を机へ置く。
「……準備は整った」
スズメは書類を見る。
一秒。
二秒。
即座に内容を解析。
婚姻届。
証人欄。
教会予約確認書。
式場使用許可。
さらには新居候補一覧。
完璧だった。
スズメは静かに結論を出す。
「……非常に効率的」
沈黙。
バッキーが頭を抱えて椅子に崩れ落ちた。
「褒めたぁぁぁ!!」
「終わりよ……もう全部終わりよ……」
リリスも額を押さえる。
ヴェルザリアは目を輝かせていた。
「盛り上がってきたーーーー!!」
「お前だけだよテンション上がってるの!」
だが、その喧騒とは裏腹に。
ルジア本人は、異様なほど静かだった。
そして。
珍しく緊張していた。
彼女は深く息を吸う。
戦場で数万の軍勢を前にしても眉一つ動かさない女が、今だけは僅かに指を震わせていた。
「……スズメ」
「はい」
「……もう一度、聞く」
屋敷中の視線が集まる。
カレブまで変な汗を流していた。
エリスも興味深そうに瞬きをしている。
レディ•アルシエルですら、紅茶を口へ運ぶ手を止めた。
ルジアは一瞬だけ目を閉じる。
そして。
真っ直ぐ彼女を見つめた。
「……私と結婚してくれないか?」
静寂。
風が屋敷を吹き抜ける。
カーテンが揺れた。
タイミングだけは妙に完璧だった。
誰も動かない。
誰も息をしない。
全員が、スズメの返答を待っていた。
そして
スズメは考え始めた。
長く。
とても長く。
頭の中で淡々と分析が進んでいく。
機能的相性。
戦闘能力。
精神安定性。
継続性。
信頼度。
生活効率。
あらゆる項目が高速で処理される。
そして結論。
スズメは静かに口を開いた。
「……いいえ」
完全なる沈黙。
時間が止まった。
ヴェルザリアが石像みたいに固まる。
バッキーは目を見開いたまま停止。
リリスは勢いよく立ち上がる。
カレブは何度も瞬きを繰り返した。
エリスですら驚いていた。
そして。
ルジアは微動だにしない。
怖い。
逆に怖い。
神剣持ちが無言なの、本当に怖い。
屋敷全体が緊張に包まれる。
誰もが思った。
最悪、大陸が割れるかもしれない、と。
やがて。
ルジアは小さな声で尋ねた。
「……理由を聞いても?」
スズメは落ち着いたまま答える。
「結婚には感情的優先順位が必要です」
少し間を置き。
「現在の私の最優先事項は仕事です」
沈黙。
バッキーがゆっくり顔を覆った。
「論理でプロポーズ断った……」
リリスが遠い目をする。
「恋愛が業務効率に負けた……」
次の瞬間。
ヴェルザリアが床を叩いて爆笑し始めた。
「アハハハハハハハハ!! 無理!! 面白すぎる!!」
「静かにしてください!」
「だってこの空気耐えられないもん!!」
しかし。
その時だった。
ルジアが、ふっと笑った。
最初は小さく。
だが次第に、本当におかしそうに。
肩を震わせながら。
「……ああ」
彼女は額を押さえる。
「確かに。君なら、そう答える」
その瞬間。
張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
カレブが心底安心したように膝から崩れ落ちる。
「よかったぁぁぁ……生き延びた……」
「基準が毎回おかしいんですよこの屋敷!」
ルジアは書類を手に取った。
怒りもない。
絶望もない。
ただ静かな受容だけがあった。
「……なら、君の優先順位が変わるまで隣にいる」
スズメは小さく首を傾げる。
「了解しました」
短い返答。
なのに。
どう考えても距離感が恋人だった。
ヴェルザリアが即座に指差す。
「いやもうそれ実質結婚だろ!!」
「私もそう思います」
レディ•アルシエルが紅茶を飲みながら同意した。
「誰も否定できないのが酷い」
リリスが疲れ切った顔で呟く。
ルジアはそのまま踵を返し、出口へ向かう。
だが。
扉の前で、不意に足を止めた。
振り返らないまま。
静かに問いかける。
「……未来に可能性はあるのか?」
再び静寂。
スズメは少しだけ考えた。
数秒後。
彼女は正直に答える。
「……不可能ではありません」
その瞬間。
ルジアの顔が真っ赤になった。
バッキーは椅子ごと後ろへ倒れる。
ヴェルザリアは再び大爆笑。
リリスは天井を見上げながら現実逃避を始めた。
カレブは震える指でスズメを指差す。
「希望与えたぁぁぁぁ!!」
エリスが静かに頷く。
「……致命傷」
ルジアは何も言わず歩き去っていく。
だがその足取りは、来た時より遥かに軽かった。
本当に。
驚くほど軽かった。
スズメは再び机の花へ視線を向ける。
花の配置は完璧。
空間バランスも正常。
彼女は静かに結論を出した。
「……環境は安定しています」
そして心の中で付け加える。
「問題は部分的に解決済み」
けれど。
その場にいた全員が理解していた。
これは終わりではない。
むしろ始まりだ。
もっと面倒で。
もっと騒がしくて。
そしてきっと 今より少しだけ楽しい日々の。
異世界における作者の日記⁷
さて、私たちが例の『ラブホストホテル』に足を踏み入れた途端、室内の怪しい雰囲気が一変しました。……なんと、アミさんが本性を現したのです。あぁ、彼女は本当に戦うサキュバス、魔性の戦士だったんだと肌で理解しました(別の意味じゃなくて本当に良かった!)。
室内は完全にダンジョン化しており、そこからはモンスターが次々と出現。ヨハンやリリヤたちが一斉に武器を構えて突撃していく中、戦闘力5の私は、ただ無力にその場でガタガタ震えながら見ていることしかできませんでした。
というか、戦闘がグロすぎる。
うわぁぁ……北のガーゴイル(石像の魔物)の血が辺り一面に飛び散っていて、精神的ダメージが限界突破しそうです。
……いや、それ以上にホラーな光景を目撃してしまいました。
リリヤ、君は何をしているんだ? なぜ、さっき倒したばかりのガーゴイルの肉を嬉々として回収しているんだい!?
石だよ!? 魔物の肉だよ!? どう考えても生物の健康にとって致命的に危険でしょ!! 次の朝食のメニューに並べたら本気で怒るからね!?
ハト、カエルと来て、次はガーゴイル料理の危機に瀕しています。
よし……覚悟を決めましょう。この狂気の「ダンジョン・モーテル」の攻略を続けるとします。生き延びて、次のチーズバーガーを召喚するその時まで。
それでは、また次のチャプターでお会いしましょう!




