4月17日 【凜ルートエンディング】「あの日果たされなかった約束を今度こそ」
夕食を終えても、寮へ帰るにはまだ少し早かった。
「最後に、寄りたいところがあります」
凜ちゃんに連れてこられたのは、駅前のゲームセンターだった。
入口をくぐると、電子音と音楽が一気に押し寄せてくる。
光るクレーンゲーム。
太鼓を叩く人。
画面の中で踊る人。
銃を構えてゾンビと戦う小学生。
「凜ちゃん、ゲームするの?」
「少しだけです。こちらへ」
凜ちゃんは迷わず、クレーンゲームが並ぶ一角へ向かった。
後ろからダイナマイトペンギンもついてくる。
そして、一台の前で凜ちゃんが立ち止まった。
「あ」
透明な箱の中には、小さなペンギンのストラップ型キーホルダーがいくつも積まれていた。
黒い身体に白いお腹。
首には赤い蝶ネクタイ。
その中の一つを見て、私は思い出した。
ほかより少し小さい。
片方の目の刺繍がずれて、少し細く見える。
赤い蝶ネクタイも、わずかに曲がっている。
「これ、前にダイナマイトペンギンが取ろうとしてたやつだ」
ダイナマイトペンギンが葉巻を動かした。
「覚えてたのか」
「三百円使って全部失敗してたから」
「余計なところまで覚えてんな」
凜ちゃんが、ガラスの向こうを見る。
「先輩」
「うん?」
「これを取ってください」
「私が?」
「はい」
凜ちゃんの声は、思ったより真剣だった。
「先輩に取ってほしいんです」
理由は聞かなかった。
「分かった。任せて」
「その自信が少し不安です」
「クレーンゲーム、得意かもしれないよ」
「かもしれないんですか」
「やってみれば分かる」
一回百円。
私は硬貨を入れた。
*
一回目。
アームはキーホルダーを持ち上げたものの、すぐに落とした。
「惜しい」
「位置は悪くありませんでした」
「でしょ?」
「成功したとは言っていません」
二回目。
今度は蝶ネクタイに爪が引っかかり、少し手前へ動く。
三回目。
出口とは逆方向へ転がった。
「遠くなったね」
「なぜですか」
「機械にも都合があるんだよ」
「機械の都合で片づけないでください」
四回目からは凜ちゃんも参加した。
私が横から見る。
凜ちゃんが操作する。
今度こそ、きれいにつかんだ。
「いける」
「静かにしてください」
出口まで運ばれる。
落ちる。
縁に当たって、箱の中へ戻った。
「……今のは入ったでしょう」
凜ちゃんが機械を睨んだ。
「凜ちゃん、ゲームに怒るんだね」
「今のは機械が悪いです」
「俺もそう思う」
「あなたと意見が合うのは嫌ですね」
それから何度も挑戦した。
少しずつ出口へ近づく。
持ち上がっては落ちる。
押しては転がる。
一度、まったく関係のないペンギンだけが景品口へ落ちた。
「取れたよ」
「違います」
「同じに見えるけど」
「違います」
凜ちゃんは譲らなかった。
「私が欲しいのは、あの子です」
最初から追いかけていた、少し不格好なペンギン。
どこかダイナマイトペンギンに似ている気もする。
「こだわるねえ」
「大切なんです」
それだけ言って、凜ちゃんはもう一枚百円を入れた。
やがて、私の小銭もなくなった。
凜ちゃんの財布からも、最後の百円玉が消えた。
その一回で、キーホルダーは出口のすぐ近くまで来た。
頭が縁へ乗っている。
あと一度押せば、たぶん落ちる。
でも。
「……終わっちゃったね」
「はい」
私は財布の中を見る。
百円玉はない。
凜ちゃんも同じだった。
「両替する?」
聞くと、凜ちゃんはすぐには答えなかった。
ガラス越しに、あのペンギンを見つめている。
「前にも、こうなりました」
「前?」
「先ほど話した未来でです」
ゲームセンターの音が、少しだけ遠くなった気がした。
「先輩と、ここへ来たことがあります」
「ここに?」
