# Chapter 01 - Ep06: メンバー募集
* * *
◆01◆
『Polaris』。
名前が決まり、ロゴが決まり、いくつかの曲のデモも形になってきた。
私たちは順調だった。
……そう、思っていた。
ある日の練習後。
澪さんが、ミックスダウンが終わった音源を再生しながら、ぽつりと呟いた。
「足りない」
「え?」
私はギターを拭く手を止めた。
「何がですか? 低音?」
「いや、周波数帯域の問題じゃなくて」
澪さんは眉間にしわを寄せ、モニターを指差した。
「人間が足りない」
「リソース……」
「ドラムとベース。あと二人必要」
「ああ……そうですね」
私は深く頷いた。
現在、私たちの音源は、澪さんがプログラムした打ち込みのドラムとベースを使用している。
それは驚くほど精巧で、一聴しただけでは人間と区別がつかないレベルだ。
けれど。
「ライブ、やりたいでしょ?」
澪さんのその一言が、すべてだった。
ライブ。
観客の前で、生身の人間として音を鳴らすこと。
打ち込みの音源に合わせて演奏することもできるけれど、それでは私たちが求めている「熱」は生まれない気がした。
あの地下室で、アイコンタクト一つでテンポが揺らぎ、感情が爆発するあの一瞬。
あれをステージで再現するには、やはり人間の手が必要だ。
「募集、かけましょうか」
「うん。チラシを作る」
澪さんは即座にノートパソコンを開いた。
またしても仕事が早い。
「デザインは任せて。とびきりクールなやつにする」
「え、ちょっと不安……」
数分後。
「できた」
「早っ! どれどれ……」
私は恐る恐る画面を覗き込んだ。
そこには、真っ黒な背景に、細い白い明朝体でこう書かれていた。
『WANTED: Musicians. Code: Polaris.』
その下に、QRコードがひとつ。
以上。
「……あの、澪さん?」
「何?」
「これ、怪文書ですか?」
「シンプルで合理的なデザイン。
余計な装飾を排除して、本質的なメッセージだけを伝達する」
「いやいやいや! 怖すぎますって!
深夜にポストに入ってたら警察に通報するレベルですよ、これ!」
これじゃ誰も応募してこない。
むしろ、大学内で都市伝説になりかねない。
「もっとこう、バンドの雰囲気とか、ジャンルとか、書かないと……
『初心者歓迎』とか『楽しくやりましょう』とか」
「情報はノイズになる」
澪さんは頑なだ。
「それに、初心者はいらない。
私のトラックについてこられない人間は、足手まといになるだけ」
「言い方……!
でも、せめてもう少し、人間味を出しましょうよ」
「人間味……」
澪さんは不服そうに唇を尖らせたが、しぶしぶ修正作業に戻った。
◆02◆
一時間にも及ぶ激論の末、完成したチラシは、少しだけマイルドになった。
背景は黒のまま(ここは澪さんが絶対に譲らなかった)だが、中央には先日作った『Polaris』のロゴを配置。
その下に、募集パート(Bass, Drums)と連絡先アドレス。
そして、澪さんが「必須条件」として以下の文言を追加した。
『求む:対位法的アプローチへの理解、および変拍子への柔軟な適応能力を有する者』
「……あの、澪さん?」
「何?」
「これ、音楽の授業ですか? それとも入試?」
「最低限のフィルタリング。
これくらいの用語に引くようなら、私たちの音楽にはついてこれない」
「いや、引くっていうか……普通に怖いですって」
「怖くない。本気なだけ」
澪さんは涼しい顔で言った。
私が提案した『アットホームな雰囲気です!』という文言は、秒速で却下された。
「温いお湯に浸かりたいなら、温泉サークルに行けばいい」だそうだ。
「はぁ……まあ、変な人は来なさそうですけど」
「変な人(=凡人)はいらない。欲しいのは、規格外」
結局、その「厳しすぎる」チラシが採用されることになった。
「あと、これも」
澪さんは続けてブラウザを開き、国内最大手のSNS『Pulse』のログイン画面を表示した。
