表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界デワ 、中村すずめはレベル999のメイドです  作者: 天村 秀明
第1章、第終部: 転移の前に編
17/29

第14章:ヴェルザリア

 問題が始まったのは、午後3時42分ちょうどだった。


 スズメはそれを絶対的に確信していた。


 理由は単純だった。


 紅茶が完璧な抽出加減に達した瞬間だったからだ。


 一秒早くもなく。

 一秒遅くもなく。


 スズメにとって、それはどんな時計よりも信頼できる時間の指標だった。


 彼女は銀のトレイを運びながら、アルシエル邸の中央廊下を静かに歩いていた。

 磨き上げられた床に足音が控えめに響き、午後の風でカーテンがゆるやかに揺れている。


 すべては整っていた。


 静寂。


 管理。


 まさに彼女の好む通りに。


 応接室へ入ると、いつもの光景があった。


 レディ・アルシエルは黒木の長テーブルに座り、山のような政治書類を見直していた。

 その表情は、とうの昔に人類の知性への信頼を失った者のように疲れ切っている。


 窓際では、バッキーが木剣を持って姿勢の訓練をしていた。


 ……いや。


 しようとしていた。


「違う違う違う! また背筋が曲がってる!」


 リリスが大げさに指差しながら叫ぶ。


「枝を持った落ち込みエビみたいよ!」


「オレはエビじゃねえ!」


「いや、見える。」


「お前、剣のこと何も知らないだろ!」


「でもあなたも明らかに知らないわよね。」


 バッキーは顔をしかめた。


 スズメは二人をしばらく観察した。


 結論。


 許容範囲の騒音。


 そして彼女の視線はゆっくりとリリスへ向く。


 少女は即座に固まった。


「……なんでそんな目で見るの?」


「リリスお嬢様、今日は妙に乾いておりますので。」


 リリスは目を逸らした。


「……偶然よ。」


 レディ・アルシエルは書類から目も上げずにため息をついた。


「彼女、屋敷内で一週間、水魔法禁止よ。」


「たった三つの廊下だけじゃない……」


「東棟を水没させたでしょう。」


「……技術的な問題よ。」


「厨房、まだ浮いてるわ。」


「建築が弱いのよ。」


 沈黙。


 スズメはテーブルへ近づき、丁寧にトレイを置いた。


 その動作はあまりにも正確で、カップの中の一滴すら揺れなかった。


「紅茶です。」


「ありがとう、スズメちゃん。」


 レディ・アルシエルは即座にカップを手に取った。

 人生最後の希望にすがるように。


 バッキーは複雑そうな顔でそれを見ていた。


「……なんでお前の紅茶って威圧感あるんだよ。」


「圧力と温度管理は重要です。」


「……真面目に返した……」


 リリスがゆっくりトレイへ近づく。


「クッキーある?」


「洪水を起こす方にはございません。」


「……冷たい。」


 その時だった。


 前触れもなく。


 準備もなく。


 天井が爆発した。


 ドゴォォォォォン!!


