第30章:恋愛料理
シカバネは、米の中に指を落とした。
アルシエル邸の厨房は、地獄だった。
もちろん、正式には違う。
物理的にも、まだ爆発はしていない。
だが精神的には、確実に戦場だった。
広々とした高級厨房には、包丁の音と鍋の湯気が満ちている。
窓から差し込む夕暮れの光が、銀色の調理器具を淡く照らしていた。
そんな中
スズメだけが、異常なほど平然としていた。
調味料は寸分の狂いもなく整列。
野菜はすでに下処理済み。
肉の厚さまで均一。
その姿は料理人というより、儀式を執り行う神官に近い。
ルジアは、その隣で静かに観察していた。
まるで神秘を学ぶ弟子のように。
真剣そのものの視線で、スズメの手元を追っている。
一方で。
ヴェルザリアは、なぜか炎模様のエプロンを装備していた。
しかも無駄に似合っている。
「どう?! かわいいでしょ!」
「エプロンから微妙に煙出てるんだけど」
バッキーはすでに目が死んでいた。
開始五分である。
リリスは椅子に座ったまま、スプーンを握って寝ていた。
完全にやる気がない。
そして エリス。
彼女だけが、厨房の中央で静止していた。
動かない。
瞬きもしない。
ただ両手で、白米の入ったボウルを持っている。
沈黙。
静寂。
怖い。
そこへ、レディ•アルシエルがゆっくり入ってきた。
「……何をしているのかしら?」
全員が少し黙る。
だがバッキーだけは即答した。
「……集団事故の途中です」
「なるほど」
理解が早かった。
そもそもの始まりは、十分ほど前。
ルジアが突然、静かに言ったのだ。
「……料理を学びたい」
その瞬間、空気が止まった。
しかしスズメは普通に頷いた。
「承知しました」
するとヴェルザリアが勢いよく手を挙げる。
「はいはいはい! 私もやる!」
「……まあ、お前は絶対言うと思った」
バッキーは遠い目をした。
そして。
エリスが、一歩前へ出た。
非常にゆっくり。
ぎこちない動作で。
「……私も、学習を希望する」
その瞬間。
バッキーは本能で悟った。
終わった、と。
「アンデッドが料理する気だ……」
リリスが片目だけ開ける。
「……危険な匂いがする」
そして現在に至る。
スズメはまず、基礎から説明を始めていた。
「まず最初に、衛生管理です」
その言葉を聞いた瞬間。
ヴェルザリアが青ざめる。
「うわ、苦手分野だ」
「自覚あったんだなお前」
ルジアは真剣に頷いていた。
メモは取っていない。
だが完全に脳へ刻み込んでいる顔だった。
エリスはというと。
まるで“人間”という概念を学習している機械のように、無言でスズメを見つめている。
スズメは静かに米を洗った。
水の流れ。
指の動き。
無駄のない所作。
美しいほど丁寧だった。
「水を入れすぎると、風味が落ちます」
「なるほど……」
ルジアが小さく呟く。
その横でヴェルザリアも真似しようとした。
だが。
なぜか煙が出た。
「待って待って待って!」
バッキーが即座に指差す。
「なんで米が燃えてんだよ!?」
「私が聞きたい!!」
「火属性で洗米するな!!」
厨房が騒がしくなる。
だがその時、エリスは、自分の指を見ていた。
じっと。
長く。
そのあと、米を見る。
再び指を見る。
沈黙。
スズメが気づいた。
「エリス?」
「……はい」
「問題ですか?」
少し間が空く。
エリスは淡々と告げた。
「……指の固定が緩んでいます」
嫌な予感がした。
とても。
次の瞬間。
ぽちゃん。
エリスの指が、炊飯前の米の中へ落下した。
静寂。
完全な静寂。
時間まで止まった気がした。
バッキーの魂が死んだ。
「……あっ」
リリスがゆっくり米を指差す。
「……米の中に指ある」
ヴェルザリアは腹を抱えて爆笑した。
「っ、あはははははは!! だめっ、無理っ!!」
「笑い事じゃねえよ!!」
しかしルジアだけは真顔だった。
「……味に影響は?」
「そこじゃねえんだよ問題は!!」
バッキーの叫びが厨房に響く。
エリスは無言で鍋を見る。
次に、自分の手を見る。
「……エラーを検知」
「そんな冷静に言うな!」
スズメは静かに近づいた。
騒がない。
慌てない。
米の中から指を取り上げる。
じっと観察。
「軽度の損傷」
淡々と分析。
そして。
「再接続可能です」
次の瞬間。
カチッ。
スズメは普通に指を元へ戻した。
あまりにも自然に。
エリスは指をゆっくり動かす。
「……正常動作を確認」
リリスは虚無を見つめていた。
「……家具の修理みたいに死体直した……」
バッキーは頭を抱えながら叫ぶ。
「だから米はどうすんだよ!!」
スズメは鍋を見る。
冷静に。
非常に冷静に。
数秒の分析後。
「汚染は軽微です」
嫌な結論が来る。
「摂取可能」
「可能じゃねえよ!!」
バッキーは即座に後退した。
ヴェルザリアはスプーンを持ち上げる。
「え、私は普通に食べれるけど」
「お前は悪魔だからな!?」
「褒められた♪」
「褒めてねえ!」
騒がしい時間は、その後もしばらく続いた。
鍋が吹きこぼれ。
ヴェルザリアが調味料を爆発させ。
リリスが途中でスープ鍋を枕にしようとしてスズメに止められ。
ルジアは真剣に盛り付けを研究し。
エリスは「指が落ちない持ち方」を学習していた。
そして数時間後
奇跡的に。
本当に奇跡的に。
料理は完成した。
巨大なテーブルに並べられる料理。
炊きたての白米。
香ばしい肉料理。
湯気を立てるスープ。
彩り鮮やかな野菜。
驚くほど綺麗だった。
まるで最初から平和な料理会だったかのように。
ルジアは、皿を並べるスズメを静かに見つめていた。
「……これも技術なのですね」
その呟きには、どこか尊敬が混じっている。
エリスは少し嬉しそうだった。
今日はもう指が落ちなかったからだ。
ヴェルザリアは祈り前なのにもう食べていた。
「うまっ!!」
「早ぇよ!!」
バッキーは、もう抵抗する気力すら失っていた。
混沌を受け入れ始めている。
そして。
レディ•アルシエルが静かに米を口へ運ぶ。
全員が止まった。
沈黙。
緊張。
やけに長い間。
やがて彼女は、小さく微笑んだ。
「……とても美味しいわ」
その瞬間。
ヴェルザリアが両腕を突き上げた。
「勝ったぁぁぁぁ!!」
バッキーは椅子へ崩れ落ちる。
「終わった……生き延びた……」
リリスは本気で泣きそうになっていた。
エリスは小さく首を傾げる。
「……料理は難しい」
するとスズメが静かに答えた。
「ですが、清潔を守れば成功率は上がります」
「なるほど……」
ルジアは微かに笑った。
またしても。
スズメを見ながら。
そして、その夜。
米の中に指が落ちても。
厨房が半壊しかけても。
なぜかアルシエル邸は少しだけ。
とても穏やかで、少しだけ、幸せだった。
うわー!!!!この地理の課題はすごかった!15ページもあったし、まだ手が震えてるよ(笑)クソ...




