第29話 限界の音
もう半年。
事態は好転の兆しもなく。
ただ時と共に削られる思い。
朝。
誰も、笑っていなかった。
いつもなら。
スミちゃんがどうでもいいことを言って。
ハラちゃんが突っ込んで。
篠塚さんがまとめる。
そのはずなのに。
静かだ。
妙に、静かだ。
「……おはようございます」
ハラちゃん。
声はいつも通り。
でも。
誰も返さない。
一拍遅れて。
「……おう」
スミちゃん。
短い。
それだけ。
空気が、重い。
彩乃は、何も言えない。
(何か言わなきゃ)
でも。
言葉が出てこない。
机の上の書類。
数字。
減っている。
分かっている。
ずっと見てきた。
でも。
こうして並ぶと。
現実になる。
逃げられない。
「……また一件、切られた」
篠塚さん。
事務的な声。
感情を乗せない。
乗せたら、崩れるから。
誰も何も言わない。
沈黙。
長い。
「……なぁ」
スミちゃん。
いつもと違う声。
「このままで、いいのか?」
その一言で。
空気が揺れる。
でも。
誰も答えない。
答えられない。
「減ってんだぞ」
「分かってるだろ」
言葉が重い。
「このままいったら」
一拍。
「給料だって、どうなるか分かんねぇ」
現実。
誰も目を逸らせない。
「家あるやつもいんだぞ」
その言葉に。
ハラちゃんが顔を上げる。
「……俺も不安です」
はっきり言う。
初めて。
強い声。
空気が張る。
「どうすんだよ」
スミちゃんが言う。
投げるように。
「値段下げるか?」
ピリッとした空気。
「それはダメだろ」
和也。
即答。
「下げたら終わる」
短い。
でも重い。
「でもよ」
「現実、取られてんだぞ」
「理想だけじゃ食えねぇ」
正論。
だからこそ、きつい。
沈黙。
答えがない。
誰も持ってない。
その中で。
彩乃が、口を開く。
「……すみません」
小さい声。
でも。
全員が見る。
「私が」
言葉が詰まる。
「何も、できてなくて」
空気が止まる。
(違う)
皆が思う。
でも。
言えない。
言葉にならない。
責めたいわけじゃない。
でも。
不安は消えない。
「……俺たちもだろ」
和也。
静かに言う。
庇うでもなく。
責めるでもなく。
事実だけを置く。
それが、逆に痛い。
誰も何も言えなくなる。
その時。
「はいはい、そこまで」
篠塚さん。
パン、と手を叩く。
「朝から暗い顔してても何も変わらないよ」
いつもの口調。
でも。
少しだけ、強い。
「やることやるしかないでしょ」
現実。
それ以上でも、それ以下でもない。
「ほら、行くよ」
切り替える。
無理やりでも。
動かす。
全員が、立つ。
でも。
重いまま。
心は、置いていかれたまま。
現場。
いつも通り。
作業。
でも。
噛み合わない。
小さなミス。
言葉のズレ。
イライラ。
積もる。
「違うだろ!」
珍しく、強い声。
スミちゃん。
ハラちゃんが固まる。
「す、すみません!」
焦る。
空回る。
悪循環。
「……いいから落ち着け」
和也が割って入る。
止める。
でも。
空気は戻らない。
夕方。
会社に戻る。
誰も喋らない。
音がない。
ただ。
重い。
息苦しい。
外に出る。
夕焼け。
いつもの色。
でも。
違う。
どうしても綺麗に見えない。
(守れないかもしれない)
その考えが。
離れない。
怖い。
初めて。
本気で。
怖い。
その時。
後ろから声。
「……帰るぞ」
和也。
振り向く。
何も言わない。
でも。
その顔で分かる。
同じだ。
不安なのは。
みんな同じだ。
夕焼けが沈む。
境界が曖昧になる。
光と影。
どっちに転ぶか分からない。
その真ん中で。
立ち尽くす。
まだ。
壊れていない。
でも。
もうすぐかもしれない。
――黄昏バキューマーズ。




