第三十話 秘喪最終日③
ベルはそこで畳みかけなかった。
畳みかければ、彼は言葉で逃げる。
言葉の強い人間を追い詰めるには、理屈じゃなくて、自分が一番知られたくない顔を鏡みたいに返す方がいい。
「ジークムント殿下。あなたは被害者じゃない。被害を武器にした」
ベルは静かに言った。
会議室の空気が凍る。
ルーペルトが椅子を蹴って立ち上がった。
「てめえ——」
レオンハルトが手だけで制すと、ルーペルトが止まる。
怒りを預ける、その約束を守った。
ジークムントはゆっくりと笑った。
笑っているのに、目は少しも笑っていない。
「証拠は?」
「あなたが『王政廃止』を遺言不成立に導こうとしたことが、証拠です」
「思想の表明が罪だと?」
「思想じゃない。手順です」
ベルは言い切った。
「全員一致が得られなければ王政廃止。それを狙ったのが偽蜜蝋、改竄、火事未遂。合議が割れればいい。私を隔離すればいい。疑心暗鬼になればいい。誰も王を選べなくなれば、あなたの理屈だけが残る」
「推測だ」
「推測じゃない」
ベルは一歩も引かなかった。
「あなたは会議を割るために『ベルを外せ』と書かせた。私を外せば全員一致は不可能になる。——私は八人目。私を欠けば合議は成立しない。そのことを、この部屋で一番早く理解していたのはあなたです」
「……」
「あなたは耳を失いかけて、王宮に壊されたと思った。だから王宮ごと壊す側へ回った」
言い終えた瞬間、ベルは自分の鼓動が大きくなるのを感じた。
でも目は逸らさなかった。
ここで逸らしたら、また全部が言葉の霧へ戻ってしまう気がした。
ジークムントの口元から、微笑みが消えた。
残ったのは、冷たい目だけだった。
けれどその冷たさは、追い詰められた人間のものじゃない。何かを諦めた目でもない。
——決めた目だ。
「……そうだ」
低く落ちたその一言に、会議室の空気が凍る。
誰もすぐには息を継げなかった。
「私が黒幕だ、と言いたいのか?」
「あなたが言っているんです」
ベルは淡々と返した。
声を荒げたら負ける。今ここで感情に引きずられたら、また彼の理屈に飲まれる。
ジークムントは肩をすくめた。
「私は『王政の終わり』が正しいと考えただけだ」
「思想?ずいぶん立派だね。人を燃やして、紙を汚して、子どもを泣かせて?」
カシミールが笑う。
軽い笑いだったのに、言葉だけが鋭い。
ジークムントの視線が、まっすぐカシミールに刺さった。
「犠牲は必要だ」
「必要じゃない」
ベルが言った。
「犠牲を『必要』と言う人間は、自分が犠牲にならない位置にいる」
ジークムントの目が一瞬だけ細くなる。
その細さは怒りではなく、刺された人間の反応だった。
「……お前が言うな。王の娘。魔女の血。『真名』の鍵。お前が存在する限り、王政は終わらない。だから私は、お前を隔離しようとした」
「終わらせるために?」
「そうだ。お前がいる限り、誰かが王位を欲しがる。お前が鍵である限り、国は鍵穴を巡って壊れる」
ベルは息を吸った。
彼は『真名』を知っているように話す。
でも、ベルの『真名』そのものは口にしない。口にできない。
そこに、ベルが守ってきた線がまだ残っている。
その時、レオンハルトが立ち上がった。
椅子の脚が床を擦る小さな音だけで、全員の視線がそちらへ集まる。
「ジークムント。お前は『王政廃止』を狙った。だが、父上の遺言は半分で終わっていない」
低い声。
断定の声だった。
「父上は遺言を二つに分けた。ベルが来た日に読ませたのは前半。続きは——」
レオンハルトが扉へ視線を投げる。
「ここにある」
扉が開いた。
音もなく、けれど場の空気を一変させるように入ってきたのは——アーデだった。
いや、アーデの通称で生きてきた、『真名』を持つ西の魔女。
ベルの母。
王宮の空気が、ひび割れる。
「久しぶりね、ベル。元気そうでよかった」
アーデは静かに歩き、机の前に立った。
