第七話
お兄ちゃんが死んだ。首をつって、部屋で死んでいた。
私は今、児童相談所にいる。うちは、見ての通り、ひどい家だから、色々と、聞かれてる。聞かれたくないことも、いっぱい。
「…そっか、辛かったね」
なんで、今更、そんな気を遣われなくちゃいけない。遅いんだよ、もう全部。もう少しでも早く来てくれれば、お兄ちゃんは死ななかったかもしれないのに。
「いたっ」
重ねた手に力が入りすぎて、爪が食い込んで、血が流れた。相談所の人がばんそうこうを取りに行った。
「なんなの、もう」
限界だった。唇が震えて、泣きたいのに泣けない。宙ぶらりんな感情のまま、苦しい胸はずっと苦しいままで、その癖に夢みたいな現実感のなさで、訳が分からなくてどこにも行けない感情の波がざぶんざぶん。
「…え?」
だから、それがおかしなことだって、最初は気づかなかった。ちょっとだけ遅れて、私は驚く。私の手に包帯が巻かれていた。血が滲んで、少しだけ赤く染まったそれを見て、私は小さな声を出す。
「お待たせ…って、包帯持ってたの?」
相談員の人がそう言ったのを聞いて、これが夢じゃないことに気付く。
それからはもう、相談員の話なんて耳に入ってこなかった。私は超能力を手に入れたんだ。漫画みたいな、特殊な力を手に入れたんだ。その実感に、興奮してくる。
この力で絶対に、いつか、必ず、復讐してやる。この腐った世界に。お兄ちゃんを殺した、この世界に。
*
「はっ、はっ、もう一回!」
一か月後、僕はすっかり、一さんから課される訓練には慣れきっていた。魔力の扱いは格段に上手くなったと自負しているし、持久力の方は明らかな数字として、結果が出ている。
「…マジで、怖いね君。私の千年に週で追いつきかけてるとか、勘弁してよ」
そう、一さんは言うけど、実際のところ、僕の成長は高みに昇るにつれ、鈍化していっている。良い訳じゃないけど、大体の分野で頂点っていうのは決まっている。上に行くにつれ、実力差なんて誤差みたいなものになっていくことを僕は経験で知っていた。
「忘れていない?君はまだ、まともに魔法を扱っていないんだよ」
僕がそう言うと、一さんは指摘した。一瞬だけ首を傾げた後、僕は気づく。僕が今扱っている魔法は、魔力という剥き出しの代物を、剥き出しのまま扱っているだけ。魔法には、その先がある。
「君は、魔女集会に行くべきだ。この先のステージに行きたいならね」
「だけど、あれって招待制でしょう?招待状が届かなきゃ、足を運んでも意味ないですよ」
僕が言うと、一さんはからからと笑った。心底おかしそうに。
「まさか、招待状の有無で全部判断するとでも?君を見て、追い返す様だったら集会もたかが知れてるさ。その時は独学で学んだ方がマシだし、不幸中の幸いと思えばいい」
「確かに、僕が駄目なら、誰も入学なんて出来ないか」
「…いやさ、実際そうなんだけど、謙虚さとかないわけ?」
謙虚?充分僕は謙虚な方だと自負しているけれど。事実天才なんだから謙遜する方が傲慢じゃない?
