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黄昏バキューマーズ ~汲み取り屋の娘が社長になります。“当たり前”を守る大切な仕事です~  作者: トネガワ ワタル


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第10話 任されるということ

 一か月が過ぎた。


 何もわからない状態から。


 何かに気づき始めたような。


 やっぱりまだわからないような。



 休日。


 母に会いに行く。




 消毒液の匂い。


 白い天井。


 静かな音。




 病室のドアを開ける。


「……母さん」


「来たの」


 ベッドの上で、乃里子が笑う。


 思っていたより顔色はいい。


(よかった)


「どう?」


「どうって?」


「体」


「ああ、大丈夫よ」


 軽く言う。


「まだ退院まではいかないけどね」


(そっか……)


 少し安心して。


 少しだけ寂しくなる。


「彩乃は?」


「え?」


「仕事」


(……来た)


 一瞬だけ、言葉に詰まる。


 言おうと思えば、いくらでも出てくる。


 きつい。


 臭い。


 分からないことだらけ。


 失敗もしてる。


 怒られてばかり。


 でも。


「まあ……少しずつ覚えてはきたかな」


 出た言葉は、それだけだった。


 乃里子が、少しだけ目を細める。


「そう」


 一拍。


「強がりなところ、あの人そっくりね」


(……)


 あの人。


 父のことだ。


 どんなに調子が悪くても。


 うまくいってない時でも。


「絶好調!」


 そう言って乗り切る人。



「別に強がってないし」


「はいはい」


 軽く流される。


 でも。


 分かってる顔だった。


 全部。


(……やりづらい)


「無理してない?」


「してない」


 即答する。


 本当はしてる。


 でも、言わない。


 言えない。


 言いたくない。


 乃里子は、それ以上は聞かなかった。


 ただ。


「大丈夫よ」


 ぽつりと。


「彩乃なら」


(……)


 根拠はない。


 でも。


 不思議と、軽くなる。


「……うん」


 小さく答える。


 それだけで、十分だった。




 翌日。


「彩乃」


 ヒデさんに呼ばれる。


「はい」


「今日はお前がやれ」


(……え?)


 一瞬、止まる。


「え、私が……?」


「他に誰がいる」


 いつもの調子。


 でも。


 言ってることは、重い。


(任される……?)


 心臓が少し速くなる。


「運転は俺がする」


「……はい」


 もう逃げ道はない。


 現場に向かう車の中。


(大丈夫かな……)


 不安がぐるぐるする。


「考えすぎるな」


 前を見たまま、ヒデさんが言う。


「いつも通りやれ」


(いつも通りが分からないんだけど)


 心の中で突っ込む。


 でも。


「……はい」


 答えるしかない。


 現場は、普通の一軒家だった。


「やれ」


 それだけ。


 深呼吸。


 蓋を開ける。


(……よし)


 中を確認する。


 水位。


 汚泥。


(たぶん、いける)


 ホースを引く。


 重い。


 でも。


(前よりはマシ)


 セットする。


 ヒデさんがレバーを倒す。


 ゴォォ……と音が響く。


 吸い込み開始。


(……あれ?)


 思ったより、吸わない。


 焦る。


(なんで?)


 もう一度見る。


 流れ。


(……違うな)


 位置を変える。


 少しだけ、良くなる。


 でも、まだ弱い。


(やばい……)


 焦りが出る。


「……落ち着け」


 ヒデさんの声。


「見ろ」


(見る……)


 もう一度、中を見る。


 さっきより、ちゃんと。


(……あ)


 固まりがある。


 水気が少ない。


 吸い込みにくい原因。


(そっちかな)


 ホースの位置を変える。


 角度を調整。


 もう一度。


 ゴォォ……


(……来た)


 吸い込みが安定する。


 そのまま、続ける。


 慎重に。


 焦らず。


 途中、止めて確認。


 また再開。


 繰り返す。


 そして。


 終わった。


(……終わった)


 息を吐く。


「……どうだ」


 ヒデさん。


「たぶん、大丈夫です」


「“たぶん”か」


(しまった)


 慌てて言い直す。


「大丈夫……です」


 一瞬。


「まあ、悪くねえ」


(……!)


 それだけ。


 でも。


(今の、褒められたよね)


 ちょっとだけ、嬉しい。


 その時。


「ありがとうございました」


 お客様が頭を下げる。


 穏やかなおばあちゃん。


「女の子なのに偉いねぇ」


 今まで何度も聞いた言葉。


 でも。


(違う)


 初めて。


(私の仕事だ)


 そう思えた。



「誰でもやれる仕事じゃないのに」


(柔らかに言うとそうだよね)


「誰かがやってくれないと困るからね」


 初めて言われた言葉。


「ありがとね、助かるわ」


 


 帰りの車。


 夕方。


 窓の外が、少し赤い。


 さっきの言葉を思い出す。


 (あんな風に言ってくれる人もいるんだ)


 たとえ社交辞令だとしても。


 私たちの、この仕事の意義。


 (……必要なんだよな)





「疲れたか」


「ちょっと」


「だろうな」


 一拍。


「でもまあ」


 ヒデさんが言う。


「任されたな」


(……)


「はい」


 静かに答える。


 その言葉の重さが。


 少しだけ分かった気がした。


 夕焼けが、ゆっくり沈んでいく。


 その中で。


 ほんの少しだけ。


 前に進めた気がした。


――黄昏バキューマーズ。

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