「はい。このキーホルダーが欲しくて」
「同じもの?」
「同じものです。これは復刻されたものですけど」
「そうなんだ」
「そのときも、先輩が取ってくれると言いました」
凜ちゃんが小さく笑う。
「ものすごく自信満々に」
「私らしいねえ」
「何度やっても取れませんでした」
「それも私らしいかも」
「笑い事ではありません」
そう言いながら、凜ちゃんも笑っていた。
でも、その目は少しだけ濡れていた。
「結局、二人ともお金を使い切りました」
「そのあとは?」
「先輩が言ったんです」
凜ちゃんの声が少し震えた。
「次に来たときに取ろう、って」
私は黙った。
「でも、その少しあとに先輩は入院しました」
ゲームセンターでは、変わらず音楽が鳴っている。
誰かが笑っている。
クレーンゲームの成功を知らせる音も聞こえた。
「次は、ありませんでした」
「凜ちゃん」
「だから、ここへ来たかったんです」
凜ちゃんは涙をこらえるように笑った。
「もう一度、先輩とここに来て。今度こそ、これを取りたかった」
ガラスの向こう。
あのキーホルダーは、もう出口のすぐそばにある。
「これが、ループを終わらせる条件なの?」
「はい」
凜ちゃんはうなずいた。
「私が、自分で決めた条件です」
「これを取ったら?」
「終わらせます」
短い答えだった。
「くだらないでしょう?」
「全然」
「静香先輩には笑われました」
「静香ちゃんが?」
「『いかにも凜らしいわ』って」
「それはちょっと分かるかも」
「先輩まで笑わないでください」
「笑ってないよ」
私はもう一度、景品を見る。
世界を終わらせる条件が、小さなペンギンのキーホルダー。
でも、凜ちゃんにとっては、たぶんただのキーホルダーではなかった。
取れなかったもの。
次があると思っていたもの。
そのまま二度と取りに来られなかったもの。
「すず先生には言わなかったの?」
「もちろんです。ずっと条件を聞かれていましたけど、教えませんでした」
「どうして?」
「知られたら、先に取られそうでしょう」
「ああ」
すず先生なら、本当に一回で取ってしまいそうな気がする。
「だから秘密にしていたんです」
「先生、こんなのが条件だと思わなかっただろうね」
「それでいいんです」
凜ちゃんは笑った。
でも、その笑顔が少しずつ崩れる。
「……取れませんでしたね」
「あと一回あればいけそうなんだけど」
「はい」
「お札を崩してくる?」
凜ちゃんは答えなかった。
そのままキーホルダーを見ている。
「怖い?」
私が聞く。
しばらくして、凜ちゃんがうなずいた。
「少し」
「終わるのが?」
「はい」
凜ちゃんは小さく息を吐いた。
「明日になれば、また同じ日をやり直せるかもしれない。そう思うと、このまま取れなくてもいいんじゃないかって」
「もう一回デートできるから?」
「……はい」
服を買って。
クレープを食べて。
映画を見て。
またここへ来る。
「次こそ取ろうって、また言えますから」
私は凜ちゃんの手を握った。
凜ちゃんも握り返す。
「でも、終わらせるんだよね」
「はい」
少し時間はかかったけれど、答えは変わらなかった。
「終わらせます」
「なら、取るぞ」
低い声がした。
振り返る。
少し離れたところにいたダイナマイトペンギンが、こちらへ歩いてきた。
「どうやって?」
「金ならある」
ダイナマイトペンギンは腹巻きへ翼を入れた。
じゃら。
十円玉が一枚、床へ落ちる。
もう一枚。
さらに一枚。
「あ」
私は思い出した。
前にも見た。
ダイナマイトペンギンが、一枚ずつ大切そうに腹巻きへしまっていた十円玉。
床へ、次々と硬貨が積まれていく。
「ずいぶんあるね」
「ああ」
「また働いたの?」
「ずっと働いてた」
ダイナマイトペンギンは、それだけ答えた。