「ぶん殴ってやりたいなこいつ…」
殴られる前に話を変えよう。
「そういえば、一さんはいつまでここにいられるんですか。大陸に戻る前に、盛大にお別れしたいと思っているんですが」
「今日だよ」
…今日?聞き間違いかと思って聞き返してみる。
「うん、今日まで、だよ。随分とここには長居しすぎた。君といるのが楽しすぎた。だけど、これ以上いると覚悟が出来なくなりそうだから、ここで、お終い」
そんな、随分、急な話で、うまく言葉が出ない。ああ、ようやく会えた、僕と対等に、嫌、僕より格上の彼女がいなくなってしまうことに、僕は酷く動揺して、変な声が口から漏れ出る。
「そんなに、悲しまないでよ。また、必ず会える。その時は、この私じゃないだろうけどね」
気安く、言ってしまう一さんに、どうしようもなく悲しい気持ちが湧き出てくる。この人は、なんで、ずっと、この世界に来ていたのか、今更理解してしまったから。
借りを返しに来た、と彼女は言っていた。だけど、そのために、何回も、何十回も、もしかしたら何百回も、訪れるたびに、未来に行くか過去に行くかも分からないのに、いつか僕を助けるために、それを繰り返してくれていたことの重さに、僕は本当に今更、気づいてしまった。
「うっ、う、う、うう…」
「あれ、どうしたの?そんなに寂しい?泣かないでよ」
泣き出してしまった僕を、一さんは宥めてくれた。だけど、涙は止まらなかった。
だって、僕は、この人のことが好きになってしまっていたから。いずれ別れると知っているのに、一さんのことが好きになってしまったから。
「…だ、だいじょうぶ、大丈夫、です」
「本当に?本当に大丈夫なの?」
おろおろとしている一さんがおかしく思えて、ようやく僕は泣いたままだけど、少し笑えた。
「今まで、ありがとうございました。だから、また、会いましょう」
「…うん、待っていて。そして、未来の私を、助けてあげて、ね」
そのまま、手を振って、僕たちは別れた。
これは、今生の別れじゃない。だから、別れも、これだけ軽い物で良い。いつか、また出会えるのだから。またいつか、出会うんだから。
*
「入学希望者ぁ?」
開口一番、素っ頓狂な声を上げられた。一さんと別れてすぐに、僕はヨーロッパに渡った。魔法学校の場所はある程度予想がついていた。そして、その想定は当たっていた。詳しい場所は伏せるけど、大都市の路地裏に、空間移動するためのポイントがある。そこを通ればあら不思議、魔法学校に到着です、といった感じ。
「良く招待状も無しに見つけられたね。その時点で入学の素養はあると言っていいけど、とりあえずは実力を見せてもらおうかな」
まあ、実際、招待状がなきゃ気づくようなことでもないんだろうね。だけど、魔力の扱いに長じているなら、魔力の残滓みたいなものはかすかに見える。その場所を追っていけばいいだけのこと。
だからこそ、この人、アナリリスさんと言ったっけ、は僕に素養はあると断言したけど、今の実力、というか魔法にどの程度出力があるのかは分からない。だから、僕にそう言ったのだろう。
「ほら、的に撃ってみて」
そう言って、彼女は無から人型の的を生み出した。成る程、威力と精密性を両方測るって訳か。なら、とりあえず、今の実力を隠さず、示そうか!
「…うぇ?」
僕が魔力の弾を放つと、彼女はまたそんな、素っ頓狂な声を上げた。随分と愉快な人らしい。
幸い、僕の狙いは決まっていた。頭部を狙って放った魔力弾は無事命中し、その勢いで的を破壊した。威力と精密性を示せるって訳。
「単なる魔力量の多さじゃない、魔力の扱いが極めて上手いって感じだね。リリアネットの生まれ変わりみたいな奴だなあ、君」
驚いてはいたけど、あくまで、新入生にしては凄かった、程度の驚きだったらしい。最もそうじゃなきゃはるばる来た意味もないけど。そんなことより、彼女が出した名前が気になった。
「リリアネット?」
「…聞かなかったことにしといて。姉さんにカンコーレー出されてたんだ」
アナリリスさんは分かりやすく、顔を背けて、僕に表情を気取られないようにした。面白いぞこの人。
「あら、またかわいい子が来たものね」
