第23話 波紋
事務所の扉を開けた瞬間。
「おぅ、若社長」
聞き慣れない呼び方。
「……え?」
視線の先。
そこにいたのは、西本多嘉治だった。
西本環境サービスの社長。
母と同世代の、いわば“同業の仲間”。
その人が、珍しく険しい顔をしている。
(空気、重い)
「ただいまです」
彩乃は一歩入る。
母も、難しい顔をしていた。
「ちょうどいいとこに来たな」
西本が腕を組む。
「定岡んとこのバカ倅がよ」
(……来た)
名前は聞いたことがある。
㈱定岡クリーンサービス。
この地区の同業者のひとつ。
ただ――
これまでは、問題なんてなかったはずだ。
「どういうことですか?」
彩乃が聞く。
西本が鼻を鳴らす。
「客、奪いに来てる」
短い一言。
でも、重い。
「え……」
「値段下げてな」
母が小さくため息をつく。
「それだけじゃないわ」
続ける。
「他社の悪口も、ずいぶん言ってるみたい」
(……最悪だ)
「そんなの、ありなんですか」
思わず出た言葉。
西本が苦く笑う。
「ありゃしねぇよ」
「だから困ってんだ」
この地域には、暗黙の了解があった。
他社の客は取らない。
長く続いてきたバランス。
信頼で成り立っていた距離感。
「先代の頃はな」
西本がぼそっと言う。
「そんなことする奴じゃなかった」
定岡の先代。
雅和。
若い頃はヒデさんの“後輩”だった人。
(代替わり……)
彩乃の頭に引っかかる。
「3年前に変わってからだな」
母が言う。
「社名も変えて」
「やり方も、ずいぶん変わったみたい」
㈱定岡クリーンサービス。
その名前が、やけに冷たく聞こえた。
「でも」
彩乃が口を開く。
「値段下げられたら……」
正直な疑問。
当然の不安。
「それはダメ」
即答だった。
母の声。
「絶対に」
強い。
今まで聞いたことがないくらい。
「価格で張り合ったら終わりよ」
静かに、でもはっきり。
「自分たちの首を絞めるだけ」
「会社も苦しくなる」
「従業員にも還元できなくなる」
一つ一つ、重い。
西本も頷く。
「安くすりゃいいってもんじゃねぇ」
「続かねぇからな」
(……確かに)
安くするのは簡単。
でも。
(続かなかったら意味がない)
「鹿取にも声かけてる」
西本が言う。
「一回、話し合うぞ」
鹿取衛生舎。
もう一つの業者。
「このまま放っとくわけにゃいかねぇ」
静かに。
でも、確実に。
何かが動き出していた。
(……来たな)
今までの“日常”とは違う。
見えないところで。
確実に。
波紋が広がっていく。
彩乃は、それを感じていた。
まだ小さい。
でも。
(これ、大きくなる)
嫌な予感は。
だいたい当たる。
窓の外。
いつもと同じ夕焼け。
なのに。
少しだけ。
色が違って見えた。
――黄昏バキューマーズ。