凜ちゃんが十円玉の山を見る。
「何のために?」
ダイナマイトペンギンは答えない。
「まさか」
凜ちゃんが彼を見る。
ダイナマイトペンギンは、少しだけ顔をそらした。
「前に三百円で失敗した」
「……はい」
「だから、次は足りなくならねえようにした」
凜ちゃんの目が大きくなる。
「これを取るために?」
「違う」
即答だった。
「じゃあ何のため?」
私が聞く。
「種銭だ」
「凜ちゃんに、このキーホルダーを取ってあげるための?」
「……」
「そうなんだ」
「うるせえ」
否定しなかった。
前にこのゲームセンターへ寄ったとき。
ダイナマイトペンギンは、凜ちゃんがこのキーホルダーを見ていたことを覚えていた。
欲しいとは一度も言われていないのに、三日間働いて三百円を貯めた。
三回とも失敗した。
私がお金を出そうとしても、受け取らなかった。
『自分で働いて稼いだ金で取る。そうじゃなきゃ意味がねえ』
あのあとも。
この子はずっと、十円玉を集めていたのだ。
「何をして稼いだの?」
「人の役に立った」
「それだけ?」
「それで十分だろ」
ダイナマイトペンギンは十円玉を一枚拾う。
「荷物を運んだ。店を手伝った。迷子を送った。頼まれりゃ何でもやった」
「全部十円?」
「ああ」
「ずっと?」
「ああ」
凜ちゃんが何も言えなくなった。
「……馬鹿ですね」
やっと出た言葉が、それだった。
「あ?」
「こんなもののために」
「こんなものじゃねえだろ」
凜ちゃんが顔を上げる。
「お前が欲しかったんだろ」
「私は、一度も欲しいなんて」
「知ってる」
「だったら」
「見てた」
ダイナマイトペンギンは、それ以上言わなかった。
凜ちゃんの目から涙が落ちた。
「本当に、馬鹿です」
「ああ」
「私、あなたのこと嫌いなのに」
「知ってる」
「それでもですか」
「それがどうした」
凜ちゃんは何も言わなかった。
ダイナマイトペンギンが十円玉の山を翼で示す。
「使え」
「でも」
「俺じゃ取れねえ」
「そこは威張らないでください」
「前に証明済みだ」
凜ちゃんが泣きながら、少し笑った。
*
大量の十円玉を百円玉へ替えた。
かなりの枚数になった。
「これなら何十回もできるね」
「そこまで失敗しないでください」
「大丈夫。あと一回で取れる位置だから」
「その言葉、今日何度目ですか」
「今度は本当」
百円玉を一枚入れる。
狙うのは、ずっと追いかけてきた一つ。
少し小さくて。
片方の目が細くて。
蝶ネクタイが曲がっているペンギン。
「少し右です」
「ここ?」
「はい。そのまま奥へ」
私はボタンを押す。
アームが移動する。
「下ろすよ」
「お願いします」
爪が下りる。
今度は、つかまなかった。
ペンギンの背中を、ほんの少しだけ押した。
身体が傾く。
「あ」
赤い蝶ネクタイが出口へ入った。
頭が落ちる。
お腹が引っかかる。
止まった。
「……まだ?」
「待ってください」
二人で見つめる。
ほんの少し揺れた。
そして。
ころん。
軽い音が、景品口から聞こえた。
「取れた」
私はしゃがみ、手を入れる。
取り出した。
「凜ちゃん」
小さなキーホルダーを差し出す。
「今度は、取れたよ」
凜ちゃんは、両手で受け取った。
ずっと見つめている。
「……先輩」
「うん」
「本当に、取ってくれた」
「うん」
「今度は」
「うん」
凜ちゃんが泣いた。
私はそのまま、凜ちゃんを抱きしめる。
「これで終われる?」
腕の中で、凜ちゃんがうなずいた。
「はい」
涙声だった。
それでも、はっきり聞こえた。
「終わらせます」
私から離れた凜ちゃんは、手の中のキーホルダーをもう一度見る。
「明日が、どんな日でも」
「うん」
「今度は先へ進みます」
ダイナマイトペンギンが葉巻をくわえ直した。
