第32章:ヤンデレとの結婚を受け入れますか?カレブ?
カレブは逃げていた。
精神的にも。
肉体的にも。
そして魂レベルでも。
朝食の時間から、ずっと。
食堂でスープを飲んでいる時も、廊下を歩いている時も、訓練場へ向かう途中ですら、彼は常に周囲を警戒していた。
理由は単純だった。
ルジアと目が合うたびに
彼女が微笑むからだ。
しかも、ものすごく優しく。
それが余計に怖かった。
以前のように剣を抜いて殺気を放ってくれた方が、まだ理解できた。
だが今の彼女は違う。
静かで。
穏やかで。
そして、なぜか妙に距離が近い。
それが逆に恐ろしかった。
屋敷の廊下の角から、その様子を見ていたバッキーは深いため息を吐く。
「……あいつ、完全に末期症状だな」
隣にいたリリスも静かに頷いた。
「……精神を破壊されたのね」
ソファでくつろいでいたヴェルザリアは、どこから持ってきたのか分からないポップコーンを食べながら楽しそうに笑う。
「青春って感じで素敵じゃない?」
「どこがだよ!?」
バッキーの叫びが屋敷中に響いた。
しかしヴェルザリアはまるで気にしない。
むしろ面白そうに足を組み替えながら、続きを待っていた。
その頃
屋敷の庭園では、ルジアが神剣を振るっていた。
銀色の髪が陽光を反射し、剣閃が空気を切り裂く。
一振りごとに衝撃波が走り、遥か上空の雲が裂けていく。
相変わらずスケールがおかしい。
庭師たちは既に見慣れているのか、誰も反応していなかった。
そこへ、洗濯物を抱えたスズメが通りかかる。
ルジアはぴたりと剣を止めた。
先ほどまでの圧倒的な戦士の雰囲気が、一瞬で柔らかく変わる。
「スズメ」
「はい」
「……カレブという人間を、どう思う?」
唐突な質問だった。
風が止まる。
空気が凍る。
そして次の瞬間、どこからともなくバッキーが現れた。
「……まだ続いてたのかよこれ」
スズメは少しだけ考え込む。
まるで本当に評価を下すように。
「身体能力は平均以上」
「お、おう」
「耐久力も悪くありません」
「おお?」
一瞬だけカレブに希望が見えた。
だが次の瞬間。
「騒がしいです」
沈黙。
完全な沈黙。
ヴェルザリアが床を転げ回りながら爆笑した。
「ふふっ、あはははは!! 犬の評価みたい!!」
バッキーは顔を覆う。
「……終わったな、カレブ」
ルジアは数秒ほど黙っていた。
そして静かに頷く。
「……なるほど」
その反応が妙に真剣だったせいで、逆に怖い。
本当に怖い。
その日の夕方。
カレブは決意した。
逃げよう、とシンプルな作戦だった。
荷物をまとめる。
門まで走る。
全力で逃亡。
完璧だ。
少なくとも本人はそう思っていた。
だが。
屋敷の門には、ルジアが立っていた。
夕日に照らされながら、静かに。
まるで最初から待っていたかのように。
カレブは凍りつく。
「……あ」
終わった。
人生が。
ルジアは柔らかく微笑んだ。
「どこへ?」
「……トレーニング?」
「荷物を持って?」
「…………」
完全に詰んでいた。
二階の窓からバッキーが顔を出す。
「……あいつ死ぬぞ」
「ええ」
隣でリリスも即答した。
ルジアはゆっくり近づく。
一歩。
また一歩。
カレブは後退する。
だが背中が門にぶつかった。
逃げ場はない。
沈黙。
風だけが静かに吹いていた。
そしてルジアは、不意に尋ねた。
「……私のことが嫌い?」
「え?」
予想外の言葉だった。
先ほどまで感じていた圧迫感が、嘘のように消えている。
彼女の瞳には、本気の困惑が浮かんでいた。
「あなたは私を見ると逃げる」
小さく間を置いて。
「……それは拒絶?」
カレブは言葉を失う。
そこにいたのは、恐ろしい剣士ではなかった。
ただ一人の、不器用な女性だった。
窓から見ていたバッキーも、いつの間にか黙っている。
リリスも同じだった。
カレブは頭を掻きながら視線を逸らす。
「……いや、違うんだ」
「……」
「その……お前、最初に俺を殺そうとしただろ」
沈黙。
ルジアは数回瞬きをした。
そして。
「あ」
長い間。
「……そうだった」
バッキーが窓から落ちた。
「忘れてたのかよォォォ!?」
ヴェルザリアは涙を流しながら笑っている。
「だめ……っ、面白すぎる……!」
ルジアは顎に手を当て、真剣に考え込む。
「なら、訂正しなければ」
「訂正って何を!?」
カレブが叫ぶ。
するとルジアは真っ直ぐ彼を見つめた。
黄金の瞳が、一切揺れない。
「結婚」
空気が止まった。
世界が沈黙した。
バッキーが硬直する。
リリスは持っていた水差しを落とした。
ヴェルザリアは壁を叩きながら笑い転げている。
普段は冷静なエリスですら、珍しく目を見開いていた。
カレブはゆっくり自分を指差す。
「……俺?」
「はい」
即答だった。
「あなたは私の殺気に耐えた」
「いや耐えたくて耐えたわけじゃ――」
「比較的強い」
「比較的ってなんだよ」
「そしてスズメは恋愛感情を示さなかった」
「選考基準そこ!?」
バッキーが頭を抱える。
「こいつ婚活してやがる!」
リリスも呆れ顔だ。
「告白というより面接ね……」
カレブの脳は完全に処理を放棄していた。
「待て待て待て」
深呼吸。
「つまり今、お前……俺にプロポーズしてるのか?」
ルジアは静かに頷いた。
「受ける?」
その瞬間。
屋敷全体が答えを待っているような空気になった。
カレブは助けを求めて周囲を見る。
だが誰も助けてくれない。
遠くではスズメが普通にシーツを干していた。
いつも通り。
感情の嵐から完全に切り離された存在のように。
カレブは観念したように息を吐く。
そして正直に答えた。
「……俺、お前が怖い」
静寂。
ルジアは動かない。
ヴェルザリアが思わず口を押さえる。
バッキーが小声で呟いた。
「……あいつ、ちゃんと言ったな」
長い沈黙の後。
不意に。
ルジアが笑った。
最初は小さく。
だが次第に、本当に楽しそうに。
「……それでいい」
彼女は神剣を鞘へ収める。
澄んだ金属音が静かに響いた。
「嘘より、恐怖の方が誠実」
「いや意味わかんねぇよ……」
カレブが困惑する。
ルジアは風の中で振り返った。
銀髪が夕焼けに揺れる。
その姿は、妙に綺麗だった。
「なら、あなたが逃げなくなるまで待つ」
少しだけ微笑み。
「その後で決めればいい」
バッキーは遠い目をした。
「……なんか本当にラブコメっぽくなってきたな」
リリスは即答する。
「最悪の方向でね」
その頃。
スズメは静かに洗濯物を見上げていた。
風向き。
湿度。
日差し。
全てを確認し、淡々と結論を出す。
「……乾燥条件、良好です」
今日も洗濯日和だった。
そしてカレブの心の奥では。
恐怖が少しずつ、別の感情へ変わり始めていた。
それが何なのか、彼自身まだ分からない。
だが
きっとそれは、今まで以上に危険なものだった。
すごく眠いので、今から寝ます。でも…ああ…夜10時以降に寝ることは滅多にないし、普段は午前2時頃に寝るんです。




