第三十一話 秘喪最終日④
レオンハルトが即答した。
迷いがない。
その声を聞いた瞬間、ベルは小さく息を吸う。
ここからが本題だった。
「……皆さん」
ベルは机を見回した。
七人の顔には、それぞれ違う色がある。
怒り。困惑。安堵。悔しさ。静かな覚悟。
けれど今だけは、その全部がベルを見ていた。
「私は王になりたいわけじゃありません。森で薬草を刻んでいた方が、ずっと好きです」
フロリアンが小さく笑った。
「知ってるよ」
「でも、私が逃げれば、誰かが代わりに犠牲になります。『正義』を掲げて、人を燃やす人間がまた出る。私はそれが嫌です」
ベルはレオンハルトを見た。
レオンハルトは何も言わず、ただ一度だけ頷く。
それを確認してから、ベルは言葉を選ぶ。
「だから、私が一時的に『王位』を受けます。——ただし、条件があります」
カシミールが目を細める。
「条件、いいね」
「私が選ぶまで、誰も私に強制しない。そして、私が選ぶ相手は——私が決めます」
母が静かに頷く。
その瞬間、ベルは『真名』をここでは言わないと決め直した。
『真名』は鍵。鍵は、渡すまで眠る。
眠らせたままでも、王位は決められる。
今この場で必要なのは、誰に渡すかではなく、誰にも奪わせないこと。
ベルはもう一度、机を見回した。
「皆さん。あなたたちは、王の子ではないかもしれない。でもあなたたちは、王が守ろうとした人たちです。なら、今ここで聞きたい。——あなたたちは、誰を王にしたい?」
最初に動いたのは、ルーペルトだった。
椅子を鳴らして立ち上がり、ベルを見る。
その目にはまだ怒りが残っている。
でも、その怒りはもうベルに向いていなかった。
「……ムカつく。お前、弱そうなのに強い。俺たちが三十日で壊れかけたのを、折らずに立て直した。火事の時も、俺が殴る相手を間違えたのを止めた」
ルーペルトは吐き捨てるように言って、一拍置いた。
「だから——お前が王でいい。……いや、王になれ。お前なら、俺を使える」
乱暴な承認だった。
でも、ルーペルトらしい誠実さでもあった。
使える、と言いながら、差し出しているのは自分の剣だ。
次にフロリアンが、少し困ったみたいに笑いながら立ち上がる。
「僕も同じ。僕は、ベルに救われた。——恋じゃなく依存だったって言われた時、正直すごく恥ずかしかった。でも今は、あれを切ってもらえて楽になった」
そこで一度、ベルを見る。
「だから僕は、ベルを選ぶ。ベルが『決める』って言うなら、僕はそれを尊重する。……僕はもう、誰かを救ってる自分に酔わない」
ルーペルトが静かに立ち上がる。
「俺は——疑われるのに慣れてる。だがベルは、俺が折れないように言葉をくれた。書類改竄を止め、証拠を積み、俺の名誉を守った。俺はベルを王として支持する。感情じゃない。手順を守れる人間が王になるべきだ」
その言葉は、ルーペルトらしく硬かった。
硬いぶんだけ、揺るがない。
ヨアヒムが手を組み、立ち上がる。
祈るようでいて、祈りだけでは終わらない声。
「私は正しさを信じてきた。だが正しさは、時に人を縛る。ベルは『決めるのは自分だ』と言い続けた。自由を守る正しさを持つ者が、王座に座るべきだ。だから私はベルを選ぶ。そして誓う。——ベルの自由を侵す者に、私は味方しない」
カシミールが笑った。
「みんな真面目だね」
軽口だった。
でも、目は少しも笑っていない。
「僕はベルを選ぶ。理由?簡単。ベルは自分で決めるって言った。——それはこの王宮で一番怖い力だ。怖い力を、正しく使える人が王になるべきだよ」
最後にコンスタンティンが立ち上がった。
小さな体なのに、目は揺れていない。
「僕もベル姉さんを選ぶ。僕は、偽蜜蝋で潰されそうになった。怖かった。泣いた。でもベル姉さんが『あなたは悪くない』って言ってくれた。兄上も守ってくれた」
コンスタンティンはそこで唇を引き結び、それでも続けた。
「……だから、僕はベル姉さんが王になるのが一番いいと思う。ベル姉さんなら、僕みたいな子を見捨てない」
小さいのに、まっすぐな声。
その一言で、会議室の空気がまた少し変わる。
誰かを選ぶ言葉が、ようやく恐れではなく意志になったのだと。
ベルは喉の奥が熱くなった。
泣きたくないのに、目の奥がじんと痛い。