「そうしろ」
凜ちゃんが彼を見る。
「……ありがとうございます」
「聞こえねえな」
「二度は言いません」
「なら聞かなかったことにする」
「勝手にしてください」
凜ちゃんは泣いたまま笑った。
私は残った百円玉を見る。
「まだいっぱいあるね」
「返してください」
凜ちゃんが言う。
「俺の金だ」
「当然でしょう。こんなに使い切れません」
「腹巻きに戻すの大変そう」
私はクレーンゲームの中を見る。
同じペンギンのキーホルダーが、まだたくさん残っている。
「ねえ」
「何ですか?」
「あと二つ取ろうよ」
凜ちゃんが私を見る。
「私の分は分かりますけど、あと二つですか?」
「うん」
「誰の分です?」
私は凜ちゃんが持っているキーホルダーを指した。
「凜ちゃんと」
自分を指す。
「私と」
最後に、ダイナマイトペンギンを見る。
「ダイナマイトペンギン」
彼が固まった。
「三人でおそろいにしたい」
凜ちゃんも少し驚いたようだった。
それから、手の中のペンギンを見る。
「……いいですね」
「だよね」
「俺はいらねえぞ」
ダイナマイトペンギンが言った。
「どうして?」
「自分の顔みてえなもんを持ち歩いてどうすんだ」
「似てないって言ってたじゃん」
「似てねえよ」
「じゃあいいでしょう」
「よくねえ」
「お金はたくさんあります」
凜ちゃんが百円玉を一枚取った。
「勝手に使うな。俺の金だ」
「私のために貯めたんでしょう?」
「違う」
「では返します」
「……好きにしろ」
「素直じゃないですね」
「お前に言われたくねえ」
私と凜ちゃんで、もう一度クレーンゲームの前に並んだ。
二個目は六回。
三個目は四回で取れた。
「上達したね」
「最初からこうすればよかったですね」
「それを言わないで」
景品口から、二つのキーホルダーを取り出す。
一つは私。
一つはダイナマイトペンギン。
「はい」
彼の前へ差し出した。
「いらねえ」
「でも、取ったよ」
「勝手に取っただけだ」
「じゃあ、ここに置いていく?」
「……それはもったいねえだろ」
ダイナマイトペンギンは、私の手からキーホルダーを取った。
「仕方ねえから持っててやる」
「うん」
「なくすと面倒だからな」
「うん」
「別に嬉しくはねえぞ」
「分かったよ」
ダイナマイトペンギンはキーホルダーをじっと見る。
赤い蝶ネクタイ。
丸い身体。
自分とは似ていないと言い張っていた、小さなペンギン。
しばらく見て。
腹巻きへしまおうとして。
やめる。
また眺める。
「ダイナマイトペンギン」
「何だ」
「嬉しい?」
「いらねえって言っただろ」
「でも、ずっと見てるよ」
「品質を確認してる」
「さっきから五分くらい?」
「細かい女だな」
そう言いながら、まだ見ている。
凜ちゃんが隣で笑った。
「先輩」
「うん?」
「おそろいですね」
「うん」
私は自分のキーホルダーを持ち上げた。
凜ちゃんも同じようにする。
少し遅れて。
「くだらねえ」
と言いながら、ダイナマイトペンギンも自分のキーホルダーを持ち上げた。
三つの小さなペンギンが並んだ。
世界を終わらせるために取った、一つ目。
そのあとに取った、二つ。
凜ちゃんはもう、次にやり直すための約束をしなくていい。
欲しかったものは、今日取れた。
そして、予定になかった二つまで増えた。
「帰ろうか」
「はい」
「俺は先に行くぞ」
ダイナマイトペンギンが歩き出す。
その翼には、まだキーホルダーが握られていた。
「しまわないの?」
「落としたら困るから見張ってんだ」
「腹巻きに入れたほうが安全では?」
凜ちゃんが言う。
「うるせえ」
結局、ゲームセンターを出ても。
駅まで歩いても。
ダイナマイトペンギンは、ずっとそのキーホルダーを眺めていた。