 石材が激しく降り注ぐ。


 木材が空中で砕け散る。


 衝撃波が部屋全体を貫き、煙と粉塵がすべてを覆った。


 リリスが悲鳴を上げ、椅子から転げ落ちそうになる。


「なにこれぇぇぇ!?」


 バッキーは即座に木剣を構えた。


「敵か!?」


 レディ・アルシエルは


 座ったままだった。


 ただゆっくりと目を上げる。


 そして極めて静かにティーカップを机へ置いた。


「……今週三つ目の天井ね。」


 頭上の巨大な穴から


 何かがゆっくり降りてきた。


 優雅に。


 威厳に満ちて。


 まるで自身の登場のためだけに用意された舞台へ降臨する女帝のように。


 黒いドレス。


 長い緋色の髪。


 湾曲した角。


 燃える残火のように輝く黄金の瞳。


 部屋を満たす魔力の圧は異常だった。


 重い。


 息苦しい。


 バッキーでさえ冷や汗を流した。


 本能。


 絶対的危険。


 だがその瞬間


 女は信じられないほど楽しそうな笑みを浮かべた。


「やっっっと見つけたぁぁぁ!!」


 沈黙。


 彼女は完璧な着地で床へ降り立つ。


 部屋を素早く見回し、


 そして黄金の瞳がスズメを捉えた。


 瞬間、目が輝く。


「お前ぇぇ!!」


 彼女は劇的に指差した。


「ヤバすぎるメイド!!」


 完全な沈黙。


 バッキーが瞬きをする。


 リリスは二回瞬きした。


 レディ・アルシエルはさらに一口紅茶を飲む。


 スズメはわずかに首を傾げた。


「こんにちは。」


「礼儀正しいのかよ!?」


 新たな来訪者は部屋をせわしなく歩き回り始めた。


 速すぎる。


 喋るのも速すぎる。


 身振りも速すぎる。


 まるで人型の自然災害だった。


「お前、自分が魔界でどれだけ混乱起こしたかわかってんのか!?」


「はぁ?」


 スズメより先にリリスが答えた。


「SSS級が消えたの! 呪いが蒸発! 呪霊が地図から消滅!」


 ヴェルザリアは法廷の検事のように再びスズメを指差す。


「全部コイツのせいだ!!」


 スズメは黙った。


 真剣に考える。


 清掃作業。


 呪われた廊下。


 奇妙な汚れ。


 壁から聞こえた悲鳴。


 論理的結論。


「効率的な清掃は広範囲な成果を生みます。」


「それを普通だと思ってんのか!?」


 ついにレディ・アルシエルが顔を上げた。


「……あなた、何者?」


 女は劇的に胸へ手を当てた。


 完璧なポーズ。


 風もないのに揺れる髪。


「我が名はヴェルザリア。」


 劇的な間。


「至高の魔王、紅蓮地獄の支配者、千呪の女王、永劫深淵の皇帝、絶対破滅の先触れ、希望を喰らう者、無限暗黒の君主――」


「長い。」


 バッキーが遮った。


「……おい!」


 彼女は即座に振り向く。


「お前、脇役顔してんな!」


「はぁぁ!?」


「第三話くらいで主人公の覚醒材料になって死ぬタイプ!」


「死なねえよ!!」


 リリスは必死に笑いをこらえて顔を背けた。


 肩が激しく震えている。


 レディ・アルシエルは無言でこめかみを押さえた。


 スズメは静かに観察していた。


 分析完了。


 極めて騒々しい。


 音量低減が必要。


 ヴェルザリアは再び部屋を歩き回る。


「いいか! 魔界のものを勝手に消し飛ばすな!」


「なぜですか?」


 沈黙。


 魔王は固まった。


「……それは……」


 間。


「……大事なものだったからだ!」


「汚れでした。」


 絶対的沈黙。


 風さえ止まったようだった。


 リリスは机に顔を埋める。


 バッキーは笑いを隠そうとして咳払い。


 レディ・アルシエルは無言で紅茶を飲む。


 ヴェルザリアはゆっくり胸に手を当てた。


 傷ついた。


 深く傷ついた。


「……ひどい……」


 本気で傷心しているようだった。


「呪いにも感情あるんだぞ!?」


「怖いこと叫んでましたけど。」


 リリスが何気なく言う。


「……確かに。」


 沈黙。


 三秒間。


 ヴェルザリア史上新記録。


 そして――


「もういい!!」


 彼女が床を踏み鳴らした瞬間


 巨大な魔法陣が部屋中に爆発的に広がった。


 赤い。


 複雑な。


 悪魔のルーンが壁、天井、床へ広がり、凄まじい圧力で家具が震える。


 バッキーが目を見開く。


「広域転移魔法!?」


 レディ・アルシエルは即座に立ち上がった。


「ヴェルザリア、待ちなさい。」


 リリスが慌て始める。


「まっ、待って待って待ってこれ危なくない!?!?」


 ヴェルザリアは真っ直ぐスズメを指差した。


「お前は私と来い!」


「承知しました。」


「そんな素直に返事するな!!」


 床が消えた。


 空間が激しく歪む。


 熱。


 赤い闇

 。


 押し潰すような圧力。


 まるでマグマと影でできた海へ沈んでいく感覚。


 そして


 すべてが消えた。


 静寂。


 部屋は完全に空になっていた。


 ただ一つを除いて。


 紅茶のトレイ。


 完璧に整列したまま。


 一滴もこぼれていない。


 レディ・アルシエルはそれを黙って見つめた。


 そして深くため息をつく。


「……スズメが連れていかれたわね。」


 リリスがゆっくり手を挙げる。


「……心配した方がいい?」


 バッキーは数秒黙っていた。


 それから天井の巨大な穴を見る。


 床に焼き付いた悪魔陣を見る。


 そして完璧なトレイを見る。


「……心配すべきなのは地獄の方だと思う。」


 その遥か下


 紅蓮地獄の深淵で


 ヴェルザリアはゆっくり理解し始めていた。


 もしかすると


 もしかすると自分は、


 永遠の生涯で最悪のミスを犯したのかもしれないと。




この章を書いているうちに、興奮しすぎちゃった(笑)

注:バッキーはアルシエル様の息子さんの名前です。言い忘れていました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