すると、そこに幼い少女が現れた。呑気にかわいい子だと思いたいところだけど、アナリリスさんの後姿で、彼女が焦っているのが分かった。
「アナリリス、罰の追加よ。門の再調整をしてきなさい。彼のような特例が、襲撃者じゃないとも限らないから、ね」
こういう時の相場は決まっている。少女に見せかけて、実は長い時を生きているってパターンだ。
「ようこそ、歓迎するわ、二条院空くん。見ていたわ、あなたのことは。もっとも、この街に訪れてから、だけどもね」
その口振りから、彼女が千里眼のような力を持っているのが分かった。嫌、もしかすると、彼女自身の力じゃないのかもしれない。例えばそういう、道具みたいなのがあって、誰しもがその力を使える、みたいな。
その発想に至った瞬間、彼女は僕の心を読んだかのように、にこりと笑った。
「私はリリスター、この学園の長。それに、【長女】とも呼ばれているわね」
リリスター、その名は生憎知らないが、長女という異名は聞いたことがあった。魔女集会の創設者だ。ならさっきのアナリリスさんは、【次女】か。魔女集会の2トップ。全く、最初から驚かせてくれる。
「さあ、こちらへ。魔法の深淵を、君に見せてあげる」
心躍る、そんな一言と共に、僕の魔法学校での生活が始まった。
*
「…ようこそ、挨拶が遅かったじゃあ、ないか。別に気分を害しちゃいないが、疑問はあるね。なんで、あんたは僕の監視に気付いていながら、放置していた?」
一方、二条院家では、空の兄である海辺が、応接室にてとある人物と会っていた。
「なあ、一さん」
その人物は一、彼女は動揺した様子はなく、ただ目の前の海辺を見据える。
「どうも、海辺くん。どうしても君に、伝えなきゃいけないことがあってね」
そして、彼女は、海辺に告げた。
「七天院タクトは生きている」
「…へえ」
先日、葬儀が挙げられたばかりの、海辺の親友の名を出した一だったが、海辺もまた、動じずに相槌を打つ。
「驚かないの?」
「驚く理由がない。おじさんは不死の実験が成功する確率は一割と言っていた。そこからタクトを生きながらせられる方法を見つけられる確率を仮に一厘と仮定したとしても、そりゃ、並行世界のどこかでは生きているだろうさ」
彼女が異世界から訪れていると、監視の目から知っていた彼は、一が驚くべき情報を握っていると察していた。故に、たった一つの言葉では驚く余地はない。
「問題は、そのタクトを僕たちはタクトと認識できるか、だろう。並行世界と言っても種類がある。僕らが僕ら足りえていない世界で生きていても、それは意味がなさすぎる」
そして、彼にとって、それは喜ぶべき情報なのかにさえ、疑問を呈していた。
「安心して。私の知っている彼は恐らく、君たちが知っている彼が成長した姿と考えて相違ないよ」
「何故分かる」
迷いなく答える一に、彼は問う。
「彼の病室に足を運ばせてもらった。そこですでに私は、腕氏と会っている。そこで、色々と聞かせて貰ったから」
「…ならこれ以上の無駄話は必要ないね。あなたは僕に何を求める?」
一の発言を咀嚼し、彼女の発言が蓋然性が高いと理解した海辺は、再度、彼女に問う。
「彼を助けて」
一の一言に、海辺は息を呑んだ。
「六年後、彼は日本に戻ってくる。だけど、彼の命は風前の灯火だ。だから、君と彼の親友たちが支えてやってほしい」
そして、続いた一の言葉に、海辺は数舜だけ、考え込むようなしぐさを見せながら、何度も、頷き始めた。答えに辿り着いたように。
「…あー、あー、大体わかった。そうなるのか、永らえた命は完全じゃない。何か大事なパーツが失われる、それを取り戻さなきゃならない。ああ、そうか、そうだ、全部、分かった」
自己完結するように、何度も何度も独り言を呟く海辺、その様子を見て、一は安心したように胸を下ろす。
「感謝するよ、ハジメさん。あなたのおかげで、世界は生き続けられる」
「…いいよ、気にしないで。これは私のためでもあるし」
海辺は礼を言って、一は首を振ってから、立ち上がった。この場を去るために。
「タクトくんは、私の恩人でもあり、友人でもあるんだから」
そう言い残して、一は二条院家を、そして今度こそ、日本を後にした。




