揺らがぬ忠誠
学年集会から半年近くが過ぎていた。
私は二年生へ進級している。
学園は表面上の平穏を取り戻していた。
カイルとオリバーの件は既に過去の事件となり、生徒達の話題に上ることも少なくなっている。
フェリクス様への疑惑も消えた。
ようやく息がつける。そんな気持ちだった。
気が付けば、以前より食事も取れるようになっていた。
ほんの少し前まで、まともに食卓へ向かうことすら苦痛だったというのに。
今では焼き菓子を一つ食べられる。
温かいスープを最後まで飲み切ることもできる。
わずかな変化だったけれど、私にとっては大きかった。
原因にも心当たりがある。
「またですか」
昼休み、机の上に置かれた小さな包みを見て、私は思わず笑った。
包みを開く。甘い香りがふわりと広がった。
中には蜂蜜を挟んだ焼き菓子が入っている。
「何のことだ?」
向かいへ腰掛けたライアン様は、涼しい顔で答える。
「これで六回目です」
「偶然だな」
「毎回ですのに?」
「不思議なこともあるもんだ」
全く悪びれる様子がない。
机の上に果物が置かれていたり。温かいスープが届けられていたり。
小さなサンドイッチが用意されていたり。甘いお菓子が置かれたり。
私がまともに食事を取れていないことに気付いていたのだろう。
けれどライアン様は一度も指摘しなかった。
ただ何も言わずに、食べられそうなものを置いていくだけだった。
私は焼き菓子を一口かじる。優しい甘さが口の中へ広がった。
「美味しいです」
ぽつりと呟く。
「それは何より」
ライアン様はいつものようにそれだけ言った。
何事もないことのように。
気付けば食べられる量が増えていた。
気付けば夜も少し眠れるようになっていた。
気付けば。
未来を考える時に、絶望ばかりを思い出さなくなっていた。
凍り付いていた心が、少しずつ解け始めている。
ライアン様といると、気持ちが楽になる。
だが。私は小さく首を振った。
考えてはいけない。
時間は戻ったが、私は戻っていない。
一般牢で過ごしたあの夜のことも私は忘れていない。
身体に傷は残っていない。
それでも。
私自身は以前の私ではない。
誰かの婚約者になることも、誰かの妻になることも、もう私には縁のない話だと思っている。
だから、期待してはいけないのだ。
◇◇◇
「お聞きになりましたか?」
近くを通った生徒達の声が耳へ入る。
「騎士科二年のラルフ先輩」
「まだ療養中らしいぞ」
「やっぱり骨折だったんだな」
「酷かったらしい」
生徒達の会話は続く。
「決闘だろ?」
「訓練場でやったやつ」
「でも変なんだよ」
「ラルフ先輩、決闘とか好きな人じゃないし」
「それに」
声が少し小さくなる。
「相手って……」
「やめておけ」
「面倒になるぞ」
生徒達はそれ以上何も言わず立ち去った。
嫌な沈黙が残る。
「ライアン様」
「ああ」
どうやら同じことを考えたらしい。
「少し調べてみよう」
◇◇◇
翌日、話はすぐに集まった。
ラルフ・エインズワース。
騎士科二年。成績優秀。素行にも問題はない。
そして決闘の相手。
セドリック・ハワード。
私は思わず息を呑んだ。
「理由は」
「はっきりしていない」
ライアン様は資料へ目を落とす。
「ただ」
「決闘の数日前」
「ラルフは友人との雑談で」
「殿下はフィオナ様に肩入れし過ぎではないか」
「そう発言していたようだ」
空気が冷える。
「まさか」
「まだ断定はできない」
ライアン様は静かに言った。
「だが妙だ」
「その発言の後に呼び出しがあり」
「決闘が行われ」
「結果として相手は長期療養」
嫌な予感が膨らんでいく。
「他にもある」
ライアン様は更に紙を置いた。
文官科の生徒。貴族科の生徒。どれも小さな事件だった。
「呼び出し」
「決闘」
「威圧」
「表向きは全て別件だ」
「だが妙な共通点がある」
「殿下やフィオナ様へ否定的な発言」
「その後のセドリックとの接触」
「そして」
ライアン様は資料を見下ろした。
「誰も証言しない」
背筋が冷たくなる。
「問題にならなかったのですか」
「なっていたさ」
ライアン様は静かに答えた。
「だが大事にならない」
「証拠がない」
「表向きは決闘だ」
「本人達も口を閉ざす」
「誰かが動こうとしても」
「その前に話が消える」
「妙だと思わないか」
ライアン様が静かに言う。
「もし事実であれば」
「これは、私刑だ」
私は資料を見つめた。
カイルは正義を信じていた。
オリバーは自分の理屈を信じていた。
そして、セドリックは忠誠を信じている。
だからこそ、自分が越えてはならない一線を越えていることに気付いていないのかもしれない。
◇◇◇
その日の夜。
私はライアン様と共にローゼンベルク家の応接室にいた。
セドリックについて調べた内容を共有する。
資料を読み終えたお兄様が眉をひそめた。
「決闘?」
「表向きは」
ライアン様が答える。
「だが実態は違う可能性が高い」
お兄様は資料を机へ置いた。
「肋骨骨折で長期療養」
「その前には威圧行為」
「教師への正式報告なし」
お兄様の表情が徐々に険しくなる。
「これは騎士のやることじゃない」
低い声だった。
「力で黙らせるのは騎士道じゃない」
私は黙って兄を見る。
王城騎士団に所属する兄だからこその怒りだった。
「お前はどう思う」
お父様が尋ねる。
「もし事実なら見過ごせません」
一切の迷いがない。
お兄様は立ち上がる。
「この件は俺に任せてください」
「騎士を名乗る者の問題です」
私は思わず顔を上げた。
「お兄様?」
「騎士の問題だ」
真っ直ぐな声だった。
「なら騎士である俺が話をする」
「セドリック・ハワードが」
「どこで道を間違えたのか」
「確かめてきます」
私は兄の横顔を見つめた。
翌日。セドリック・ハワードと兄が向き合うことになるとは。
この時の私はまだ知らなかった。
それが一人の騎士の在り方を問う戦いになることを。




