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第33章:愛に誘拐されたカレブ

 カレブが消えた。


 本当に、あっさりと。


 朝食の時までは、確かにそこにいた。


 眠そうな顔でパンをかじり、紅茶を飲みながら、いつものように「今日こそ平和に過ごしたい」と小声で呟いていた。


 だが 昼食の時間。


 彼の席だけが、ぽっかりと空いていた。


 妙な静寂が屋敷を包む。


 広い食堂に、食器の触れ合う音だけが妙に響いた。


 最初に異変へ気付いたのは、やはりバッキーだった。


「……待て」


 彼はフォークを止め、テーブルを見回す。


「……カレブは?」


 レディ•アルシエルがゆっくり目を上げた。


「……てっきり、いつもの逃亡かと」


 ヴェルザリアはバターを塗ったパンをもぐもぐ食べながら、平然と言う。


「……死んだのかも」


「そのテンションで言うな!!」


 バッキーの絶叫が屋敷中に響いた。


 エリスは静かに目を閉じ、魔力探知を行う。


 数秒後。


「……屋敷内に生命反応なし」


 沈黙。


 全員の視線が、ゆっくりと一人へ向く。


 ルジア。


 彼女は優雅に紅茶を口へ運んでいた。


 完璧な所作。


 完璧な冷静さ。


 まるで何も問題など存在しないかのように。


「……何か?」


 バッキーが即座に指を突きつける。


「お前だ!!」


「はい?」


「カレブどこやった!?」


 数秒の沈黙。


 ルジアはさらに一口、静かに紅茶を飲む。


 それから淡々と言った。


「……安全な場所に」


 空気が凍った。


 レディ•アルシエルの表情が固まる。


 ヴェルザリアはどこからか取り出した札を掲げた。


【誘拐確定】


 エリスが静かに頷く。


「……攻撃型ロマンス」


「そんなジャンル存在しねぇよ!!」


 バッキーは頭を抱えた。


 その頃、はるか遠く、山頂近くの小さなコテージ。


 窓の外には青空が広がり、風に揺れる花々が色鮮やかに咲いている。


 湖まで見渡せる絶景。


 テーブルには手作り料理。


 花瓶。


 蝋燭。


 甘い香りの紅茶。


 どう考えても完璧なデート空間だった。


 問題は。


 その中央に、カレブが椅子へ縛られていたことである。


 しかも妙に丁寧に。


 苦しくないよう配慮され、布まで挟まれている。


 芸術点が高い。


 だからこそ怖い。


 カレブは青ざめた顔で周囲を見回した。


「……何これ」


 ルジアは静かにティーカップへ紅茶を注ぐ。


「……デート」


「誘拐だろこれ!!」


「短時間誘拐」


「その言い換え全然安心できないからな!?」


 ルジアは向かいの席へ腰を下ろした。


 真剣な表情。


 異常なほど真剣だった。


「……カレブ」


「な、何」


「あなたは逃げすぎる」


 沈黙。


「……なので、逃走経路を排除した」


 カレブは遠い目をした。


「この人、本気で計画立ててたんだ……」


 ルジアは彼の前へ紅茶を差し出す。


「飲んで」


「毒入ってない?」


 一瞬、空気が止まった。


 ルジアは本気で傷付いた顔をした。


「……入っているわけがない」


 少し間を置き。


「……なら私が先に飲む」


 そう言って普通に一口飲む。


 カレブはほんの少しだけ安心した。


 本当に、少しだけ。


 一方その頃、屋敷では。


「助けに行くぞぉぉぉ!!」


 バッキーが廊下を全力疾走していた。


 ヴェルザリアは再び札を掲げる。


【結婚RTA開始】


「やめろその札ァ!!」


 レディ•アルシエルは深いため息を吐き、こめかみを押さえる。


「……完全に制御不能ね」


 エリスは妙に興味深そうだった。


「……興味深い観察対象」


 スズメは黙々と洗濯物を畳んでいる。


 数秒後。


「……カレブ様、不在確認」


「そうだよ!!」


「ルジア様による極端な感情表現と推測」


「冷静に分析するな!!」


 スズメは小さく頷く。


「理解しました」


「理解早いな!?」


 再びコテージ。


 ルジアはいつの間にか縄を少し緩めていた。


 理由は。


「血流が悪くなる」


 という配慮だった。


 怖い。


 気遣いが完璧すぎて逆に怖い。


 ルジアは静かにカレブを見つめる。


 そして小さな声で尋ねた。


「……そんなに私が怖い?」


 カレブは言葉を失った。


 今の彼女には、いつもの殺気も威圧感もない。


 剣もない。


 冷たい覇気もない。


 ただ。


 感情表現が壊滅的に下手な女性が、真正面から答えを待っていた。


 カレブは深く息を吐く。


 そして、ちゃんと彼女を見る。


「……怖いよ」


 ルジアの睫毛がわずかに揺れた。


「でも..」


 カレブは苦笑する。


「同時に、すごい人だとも思ってる」


 静止。


 ルジアの思考が完全停止した。


 比喩ではない。


 本当に止まった。


 瞬きもしない。


 呼吸まで止まりかけている。


 カレブは数秒後、嫌な予感を覚えた。


「あ」


 ルジアの耳が真っ赤になる。


 次の瞬間には顔全体まで赤く染まった。


 彼女は勢いよく顔を逸らす。


「……理解した」


 間。


「……現在処理中」


 カレブは呆然と呟く。


「バグった……」


 その瞬間。


 ドゴォォォォォン!!!


 コテージの扉が爆発した。


 木片が派手に吹き飛ぶ。


「カレブーーー!!」


 先頭で突撃してきたのはバッキー。


 その後ろからヴェルザリア。


「続きが気になりすぎる!!」


「お前は見物客か!!」


 レディ•アルシエルは既に疲れ切った顔だった。


 エリスは無言で状況観察。


 スズメは最後に普通に入室した。


 洗濯カゴを持ったまま。


 そして。


 全員、止まる。


 視線の先。


 縄で拘束されたカレブ。


 豪華な料理。


 花。


 ロマンチックな空間。


 顔を真っ赤にしたルジア。


 バッキーはゆっくり振り向いた。


「……説明を要求したい」


 ヴェルザリアは即答。


「不要」


「なんでだよ!!」


 ルジアは勢いよく立ち上がる。


「ち、違う。これは誤解」


 カレブは自分の手元を見る。


 縄。


 花。


 テーブル。


 そして静かに言った。


「……いや、見たまんまだと思う」


 完全沈黙。


 レディ•アルシエルはその場に座り込んだ。


 エリスは危険な研究テーマを見る目をしている。


 スズメは周囲を確認。


「……清掃状態良好」


 数秒後。


「快適空間と判断」


「そこ評価ポイントなの!?」


 バッキーは顔を覆った。


 そしてその日の午後。


 カレブは誘拐から救出されたわけではなかった。


 むしろ


 超重量級恋愛イベントから回収されたのである。


 正直。


 たぶんその方が危険だった。


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