第3章:7歳児 vs SSSランクの怪物(後編)
怪物が一歩踏み出すたびに、大地が鈍く震えた。
その振動はまるで地の底から響くようで、村全体を揺らし、人々の足元から勇気を奪っていく。
悲鳴があちこちから上がる。
子どもを抱えて逃げる者。腰を抜かす者。祈ることしかできない者。
そんな中でも、前に出る者たちがいた。
魔導士たちは震える声で詠唱を始める。舌がもつれながらも、必死に魔力を紡ぐ。
剣士たちは歯を食いしばり、恐怖を押し殺して踏み込んだ。
「ここで止めろ!」
「これ以上、近づけるな!!」
叫びとともに、魔法が解き放たれる。
炎がうねり、風が裂け、光が一直線に奔る。
幾重にも重なった魔法が、怪物へと叩きつけられた。
だが
何も起こらなかった。
まるで、そこに何も存在していないかのように。
怪物は歩みを止めない。
その巨体は傷一つなく、ただ前へ、前へと進み続ける。
まるで人間の抵抗など、最初から存在しないものとして扱っているかのように。
「そ、そんな……ありえない……!」
「かすり傷一つ……ついてないぞ……!」
絶望が、じわじわと場を侵食していく。
次の瞬間、一人の冒険者が何かに弾かれたように吹き飛んだ。
誰も触れていない。なのに、空中で体がねじれ、遠くの壁に叩きつけられる。
別の一人は、その場に崩れ落ちた。
接触すらしていない。ただ、圧力だけで押し潰されたのだ。
見えない力が、確実に命を削っていく。
誰も前に出られなくなった。
残ったのは、ただの恐怖。
そして、どうしようもない絶望だけ。
その光景を
スズメは、ただ静かに見ていた。
騒ぎの中心にいながら、まるで別の世界にいるかのように。
心拍すら乱れていない。
その瞳には、恐怖も焦りも映っていなかった。
──来客を迎えるには、不適切な環境。
周囲を見渡す。
瓦礫、土埃、散乱した道具。
泣き叫ぶ人々。
秩序は完全に崩れている。
──整理が必要。
スズメの視線が、ゆっくりと下へと落ちる。
家の壁際に立てかけられていたものが目に入った。
一本の箒。
古びてはいるが、まだ使える。
ごく普通の、どこにでもある掃除道具。
スズメは母の手をそっと離した。
「スズメ?!」
驚きと不安が混じった声が背後から飛ぶ。
だが、彼女は振り返らない。
軽い足取りで歩き出す。
一歩一歩、確かめるように。
急ぐこともなく、迷うこともない。
ただ、目的に向かって進むだけ。
やがて箒の前に立ち、静かにそれを手に取った。
握り心地を確かめるように、わずかに持ち直す。
──適切な道具、確認。
背後から叫び声が響く。
「おい!そこの子!戻れ!!」
「危ないぞ!!」
必死の警告。
しかし、その声が届くことはなかった。
スズメは応じない。
そもそも、意識すら向けていないかのようだった。
怪物は、もう目前に迫っている。
その姿はあまりにも巨大で、空を覆い隠すようだった。
輪郭は曖昧に揺らぎ、この世界の法則から外れているかのように不安定。
周囲の空間が、ひび割れるように歪んでいる。
存在そのものが、異質。
スズメは立ち止まった。
真正面から、その存在と向き合う。
逃げるという選択肢は、最初から存在しない。
──識別:障害物。
ほんのわずかに首を傾ける。
──分類:高リスク汚染物。
結論は、すぐに出た。
スズメは箒を軽く持ち上げる。
それは、ただの掃除の動作。
手の届きにくい隅を払うときのような、何気ない仕草。
──行動:除去。
その瞬間
世界が息を止めたかのように静まり返った。
誰も動かない。
誰も声を出さない。
ただ、その一挙一動を見つめるしかなかった。
そして
スズメは、箒を振った。
一度だけ。
横へ、すっと。
見えない埃を払うかのように、あまりにも自然に。
「清掃式・終焉黒断絶 -極弱-。」
小さく、しかし確かに響く声。
次の瞬間
空間が、裂けた。
音はない。
衝撃もない。
ただ、そこにあったはずのものが
分かたれた。
怪物の巨体に、黒い線が走る。
一本。
さらにもう一本。
そして、次々と。
まるで見えない刃が、幾重にも通り抜けていくように。
やがてその身体は
無数の断片へと分解された。
数えきれないほどの破片が、空中に浮かぶ。
だが、それらは地面に落ちることすら許されなかった。
触れる前に
消える。
存在ごと、削除されるかのように。
最初から何もなかったかのように。
完全に。
痕跡一つ残さず。
空が、ふっと明るくなる。
あの重苦しい圧力が、嘘のように消えた。
止まっていた音が戻る。
風が吹き、人の息遣いが聞こえる。
そして
静寂が訪れた。
スズメはしばらく箒を持ったまま立っていたが、やがて静かにそれを下ろした。
──清掃完了。
周囲を見渡す。
床にはまだ土埃が残っている。
物も散乱したまま。
──作業未完了。
小さくうなずき、くるりと踵を返す。
そして、何事もなかったかのように地面を掃き始めた。
さっきと同じように。
丁寧に。
淡々と。
まるで先ほどの出来事が、日常の一部に過ぎないかのように。
その背後で
誰一人、動けずにいた。
「……な、なんだ……今のは……」
「……何が起きた……?」
剣を握っていた男の手から、力が抜ける。
カラン、と乾いた音を立てて剣が落ちた。
別の男は、その場にへたり込む。
「怪物が……」
「消えた……のか……?」
理解が追いつかない。
現実感がない。
「誰が……やったんだ……?」
誰かが呟く。
その問いに答える者はいない。
ただ
ゆっくりと、全員の視線が向いていく。
一つの存在へと。
小さな背中。
箒を手に、床を掃いている
一人の子どもへ。
「……スズメ……」
母親の震える声。
その呼びかけに、スズメは顔を上げた。
「問題は解決しました。」
あまりにも簡潔な言葉。
感情の起伏すらない、平坦な声。
「これで、掃除を続けられます。」
それだけ言うと、再び作業に戻る。
まるで、それが本来の目的であるかのように。
その姿は
あまりにも
日常的だった。
その日
SSSランクの災害が、一瞬で消滅した。
記録は残らない。
原因も不明。
説明できる者は、誰一人として存在しない。
ただ一つ確かなのは
その中心にいた少女は
床の埃の方を、ずっと気にしていたということだけ。
「夕食は……もうできていますか?」
何事もなかったかのように
スズメは、そう尋ねた。
もし「清掃式・終焉黒断絶 -極弱-。」がすでにこれだけの被害を引き起こしていたとしたら、「極強 -地球規模の破壊- 」想像してみてください。
くそー、アインクラッド編(1話~14話)はもう終わってて、今フェアリーダンス編を始めてます(15話目です)




