幕間2:すずめ-のおふろ-
湯気が、ゆっくりと立ちのぼっていた。
天井へ向かって、細く、ほどけるように。
静かで、規則的で、まるでこの空間そのものが呼吸しているかのように。
すずめは、その様子をじっと見つめていた。
水面は鏡のように穏やかで、わずかな揺らぎすら許さない。
心の中で、淡々と評価が下される。
適温。
環境良好。
視界クリア。
彼女は足先から湯に触れた。
一歩、また一歩と、無駄のない動きで。
波紋は最小限。
水音すら、ほとんど響かない。
静かに、身体が沈んでいく。
肩まで浸かったところで、ぴたりと止まる。
実行結果、許容範囲内。
湯はただ、わずかに揺れただけだった。
入浴そのものは、珍しい行為ではない。
しかし、ここは違う。
すずめはゆっくりと視線を巡らせる。
広い。
予想以上に。
磨き上げられた石の浴槽は、冷たい光を帯びながらも、不思議と温かみを感じさせた。
水は澄みきっていて、濁りも異物も一切ない。
管理状態、極めて良好。
彼女は小さく息を吐き、さらに深く身を沈めた。
静寂が満ちる。
耳に届くのは、自分の呼吸と、水がかすかに揺れる音だけ。
機能:身体の洗浄。
副次効果:精神の安定。
すずめは目を閉じた。
その瞬間、わずかに意識が緩む。
ほんの、わずかに。
「すずめ?」
不意に、声がした。
静寂をやわらかく破るように。
引き戸が静かに開く。
エリスが姿を現した。
長い髪は解かれ、肩に流れ落ちている。
表情はいつも通り 無表情に近いが、どこか少しだけ緩んでいるようにも見えた。
「……もう入ってたんだ」
「はい」
短い返答。
いつも通りの、無駄のない声音。
エリスは一瞬だけ視線を落とし、それから少しだけためらう。
「……私も、使っていい?」
「問題ありません」
許可は即答だった。
エリスはゆっくりと歩み寄る。
足音が石の床に小さく響く。
そして、浴槽の縁で一度立ち止まった。
湯を見下ろす。
「……綺麗すぎるくらいね」
「はい。適切に管理されています」
すずめは目を開き、静かに答えた。
再び、沈黙。
エリスはそっと湯に足を入れる。
その瞬間、水面がすずめの時よりも大きく揺れた。
小さな波が広がり、やがて壁に当たって戻ってくる。
「……あ、ちょっと熱い」
ごく自然な反応。
すずめは内心でそれを記録する。
標準的な温度感覚による反応。
エリスはゆっくりと身体を沈めていく。
慎重に、けれどどこか不器用に。
やがて肩まで浸かると、ほっとしたように小さく息をついた。
再び、静寂が訪れる。
湯気が二人の間をゆらゆらと漂う。
「……なんか、変な感じ」
エリスがぽつりと呟いた。
「何がですか」
「……こうやって、一緒にいるの」
少しだけ視線を逸らしながら。
「理解します」
すずめの答えは変わらない。
だが、その声はほんの少しだけ柔らかかった。
短い間。
湯の中で、時間がゆっくりと溶けていく。
「……でも、嫌じゃない」
エリスが続ける。
「はい」
それに応じるすずめ。
そのやり取りだけで、十分だった。
言葉は少ない。
けれど、不思議と落ち着く沈黙。
「……すずめ」
「はい」
「……ありがとう」
ほんの少しだけ、小さな声で。
すずめは一瞬だけ考える素振りを見せ、それから答えた。
「どういたしまして」
また、少しの間。
エリスはふっと息を漏らす。
「……いつもそうやって返すの?」
「はい」
「……そっか」
納得したように頷き、エリスは浴槽の縁に頭を預けた。
天井を見上げる。
湯気がぼんやりと視界を曇らせる。
「……静かね」
「はい」
「……こういうの、好きかも」
「はい」
同じ返答なのに、不思議と冷たくは感じない。
むしろ、その一定さが心地いい。
再び、沈黙。
だが今度は、どこか温かい。
湯気は変わらず立ちのぼり、
水面は穏やかさを取り戻していた。
この空間には、何も急ぐ必要がない。
何かを解決する必要もない。
ただ、ここにいるだけでいい。
ただ、休むだけでいい。
状態:良好。
その評価は、変わらない。
けれど
ほんのわずかに。
本当にわずかに。
すずめの中で何かが緩んでいた。
それは数値化できない変化。
だが確かに存在するもの。
そしてその瞬間、
すずめは
いつもより、少しだけ。
穏やかな表情をしていた。。
「幕間」のネタが思いつかなかったので、お風呂の話を書くことにしました(笑)




