聖女候補の失墜
翌日、昼休みになっても学園の空気は重かった。
フィオナ様が昨日学園長室へ呼び出されたことは既に学園中へ広がっている。
正式な発表はまだない。けれど、誰もが何かを察していた。
廊下を歩けば囁き声が聞こえる。
小さな声だったが、その声音には好奇心より警戒が滲んでいた。
私は窓際から中庭を見下ろした。
そこにフィオナ様の姿はない。
かつて昼休みの中庭は、彼女を中心に回っているように見えた。
前回の未来では考えられなかった光景だった。
◇◇◇
数日後、帰宅した私は応接室へ呼ばれた。
お父様とお兄様。そしてライアン様が席についている。
机の上には新しい報告書が置かれていた。
既に結果は出たのだろう。部屋の空気がそれを物語っていた。
「教会が結論を出した」
お父様が言った。
お兄様が報告書を開く。
「フィオナの聖女候補活動停止は正式決定」
「そして王宮による確認も終了した」
部屋が静まり返る。
「結果は?」
私が尋ねる。
お兄様は短く答えた。
「資格剥奪だ」
私の指先が僅かに震えた。
「不正への直接関与は確認されなかった」
お兄様は続ける。
「だが聖女候補としての適格性に重大な疑義がある」
それが結論だった。
「王宮監査官が直接確認したそうだ」
お兄様が言った。
私は顔を上げる。
「何をですか」
「あの一連の出来事についてだ」
短い沈黙。
「まず聞いたのは特別扱いについて」
お兄様は報告書を読み上げる。
「自分が特別扱いされていることに気付いていたか」
私は息を止めた。
「最初は答えなかったらしい」
「だが最終的には認めた」
静かな声だった。
「……気付いていました」
部屋が静まり返る。
「皆が私に親切でした」
「皆が助けてくれました」
「それは分かっていました」
私は目を伏せた。嘘ではないのだろう。
問題はその先だった。
「監査官は更に尋ねたそうだ」
お兄様が続ける。
「アレクシス殿下の好意にも気付いていましたか」
「……はい」
「婚約者がおられることも知っていましたか」
「知っていました」
誰も口を挟まない。
全て理解していた。その上で受け入れていたのだ。
「そこで監査官は聞いた」
お兄様の声が低くなる。
「ならばなぜ距離を置かなかったのですか、と」
私は無意識に拳を握った。
やがて、フィオナ様はこう答えたらしい。
「どうしてですか」
部屋が静まる。
「殿下は私を認めてくださいました」
「皆も私を支持してくださいました」
「私が聖女候補だったからです」
そして。
「聖女候補が期待されるのは当然ではないのですか」
私は息を呑んだ。
フィオナ様は本当にそう思っていたのだ。
自分が選ばれることを。
優先されることを。
守られることを。
当然だと。
「監査官は最後に尋ねたそうだ」
お兄様が続ける。
「その結果として誰かが傷付いたことは理解していますか」
長い沈黙。
そして、
返ってきた答えは。
「それは私の責任なのですか」
だった。
私は目を閉じた。
フィオナ様は分かっていたが、理解していなかった。
「私は頼んでいません」
「皆が勝手にやったことです」
「私は聖女候補として選ばれただけです」
「それの何が悪いのですか」
お兄様は報告書を閉じた。
「そこで教会が結論を出した」
静かな声だった。
「聖女とは」
「人に守られる存在ではない」
短い沈黙。
「傷付いた者を見る存在だ」
私は息を呑む。
「あまりにも多くの人が傷付いた」
お兄様が言う。
「それに気付こうとしなかった時点で」
「教会は適格性なしと判断した」
それが、
フィオナ・セインツ失墜の決定打だった。
◇◇◇
翌日の昼休み、私は回廊の先で足を止めた。
聞き覚えのある声が聞こえたからだ。
フィオナ様だった。
向かいにはアレクシス殿下がいる。
私は気付かれない距離で様子を見守った。
「殿下」
フィオナ様の声は震えていた。
「お父様は無実です」
アレクシス殿下は答えない。
「誤解されているだけです」
「きっと真実が分かります」
必死だった。
「殿下なら分かってくださいますよね」
長い沈黙。
かつての殿下なら、迷うことなく頷いたはずだ。
だが今は違う。
やがてアレクシス殿下は静かに口を開く。
「……分からない」
私は目を見開いた。
フィオナ様も凍り付く。
「殿下……?」
掠れた声だった。
「私は」
アレクシス殿下は言葉を探す。
「もう何が正しいのか分からない」
フィオナ様の顔から血の気が引いていく。
アレクシス殿下が無条件に信じてくれなかったのだから。
◇◇◇
その夜、私は再び応接室へ呼ばれていた。
「資格剥奪後の処遇も決まった」
お父様が言う。
お兄様が書類を開いた。
「学園は退学処分ではない」
私は顔を上げる。
「だが学園へ残ることはできない」
「セインツ家の資産は凍結された」
「教会の支援も打ち切られた」
ライアン様が続ける。
「学費の継続は不可能」
つまり、追い出されたのではない。
居られなくなったのだ。
「本人も退学届を提出する意向らしい」
私は静かに息を吐いた。
それは処分よりも現実だった。
「その後は」
お兄様が最後の書類を開く。
「王立北方鉱山附属治療院への奉仕配属」
部屋が静まり返った。
北方最大の鉱山地帯。事故も怪我人も絶えない場所。
そこでは誰も聖女候補を必要としていない。
必要なのは働き手だけだった。
◇◇◇
それから数日後。私は中庭でフィオナ様を見かけた。
以前と同じ制服。同じ髪型。
だが、以前とは何もかも違っていた。
周囲には誰もいない。
そして、少し離れた場所にアレクシス殿下が立っている。
以前のように隣にはいない。声も掛けない。ただ立っているだけだった。
二人の距離は数歩。けれど、その距離はどこまでも遠く見えた。
聖女候補フィオナ・セインツ。
その名を支えていたものは失われた。
肩書、賞賛、そして信頼。
一度失われたそれは、もう戻らない。
私は静かに視線を落とす。
フィオナ様の物語は終わった。
残るのはただ一人。
あの日、私の言葉を信じなかった人だけだった。