その目は、まっすぐベルだけを見ている。
責めるでもなく、試すでもなく、ただそこにいることを確かめる目だった。
ベルは立ち上がりそうになって、堪えた。
喉が詰まる。言葉が出ない。
会いたかったのか、怒っているのか、自分でも分からないまま胸の奥だけが強く鳴る。
そんな娘の様子を見て、アーデはほんの少しだけ微笑んだ。
それから視線を横へ移す。
「ヨハン。あなたも相変わらずね」
「……お久しぶりでございます、アーデ殿」
執事長——ヨハンは、わずかに目を伏せた。
その仕草に、長い時間守ってきたものの重さがにじんでいる。
「遺言の続きを、あなたが守れたのね」
「陛下のご遺志でしたので」
母は小さく頷き、持っていた箱を机へ置いた。
封蝋は黄金。だが、偽蜜蝋の甘さがない。
澄んだ蜂蜜の香り。乾いた、潔い香り。
ベルの鼻が、一瞬で『本物』だと叫ぶ匂いだった。
「……本物」
「ええ」
母が頷く。
「これは私が持っていた。本物の封蝋は、私の手元にしか置かないと決めたから」
「魔女が遺言を握る。——滑稽だな」
ジークムントが低く笑う。
だが母の声は静かで、その静けさがいちばん怖かった。
「滑稽なのは、あなたが『鍵』を奪えると思ったこと」
「……」
「ベルは、選ぶ。選ぶまでは誰にも渡さない。『真名』も、王位も、未来も」
その言葉で、ベルの胸の奥の結び目が、きゅっと締まる。
そうだ。決めるのは自分だ。
誰かに急かされても、囲まれても、怖がらされても、それだけは渡さない。
母が箱を開ける。
中に羊皮紙。
王の筆跡。
アーデは読み上げた。
『余は、ベルを我が正当な子女として認知する。
余が愛したのはただ一人、アーデルハイトであり、彼女の番となった。
よって余は、彼女以外の誰とも子を成せない。
王妃たちの安寧のため、余は遺児を引き取り王子として育てた。
七人は余の子ではないが、余の意志であり、余の誇りである。
そして——』
母は一拍置いた。
その沈黙に、誰も口を挟めない。
『王位は、ベルが選び、ベルに選ばれた者と共に治めさせる。
ベルが『ただ一人』を決めるまで、誰もベルを強制してはならない。
強制した者は、王位から永遠に排除される』
読み終えた瞬間、会議室から音が消えた。
誰も動けない。
遺言は、結論であると同時に、最後の線引きだった。
ベルはその線の真ん中にいる。けれど、今度は流される側じゃない。
選ぶ側として。
会議室が静まり返る。
『強制した者は永遠に排除』——つまり、ジークムントは自分で自分を詰ませた。
その意味が全員に落ちるまで、ほんの一拍、誰も動けなかった。
次に空気が動いた時、ジークムントの顔が初めて歪んだ。
怒りでも、動揺でもない。
もっと深いところに刺さった時の歪みだった。
「……そんな条件、誰が守る」
「守らせるわ」
母が淡々と言う。
静かな声なのに、その一言で部屋の温度が変わる。
「あなたが破ろうとしたから、こうして私が出てきた。そして、私にはそれだけの力がある」
「ジークムント。お前はベルを隔離しようとした。——それは強制だ。遺言により、お前に王位の資格はない」
レオンハルトが静かに言うと、ジークムントの乾いた笑いが響いた。
「王位?私だけじゃない。ベル以外、誰一人王の子でもないのに?」
「だからこそ、あなたは『王政廃止』を正義にできた。——でも、その正義のために誰かを踏みつけた。あなたの正義は、王位より先に、人として欠けた」
ベルが言うと、ジークムントはしばらく黙り、やがて肩を落とした。
諦めたようにも見えた。けれど、諦めた人の静けさではない。
最後まで自分の理屈を手放さない人の、冷えた沈黙だった。
「……いいだろう。なら、終わらせろ。王政を」
「終わらせない。父上の遺言は『合議が成立しない場合』に廃止だ。今、合議は成立する」
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