真実の編集者
カイル・グラントの正体が見えたとしても、それだけで勝てるわけではなかった。
あの男は直接手を汚さない。誰かに命令を下すこともなければ、自ら噂を流すこともない。
人々へ問いを投げかけ、正義を語り、善意を刺激する。
そうして生まれた疑念や怒りが独り歩きし、やがて世論と呼ばれる怪物へ姿を変える。
それがカイルの力だった。
だが私は、前回の断罪を思い返すたびに一つの疑問を抱いていた。
あの日、卒業式の日。大講堂へ集められた証言は、あまりにも整い過ぎていた。
まるで台本を読まされているかのように皆が同じことを言う。皆が同じ結論へ至る。
カイルだけでは、あそこまで綺麗な形にはならない気がしていた。
そこにはもう一人。別の役割を担う者がいたはずなのだ。
◇◇◇
ローゼンベルク侯爵家の執務室。窓の外では日が沈み始めていた。
机の上にはライアン様が集めた資料が並んでいる。
お父様が書類へ目を落としたまま言った。
「現時点で分かっているのは、カイルが世論を誘導しているということだけだ」
「はい」
ライアン様は静かに頷く。
「ですが、それだけで卒業式の断罪は成立しません」
「同感です」
私も口を開いた。
「前回の証言はあまりにも完成されていました」
単なる噂話ではなかった。
正式な記録だった。整った文章。整理された時系列。複数の証言。
あれらは即席で用意できる代物ではない。
誰かが編集していたと考える方が自然だった。
「ならば探すべきは噂ではなく証言だな」
お兄様が言う。
「ええ」
ライアン様も同意した。
「カイルが世論を作る人間ならば、その世論を証拠へ変換する者がいます」
その言葉に、私は静かに息を吐いた。
やはり同じ結論に辿り着いたらしい。
◇◇◇
数日後、学園内で新たな噂が生まれ始めた。
ライアン様が目を付けたのはフェリクス・ルートナーだった。
男爵家の嫡男で、騎士科一年の優秀な生徒だった。彼は講義中にこう発言しただけである。
『聖女候補とはいえ、過度な神格化は慎むべきではありませんか』
ただそれだけだが、時勢が悪かった。聖女候補を疑問視する。それだけで十分だった。
フェリクス様に関する噂は急速に広がり始めた。
最初は些細なものだった。
フィオナ様を快く思っていないらしい。
その程度だったはずなのに、気付けば。
平民を見下している。
聖女候補へ敵意を向けている。
危険人物である。
そんな話へ姿を変えていた。
その変化を見ながら、私は寒気を覚える。誰も嘘をついていない。
少なくとも本人達は、そのつもりはない。
ただ聞いた話を伝えているだけなのに噂は勝手に膨らんでいく。
そして、ライアン様は待っていたのだ。
世論が証拠へ変わる瞬間を。
◇◇◇
「協力者がいました」
「提出前の控えを保管していた生徒です」
放課後。図書館の一角で、ライアン様は静かに言った。
「証言書です」
私は思わず顔を上げた。
その夜、執務室に集まった私達の前へ、分厚い書類の束が置かれる。
お父様が眉をひそめた。
「これは?」
「学園へ提出される予定だった証言書です」
ライアン様は答える。
「フェリクス・ルートナーに関するものになります」
私は無意識のうちに拳を握っていた。
「興味深いのはこちらです」
ライアン様は二つの書類を並べた。
「原本と提出版になります」
「原本?」
お兄様が首を傾げる。
「証言者本人が提出した文書です」
そしてもう一枚へ視線を移す。
「こちらが整理後の正式版になります」
私は両方へ目を通した。最初は違いが分からなかった。
どちらも似たような内容だ。
だが。読み進めるうちに背筋が冷えていく。
原本。
『フェリクス君は講義中、聖女候補について疑問を呈していました』
提出版。
『フェリクスは聖女候補の正当性を否定していました』
私は顔を上げた。意味は似ているが全く違う。