「パルスでも募集かけるんですか?」
「当然。チラシは局地戦、SNSは広域爆撃。両面から攻める」
迷いないタイピングで新規アカウントを作成していく。
IDは『Polaris_Official』。
さっきのロゴが、ここでもアイコンとして輝く。
--------------------------------------------------
Polaris_Official
【メンバー募集】
当方、KeyとGtVo。
求む、DrとBa。
初心者不可。
求む、規格外。
#Polaris
--------------------------------------------------
「……澪さん」
「?」
「ちょっと、圧が強すぎません……?」
「怖くない。本気なだけ」
ダメだ、聞こえてない。
クリエイターモードに入った澪さんは、制御の効かない暴走プログラムだ。
目的のためなら、周囲のドン引きなどノイズとして自動消去してしまうらしい。
私は半ば諦めて、無言のジト目で彼女の横顔を睨んだ。
けれど、当の本人はどこ吹く風で、エンターキーを軽快に叩く。
「投稿完了。これで、デジタルとアナログ、両方の弾が装填されたわけだ」
私たちはデータをUSBメモリに移し、大学の購買部へと向かった。
夕方の購買部は、コピー機の前に行列ができていた。
レポートの締め切り前なのだろうか、死んだ目をした学生たちが分厚い資料を印刷している。
「並ぶの、嫌い」
澪さんが小声で文句を言う。
「我慢してください。社会勉強です」
十分ほど待って、ようやく私たちの番が回ってきた。
澪さんが操作パネルをタップする。
「用紙設定、A4。カラーモード、モノクロ」
ウィーン、ガシャン。
ウィーン、ガシャン。
排出トレイに、漆黒のチラシが次々と吐き出されていく。
周囲の学生が印刷している真面目なレポートの山の中で、私たちのチラシだけが異様なオーラを放っていた。
「目立つな」
澪さんが満足そうに言った。
「悪目立ちですけどね……」
印刷された50枚のチラシ。
まだ温かいその紙の束は、ずっしりと重かった。
これが、私たちの「招待状」だ。
◆03◆
学生会館の掲示板は、カオスだった。
一階のロビーにある巨大なコルクボード。
そこは、大学中のありとあらゆる欲望と勧誘が渦巻く場所だ。
『テニスサークル!飲み会メイン!女子マネージャー急募!』
『演劇部、新人公演キャスト募集。未経験者歓迎』
『ボランティア活動、単位認定あり。就活に有利!』
『家庭教師バイト、時給2000円〜』
色とりどりの紙が、隙間なく貼られている。
蛍光ペンで強調された文字。
笑顔の学生たちの集合写真。
古いチラシの上に新しいチラシが重ねられ、画鋲の跡だらけだ。
そこには、「青春」のすべてが詰まっているようで。
同時に、どこか空虚な響きがあった。
「どこに貼ろう……」
私はチラシの束を抱えたまま、立ち尽くした。
こんな情報の洪水の中に、私たちの小さな星を紛れ込ませて、誰かが見つけてくれるのだろうか。
「ここ」
澪さんは迷いなく歩き出した。
掲示板のど真ん中、一番目立つ場所。
そこにあった『ダンスサークル・パリピ募集・BBQやります!』という派手なチラシ。
「えっ、そこ埋まってますよ」
「期限切れ」
よく見ると、ダンスサークルの募集期限は昨日までだった。
澪さんは容赦なくそのチラシを剥がし(丁寧に二つ折りにしてゴミ箱へ捨てた)、空いたスペースに私たちの『Polaris』のチラシを貼り付けた。
画鋲を押し込む、プチッ、という音。
黒い紙に、白い星のロゴ。
そして、挑発的な募集文句。
周囲のカラフルで楽しげなチラシの中で、そこだけが異質な空間のように浮いている。
光を吸い込むような、完全な黒。
「……目立ちますね」
「目立たなきゃ意味がない」
「良くも悪くも、ですけど」
周りの学生たちが、ちらちらと見ている気がする。
「何あれ?」「怖っ」「宗教?」なんて囁き声が聞こえてきそうだ。