ここで泣いたら、せっかく自分で選んだ言葉まで、全部弱くなる気がした。
そして、最後に残ったのはレオンハルト。
レオンハルトは立ち上がらず、座ったままベルを見た。
その目は、ずっと前から結論を持っていた目。
迷いも、ためらいも、今さら捨てる覚悟も、全部そこにある。
「全員一致だ」
低く、揺れない声。
「ベルを王にする」
ベルは息を吸った。
胸が苦しい。
苦しいのに、逃げないと自分で分かる。
ここまで来たのは、自分の足。
レオンハルトは続けた。
「俺たちは、王の子ではないかもしれない。だが俺たちは、この国の『次』を守る責任がある。ベルはその中心に立てる。……そして、ベルが選ぶ相手を、俺は待つ」
最後の一文だけ、ほんのわずかに声が落ちた。
その落ち方が、ベルには分かった。
待つと言いながら、簡単には手放さない声。
ベルは視線を逸らした。
ここで『真名』は言わない。
言わないまま、でも、言葉だけは返したかった。
「……ありがとう」
たったそれだけ。
なのに、その一言でレオンハルトの目がほんのわずかに緩む。
張りつめていたものが、糸一本だけほどけたみたいな変化。
母が机の前に立ち、静かに宣言した。
「なら、決まったわね。ベルが王位を受ける。七人はベルを支え、ベルが選ぶ相手と共に国を治める」
ジークムントはドサッと椅子にもたれ、天を仰ぐ。
その目は敗北の目ではなく、『計画が折れた』目。
負けを悔しがるより、自分の論理が最後まで届かなかったことを見つめる目だった。
ベルは一つだけ言った。
「ジークムント殿下。あなたを罰したいわけじゃない。……でも、あなたがやったことは消えない」
ジークムントがゆっくりとベルに視線を向け、薄く笑った。
「消えるものなど、最初からいらない」
その一言が、最後まで冷たい。
だからベルも、それ以上は何も言わなかった。
ここで言葉を重ねても、彼の冷たさが溶けることはないと分かっていたから。
会議が終わり、皆が散った後、ベルは廊下の窓辺に立つ。
噴水の音が遠い。
喪布越しの光が薄い。
終わったはずなのに、胸の鼓動だけがまだ会議室の続きをしている。
レオンハルトが後ろに来た。
足音で分かってしまう。もう、分かりすぎる。
近づいてくるだけで、呼吸の間まで分かる気がして、ベルは少しだけ困る。
「ベル。答えは急がない」
「……知ってます。私は、自分で決めたい」
「ああ」
レオンハルトは頷く。
それから、少しだけ声を落とした。
「だが、俺の好意は伝えた。撤回しない」
「……」
「用がないと来てはダメなのか、と言ったな」
「言いました」
「用はある。お前の無事を確認する用だ。——そして、選ばれる努力をする用だ」
ベルは一瞬だけ笑ってしまった。
笑ってしまうのが悔しい。
こんな時でも、この人は真面目な顔で少しずれたことを言う。
「努力って」
「お前が嫌がることはしない。強制もしない。だが、逃げない。お前が決めるまで、ここにいる」
「……重いです」
「知っている」
「知っててやるんですね」
「そうだ」
ベルは窓の外を見た。
噴水の白い線が揺れる。
揺れているのに、切れない。
その様子が、今の自分の胸の中みたいに。
『真名』はまだ言わない。
言うなら、自分が決めた瞬間に、誰にも脅されず、誰にも奪われず。
王位のためでも、国のためでもなく、自分の意志で。
「……分かりました」
レオンハルトが一歩だけ近づく。
距離が近いのに、触れない。
触れないまま、言う。
「ベル。お前が王になっても、森の匂いを忘れるな」
「忘れない」
「なら、俺はそれでいい」
甘い言葉じゃない。
でも、これがレオンハルトの甘さ。
王宮のきらびやかな言葉より、ずっとこの人らしい。
ベルは心の奥で結び目を確かめた。
鍵はまだ眠っている。
眠ったままでも、今日、王位は決まった。
そしてベルは確信した。
自分で選ぶ余白は、守れた。
守れたから、次に渡す鍵は誰にも奪えない。
急かされても、囲まれても、王であることに飲み込まれても、それだけは手放さない。
次に選ぶ時は、自分で選ぶ。
自分の名前も、未来も、ただ一人も。
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