取り戻した未来
フィオナ様が王都を去ってから一か月。
私は三年生へ進級していた。
春の陽射しは柔らかく、学園は穏やかな空気に包まれている。
前回の未来にはなかった光景だった。
中庭からフィオナ様の姿は消えた。
カイル様も、オリバー様も、セドリック様も。
前回の未来で私を断罪した者達は、既に学園から姿を消している。
それでも、一人だけ残っていた。
アレクシス殿下だった。
殿下の周囲から、人は減った。
誰も露骨に離れていったわけではない。
挨拶を交わす者はいる。言葉を掛ける者もいる。
だが、以前とは違った。
誰も殿下を中心に集まろうとはしない。
側近達もいない。フィオナ様もいない。
気付けば殿下は、いつも一人になっていた。
学園内では様々な噂が流れていた。
カイル様の件、オリバー様の件、セドリック様の件。
そしてフィオナ様の件。
誰も声高に語らない。
けれど、殿下を見る視線が変わったことだけは、誰の目にも明らかだった。
◇◇◇
その日の放課後。私はお父様に呼ばれ、執務室へ向かった。
机の上には王家の紋章が押された書類が置かれている。
私は静かに息を吐いた。
ついに来たのだ。
お父様は書類へ手を置く。
「王城への召喚だ」
私は頷いた。
フィオナ様の件から一か月。王宮も結論を出したのだろう。
第二王子への処分は一朝一夕で決められるものではない。
まして、王位継承権に関わる話なら尚更だった。
「長かったな」
お父様が小さく呟く。
長かった。
本当に。
◇◇◇
数日後、王城。謁見の間。重臣達が居並ぶ中。
国王陛下が静かに口を開いた。
「第二王子アレクシス」
謁見の間が静まり返る。
「今回の件について、お前は何を学んだ」
長い沈黙。
やがて、殿下は答えた。
「私は」
掠れた声だった。
「何も見ていませんでした」
誰も動かない。
「側近達を」
「フィオナを」
「見ているつもりでした」
自嘲するように笑う。
「ですが」
目を閉じる。
「本当に見ていたのは、自分が見たいものだけでした」
重い沈黙が落ちる。
国王陛下は頷いた。
「そうだ」
短い言葉だった。
「お前は何も調べなかった」
「何も止めなかった」
「それだけなら愚かだったで済む」
アレクシス殿下の肩が僅かに揺れる。
「だが」
国王陛下の声が低くなる。
「お前は王族だ」
謁見の間が静まり返る。
「カイル・グラント」
「オリバー・ウェスト」
「セドリック・ハワード」
「そしてフィオナ・セインツ」
「全員がお前の影響下にいた」
重い沈黙。
「お前はその立場を理解していなかった」
「お前が一言発するだけで人が動く」
「お前が一人を庇えば、多くの者がそれに従う」
「それが王族というものだ」
私は静かに息を呑んだ。
「だが、お前は自らの判断を疑わなかった」
「証拠も確認しなかった」
「結果として学園では私的制裁が横行し、多くの生徒が傷付いた」
国王陛下は続ける。
「王は全てを知る必要はない」
「だが、知らぬまま裁いてはならない」
短い沈黙。
「お前はその最低限すら守れなかった」
「よって」
短い沈黙。
「第二王子アレクシスの王位継承権を停止する」
誰も声を上げなかった。
「卒業後は北方鉱山監督補佐へ赴任」
「王族としての義務と責任を学び直せ」
殿下は黙って頭を下げた。
そして、国王陛下は最後の書類を手に取る。
「ローゼンベルク侯爵家との婚約を正式に解消する」
私は静かに目を伏せた。
「本件については王家側の責任と認定する」
「侯爵家へは正式な謝罪と補償を行う」
それで終わりだった。
終わってしまえば。
不思議なほど何も感じなかった。
◇◇◇
謁見の間を出た後、背後から声が聞こえた。
「アメリア」
振り返る。アレクシス殿下だった。
「少しだけ」
掠れた声だった。
「話を聞いてくれないか」
私は静かに頷く。
庭園には春風が吹いていた。
先に口を開いたのは殿下だった。
「私は間違っていた」
静かな声。