前者は意見だが、後者は敵意になる。
「こちらもです」
ライアン様は別の証言を示す。
原本。
『私は直接見ていませんが、そのような話を聞きました』
提出版。
『同様の報告が複数確認されています』
お兄様が眉をひそめた。
「嘘ではないな」
「ええ」
ライアン様は頷く。
「だから厄介なのです」
更に書類が広げられる。
原本。
『フィオナ様は少し悲しそうでしたが、ご本人は気にしていないようでした』
提出版。
『フィオナ様は悲しそうな様子でした』
後半が消えている。
「本人は気にしていない部分が削られています」
私が言うと、ライアン様は静かに頷いた。
「都合が悪いのでしょう」
「なるほどな」
お父様が低く呟く。
「嘘を作っているわけではない」
「はい」
ライアン様は答えた。
「事実そのものは残しています」
「ただし」
そこで一度言葉を切る。
「都合の悪い事実を消し」
「都合の良い事実だけを残している」
部屋が静まり返った。
「反証を削っているのか」
お兄様が言う。
「まさに」
ライアン様は頷いた。
「そして残った断片を並べ替える」
そう言って更に数枚の紙を机へ置く。そこには複数の証言が並んでいた。
それぞれを単独で読めば大した内容ではない。だが集められると違う。
まるで一人の悪人像が浮かび上がる。
これは捏造ではない。
真実に嘘を混ぜているのではない。
真実の一部だけを選び出し、一つの物語へ作り替えているのだ。
読む者は疑わない。書かれている内容そのものは事実だから。
だが、全体像は全く違う。
「誰だ」
お父様が問う。
部屋の空気が張り詰める。ライアン様は最後の紙を置いた。
「編集を担当している人物です」
その名を見た瞬間、私は目を閉じた。予想通りだった。
「オリバー・ウェスト」
卒業式の日、証言書を抱えていた青年。
文官科首席。アレクシス殿下の側近。
そして、真実を編集する男。
「カイルが世論を作る」
お兄様が言う。
「オリバーが証拠に変える」
「そのようです」
ライアン様は頷いた。
「片方だけでは成立しない」
「だから二人は組んでいるのでしょう」
そこで私はようやく理解した。
前回の私は、カイルに敗れたのではなかった。
カイルが生んだ世論。オリバーが編集した証言。フィオナという被害者。
その全てによって敗れたのだ。
断罪は卒業式の日に始まったのではない。
もっと前から、もっと長い時間をかけて準備されていた。
◇◇◇
夜。私は窓辺に立ち、王都の灯を見つめていた。
カイルは人々の心を動かし、善意を刺激し、正義を語り、気付けば誰かを敵へ変えている。
オリバーは真実を切り取り、都合の悪い事実を削り、都合の良い断片だけを並べ替え、一つの物語へ仕立て上げる。
だからあの断罪は成立し、前回の私は敗れた。
だが今は違う。敵の手口は見えた。仕組みも分かった。
ならば壊せる。静かに拳を握り締める。
カイル・グラント。
オリバー・ウェスト。
次は貴方達の番だ。
その偽りの正義も。その歪められた真実も。
今度は必ず暴いてみせる。
そこでふと、一つの考えが頭をよぎった。
前回、卒業式の日に断罪されたのは私だった。
大勢の生徒達の前で罪人として立たされ、誰にも信じてもらえなかった。
だが今は違う。次の標的は、すでに現れている。
フェリクス・ルートナー。
カイルは既に動き始めている。オリバーもまた、証言を集めている。
前回、私を破滅へ追い込んだ仕組みが、まさに今この瞬間も再現されようとしていた。
ならば、今度こそ見逃さない。
フェリクスを救うことができるのなら。
それは同時に、カイルとオリバーを暴くことにも繋がるはずだった。
ライアン様がいる。
お父様がいる。
お母様がいる。
お兄様がいる。
私はもう一人ではない。
だから戦える。静かに拳を握り締める。決戦の時は近い。
私は迫り来るその日を見据えていた。