私は少しだけ縮こまったけれど、澪さんは堂々と胸を張っていた。
「よし。種はまいた」
彼女は満足そうに頷き、踵を返した。
その背中は、「来るべきものが来るのを待つ」という強い意志に満ちていた。
◆04◆
それから、一週間が過ぎた。
「……来ませんね」
昼休みの学食。
私はスマホのメールボックスを更新し続けていたが、新着メッセージはゼロのままだった。
「想定内」
澪さんは向かいの席で、カロリーメイトをかじりながらタブレットを見ている。
「想定内って……一通も来ないんですよ? もう一週間ですよ?」
「あの掲示板のコンバージョン率(CVR)は、平均0.3%と推定される。
閲覧数が1日1000人として、7日で7000人。
確率的には20人くらい反応があってもいいけど、私たちのチラシはフィルタリングが強いから」
「フィルタリングって、あの厳しい募集条件のことですよね」
「厳しくない。最低限」
澪さんは譲らない。
昨夜、私はお風呂に入りながら、ずっと考えていた。
もしかして、アドレスが間違っているんじゃないか。
迷惑メールフォルダに入っているんじゃないか。
あるいは、誰かがいたずらでチラシを剥がしてしまったんじゃないか。
講義中も、スマホのバイブレーションが鳴るたびに心臓が跳ねた。
でも、画面を見るたびに落胆する。
お母さんからの「お米送ったよ。届いた?」というメッセージだったり、ニュースアプリの通知だったり。
スパムメールすら来ない。
待つ時間は、永遠のように長く感じられた。
「でも、やっぱりもう少し情報を書いた方がよかったんじゃ……」
「量より質。
適当な奴が来ても時間の無駄。ノイズはいらない」
それはそうかもしれないけど。
でも、ゼロは寂しい。
誰にも求められていないような、私たちの音楽が世界から無視されているような、そんな錯覚に陥ってしまう。
「あ」
澪さんが声を上げた。
「っ、来ました!?」
私は勢いよく身を乗り出した。
うどんのお汁が少し跳ねる。
「……いや、スパム」
澪さんは一瞬だけ画面を凝視し、それから冷たく首を振った。
「『音声サンプリングレートの異常を検出。OS v2.3パッチ適用を推奨』……むぅ。音楽ソフトの広告」
「紛らわしい……!」
私はがっくりと肩を落とし、テーブルに突っ伏した。
冷めたうどんが、ますます冷たくなっていく気がした。
「焦るな」
澪さんの声が、上から降ってきた。
「本当に必要な人間なら、必ず見つけてくる。
ポラリスは逃げない」
その言葉は、私に向けられたものでもあり、
澪さん自身に向けられたもののようにも聞こえた。
◆05◆
放課後。
私は一人で掲示板の様子を見に行くことにした。
もし剥がされていたら、貼り直そう。
もし他のポスターに隠れていたら、目立つ位置にずらそう。
そんな、ささやかな抵抗をするために。
夕闇が迫る学生会館。
サークル活動に向かう学生たちの笑い声が、廊下に反響している。
ギターケースを背負った学生や、ジャージ姿の運動部員たちとすれ違う。
みんな、自分の居場所がある人たち。
私には、まだない。
掲示板のあるロビーが見えてきた。
「……あ」
私は思わず足を止めた。
呼吸が、一瞬止まる。
私たちのチラシは、まだそこにあった。
誰かに剥がされることもなく、黒い穴のようにそこに存在している。
そして。
その黒い紙の前に。
誰かが、立っていた。
「……」
逆光で顔までは見えない。
でも、そのシルエットは、ただならぬ雰囲気を纏っていた。
周りの空気が、そこだけピンと張り詰めているような。
じっと、動かない。
行き交う学生たちが素通りしていく中で、その人だけが、私たちの『Polaris』を見つめていた。
(見ている……)
心臓が早鐘を打つ。
ただの通りすがりじゃない。
あの背中は、何かを探している人の背中だ。
私は、物陰からそっとその姿を見つめた。
予感がした。
この出会いが、私たちの運命を変えることになるという、確かな予感が。
* * *