「フィオナを信じたことではない」
私は黙って聞いていた。
桜の花びらが風に乗って舞う。
自嘲するように笑う。
「何も見えていなかったことだ」
視線が落ちる。
「失ってから気付いた」
掠れた声だった。
「私が向き合うべきだったのは」
「お前だった」
春風が吹く。
私はしばらく何も言わなかった。
かつての私なら、泣いていたかもしれない。
けれど今は違う。ようやく口を開く。
「そうですか」
それだけだった。
殿下の表情が僅かに揺れる。
「アメリア」
私は静かに首を横へ振った。
「特に申し上げることはありません」
「今の私には関係のないことです」
その瞬間。殿下はようやく理解したのだろう。
謝罪も、後悔も。
もう届かないことを。
三年生になってからの殿下は以前とは別人のようだった。
王位継承権停止の影響もあるのだろう。
以前なら常に前を向いていた人が、今はどこか考え込んでいることが増えた。
昼休みになれば一人で中庭に座っている。
放課後になれば図書室へ向かう。
そんな姿を見かけることが増えた。
けれど、私が声を掛けることはなかった。
掛ける理由も、もうなかった。
◇◇◇
卒業式当日。空は晴れていた。
だが、私の見る景色は全く違っていた。
前回の卒業式は始まりではなかった。
終わりだった。
断罪され、婚約を破棄され、私自身を失った日。
けれど今は違う。
誰も私を糾弾しない。誰も私を裁かない。
私はただ、一人の卒業生としてそこに立っていた。
それから数か月。穏やかな日々が続いていた。
夜中に飛び起きる回数は減った。
牢の夢を見ることも少なくなった。
以前は焼き菓子一つ食べるだけでも苦しかった。
今では普通に食事ができる。
温かいスープを最後まで飲める。
元凶となった人々がいなくなったからか。
それとも。
支えてくれる人達がいたからか。
庭園で紅茶を飲んでいたある日。
私はぽつりと呟く。
「私、結婚はできないと思います」
向かいに座るライアン様が首を傾げる。
「どうして」
私は少しだけ笑った。
自分でも上手く説明できないからだ。
「前回の記憶があります」
春風が頬を撫でる。
「今でも怖くなる時があるんです」
目を閉じる。
あの牢の冷たさを思い出す。
死ぬ瞬間さえ、忘れることはできない。
「だから」
私は視線を落とした。
「私はもう普通の人間ではありません」
言葉は自然と零れた。
「誰かを信じることも」
「やっぱり怖いんです」
私は続けた。
「それに」
自嘲するように笑う。
「死んだことのある人間ですから」
ライアン様は何も言わない。
私は視線を落としたまま続ける。
「だから」
「誰かの隣に立つ資格なんて――」
最後まで言わせてもらえなかった。
「待つよ」
私は顔を上げる。
「え?」
「何年でも」
ライアン様は笑った。
穏やかに。
「一生でも」
言葉を失う。
「どんなアメリアでも支えたいと思ってる」
春風が吹く。花びらが揺れる。
ライアン様は少しだけ困ったように笑った。
「傷付いていても」
「立ち止まっていても」
「前を向けなくても」
「全部ひっくるめてアメリアだから」
胸の奥が熱くなる。
「だから」
ライアン様は静かに言った。
「資格なんて考えなくていい」
「俺が隣にいたいだけだから」
私は返事ができなかった。
前回の未来で、私は全てを失った。
家族も、未来も、そして自分自身さえも。
失われたものは戻らない。
忘れることもできない。
それでも、私の手の中には確かに未来が残されていた。
私は空を見上げる。青空はどこまでも高かった。
未来に何が待っているのかは分からない。
けれど、私はもう目を逸らさない。
その先へ進めるのだから。
これにて完結です。お読みいただき、本当にありがとうございました。
もう一話だけ、番外編を投稿予定です。アメリアが死に戻らなかった世界線です。
本編とはかなり雰囲気の異なる内容になりますので、ご注意ください。




