第12章 :水魔導士リリス
最初の違和感は湿気だった。
廊下の空気が、わずかに重い。肌にまとわりつくような、水気を含んだ空気。
スズメは足を止めた。
静かに、周囲を見渡す。
床が濡れている。
それも、ただの水こぼしではない。規則性のない、小さな水たまりが点々と続いている。壁にも、指でなぞったような水の跡。
……整備不良では説明がつかない。
「……」
結論。
原因の特定が必要。
スズメは音を立てずに歩き出した。靴底が水を踏むたび、かすかな湿った音が響く。
痕跡を追う。
曲がり角を一つ、また一つ。
やがて
開いたままの扉。
その向こうから聞こえてくるのは、
水の音だった。
揺れる音。満ちる音。呼吸のように、一定ではない流れ。
スズメは迷いなく扉を押し開けた。
部屋の中は半ば、水に侵されていた。
完全な浸水ではない。だが、無視できるレベルでもない。床のあちこちに水が溜まり、薄く波打っている。
そして、その中心に。
ひとりの少女がいた。
床に座り込み、周囲には無数の水の球体が浮かんでいる。
球体はゆっくりと回転し、まるで意思を持つかのように少女の周囲を巡っていた。
「……あ」
少女が顔を上げる。
スズメの存在に気づいたらしい。
淡い色の瞳が、わずかに揺れた。
「踏んだ」
「はい」
短いやり取り。
少女は一瞬黙り込み、
「……ごめん」
そう言ってから、すぐに首を振る。
「……あ、違う……私が謝るべきかも」
自分でも混乱しているのが分かる声音だった。
スズメは少女と周囲の水を観察する。
魔力の流れ。不安定な波動。制御の乱れ。
原因は明確だった。
「これを引き起こしているのは、あなたですか?」
少女は少しだけ視線を逸らし、
「……うん」
と小さく頷いた。
「理解しました」
沈黙が落ちる。
水の揺れる音だけが、部屋を満たす。
少女はゆっくりと立ち上がった。
それに呼応するように、水も持ち上がる。
彼女の周囲を取り巻く球体が、わずかに不安定に揺れた。
「……リリス」
少女は名乗った。
「私の名前」
「スズメです」
「……驚かないんだね」
「類似の事例を確認済みです」
「……ほんとに?」
「はい」
再び、静寂。
リリスは自分の周りの水を見つめた。
「……ちゃんと、やろうとはしてるの」
ぽつりと、零すように言う。
「でも……」
水の球体がわずかに震える。
「逃げるの」
「……いつも」
波が広がる。床の水がじわりと外へ流れる。
「溜まって……」
「溢れて……」
彼女の声は、少しだけかすれていた。
「……誰も、こういうの好きじゃないから」
スズメは静かに分析を終える。
魔力制御の不均衡。過剰出力。意志との同期不足。
結論。
介入が必要。
「手伝えます」
リリスが目を瞬かせる。
「……あなたも?」
「はい」
「……“も”?」
「はい」
リリスは一瞬ぽかんとしたあと、ふっと小さく笑った。
「……変な場所」
少しだけ肩の力が抜けたようだった。
一歩、スズメの方へ近づく。
水がその動きに合わせて揺れる。
「……できるなら」
「やってみて」
スズメは頷いた。
処理開始。
彼女は静かに手を伸ばす。
消すためではない。
抑え込むためでもない。
整えるために。
乱れた流れに、規則を与える。
リリスの周囲の水が ぴたりと止まった。
まるで、見えない指示を受けたかのように。
揺れていた球体が、ゆっくりと形を保ち始める。
波が静まり、流れが整い、やがて 完全な対称へと収束していく。
静寂。
水音すら消えた。
リリスの目が大きく見開かれる。
「……止まった」
信じられないものを見るように、水を見つめる。
「……ちゃんと……従ってる……」
スズメはわずかに首を傾けた。
「安定しています」
リリスはおそるおそる手を上げる。
水が、それに応じて動く。
滑らかに。正確に。
一滴もこぼれない。
「……できる」
声が震える。
「……私、できる……」
それは、初めて手に入れた感覚のようだった。 ゆっくりと、スズメの方を見る。
「……何したの?」
「調整です」
「……調整……」
「はい」
リリスは深く息を吸い込んだ。 胸の奥に溜まっていた何かを、吐き出すように。
「……じゃあさ」
少しだけいたずらっぽく笑う。
「先生みたいな人?」
「違います」
「……じゃあ何?」
スズメは一拍置いて、
「メイドです」
と答えた。
完全な沈黙。
そして
「……そっか」
リリスは吹き出した。
「……なんか、納得」
くすくすと笑いながら、少しだけ近づく。
「……ここにいていい?」
「この変な場所に」
「問題ありません」
スズメは即答する。
「環境維持を条件とします」
「……頑張る」
今度の返事は、少しだけ力強かった。
スズメは小さく頷く。
新規要素、統合完了。
部屋を出る頃には、廊下はすでに乾いていた。痕跡は一つも残っていない。
完璧。
そして、部屋の中では
水はなお回り続けていた、 だが、それはもう暴走ではない。
調和の中の循環。
静かで、美しい流れ。
溢れることなく、
乱れることもなく、
初めて
完全に制御されていた。
ちょっとした生存報告(?)です。
冗談で友達に『ソードアート・オンライン』のウェブ小説版「16.5章」を送りつけてみたんですよ。ええ、あの伝説の章です。そうしたら、報いを受けました。
35回撃たれ、15回殴られ、トドメにバンパーカーで轢き飛ばされて……気づいたら異世界に転生しちゃっていました。マジでヤバい(笑)。
今、目の前には見たこともないような美しい緑の野原が広がっています。あぁ、なんて清々しい風なんだ……。って、待てよ? 向こうの方に歩いてくるのは、もしかして……ものすごく胸の大きなエルフか!?
……というわけで、作者は現在、異世界にて人生を謳歌しています。無事に現実に戻って執筆を続けられるかは、そのエルフ次第かもしれません。
それでは、もし帰還できたら次のチャプターでお会いしましょう!




