第24話 最初の一件
朝。
いつも通りの空気。
「おはようございます!」
ハラちゃんの声。
「うるせぇよ朝から」
スミちゃん。
「元気出していきましょうよ!」
「出てるわ」
いつも通りのやり取り。
なのに。
(なんか……違う)
彩乃は、少しだけ違和感を覚えていた。
理由は分からない。
でも。
空気が、ほんの少し重い。
「彩乃ちゃん」
篠塚さんが呼ぶ。
「ちょっといい?」
「はい」
事務所の奥。
声のトーンが一段下がる。
「昨日ね」
一拍。
「一件、切られた」
「……え?」
理解が遅れる。
「長く付き合ってたお客さん」
「急に、他に頼むって」
(まさか)
「定岡?」
小さく頷く。
「……安くするって」
静かに。
でも確実に。
来てる。
現実として。
彩乃の胸が、ざわつく。
(もう始まってる)
現場に出る。
「今日はここな」
和也が言う。
普通の住宅。
普通の仕事。
なのに。
「ここさ」
和也が、ふと呟く。
「定岡が来たみてぇだな」
「え?」
「点検のシール、貼ってある」
蓋の横。
見慣れないロゴ。
(こんなとこまで……)
胸の奥が、ざわつく。
作業を始める。
いつも通り。
でも。
頭のどこかで考えてる。
(もしここも取られたら?)
手が、ほんの少し遅れる。
「彩乃」
和也の声。
「考えすぎ」
ドキッとする。
「顔に出てる」
「……すみません」
「いいけど」
軽く言ってから。
「仕事に集中しろ」
一言。
(……はい)
作業に戻る。
吸う。
確認する。
いつも通り。
終わる。
「ありがとうございました」
お客さんが頭を下げる。
その時。
「ねぇ」
声。
「他のとこ、安いって聞いたんだけど」
心臓が、跳ねる。
「……え?」
「定岡さんだっけ?」
「半分くらいの値段って」
(来た)
和也が前に出る。
「内容違いますよ」
淡々と。
「やること減らしてるだけです」
「そうなの?」
「はい」
「今やってる内容、そのままならその金額では無理です」
正直。
逃げない。
お客さんは少し考える。
「……じゃあ今回はこのままでいいわ」
ほっとする。
でも。
(“今回は”)
その言葉が残る。
帰りの車。
無言。
少しだけ、重い。
「なぁ」
和也が言う。
「これから増えるぞ」
「……はい」
「こういうの」
分かってる。
でも。
実際に来ると、違う。
重さが。
全然違う。
会社に戻る。
事務所の空気。
やっぱり、少し違う。
「どうだった?」
篠塚さん。
「……来ました」
一言で伝わる。
「やっぱりねぇ……」
ため息。
その時。
「だったらさ」
声。
スミちゃん。
「こっちも下げりゃいいんじゃねぇの?」
軽く言ったつもり。
でも。
空気が止まる。
「ダメよ」
即答。
篠塚さん。
「なんでだよ」
「簡単じゃん」
「取られるよりマシだろ」
正論に見える。
でも。
「それやったら終わり」
強い声。
全員が見る。
篠塚さん。
「回らなくなるのよ」
「現場も、会社も」
「分かって言ってる?」
静かに詰める。
スミちゃんが少しだけ黙る。
「……分かってるけどよ」
「でもよ」
言葉が続かない。
ハラちゃんも黙っている。
誰も間違ってない。
だから、苦しい。
彩乃は何も言えない。
(どうすればいいの)
答えが、ない。
ただ。
確実に。
何かが壊れ始めている。
そんな気がした。
夕方。
外に出る。
いつもの夕焼け。
なのに。
(綺麗じゃない)
少しだけ。
濁って見えた。
――黄昏バキューマーズ。




