4月17日 選択肢「凜ちゃんとデートに行く」
二日後。
土曜日の朝。
私は八時二十分に目を覚ました。
目覚ましが鳴る十分前だった。
「すごい」
自分で自分を褒める。
デートの力は偉大だ。
隣のベッドを見ると、凜ちゃんはもう起きていた。
鏡の前で、いつものツインテールを丁寧に整えている。
白いブラウスに紺色のスカート。上には薄い水色のカーディガン。
制服ではない凜ちゃんは、いつもより少し大人っぽく見えた。
「おはよう、凜ちゃん」
「おはようございます」
「かわいいね」
髪を整えていた凜ちゃんの手が止まる。
「起きて最初の言葉がそれですか」
「うん」
「先輩はまだ顔も洗っていませんよ」
「でも、凜ちゃんはかわいいよ」
「……早く準備してください」
顔をそらした耳が少し赤かった。
私はベッドから降りる。
「その前に朝の充電」
「今日は自分で起きられたでしょう」
「デート前の特別充電」
「何のためですか」
「デートに備えるため」
「では、着替えて備えてください」
抱きつこうとすると、凜ちゃんに額を押さえられた。
「服、どれがいいかな」
「一昨日、自分で選んでくださいと言いました」
「じゃあ、凜ちゃんが選んで」
「話を聞いていましたか?」
そのとき。
「黒だ」
ベッドの下から低い声がした。
凜ちゃんの動きが止まる。
私は床へしゃがんだ。
「おはよう、ダイナマイトペンギン」
「黒いワンピースに黒い帽子。足元は重いブーツだ」
「今日は暖かいよ」
「女は服に季節を選ばねえ」
「服のほうが季節を選びます」
凜ちゃんがベッドの下を覗き込む。
ダイナマイトペンギンは、小さな黒い鞄まで背負っていた。
「お前、来るなと言いましたよね」
「行かねえよ」
「その鞄は何ですか」
「散歩だ」
「どこへ?」
「たまたま、お前たちと同じ方向だ」
「それをついてくると言うんです!」
「俺は誰にも従わねえ」
「一昨日の約束にもですか!」
「約束した覚えはねえ」
凜ちゃんが深く息を吸った。
朝から疲れている。
*
結局、ダイナマイトペンギンはついてきた。
正確には、私たちの五メートルほど後ろを歩き、
「同行じゃねえ」
と言い張っている。
「尾行だね」
「偶然、道が同じだけだ」
「もう放っておきます」
凜ちゃんは諦めたようだった。
「それで、最初はどこに行くの?」
「服を見に行きます」
「凜ちゃんの?」
「先輩のです」
「今着てるのじゃ駄目?」
「駄目ではありません。でも、もう少しきちんとしたものが一着くらいあってもいいでしょう」
「デートで次のデートの服を買うの?」
「そういう言い方をしないでください」
「次もあるんだね」
「先輩」
「嬉しいなあ」
凜ちゃんは何も答えなかった。
でも、少しだけ歩くのが速くなった。
駅前の商業施設へ入る。
私は歩きながら、何となく周りを見回した。
この道。
並んでいるお店。
隣を歩く凜ちゃん。
初めてのはずなのに、どこか知っているような気がする。
凜ちゃんと一緒にショーウインドーを見て、服を選んでもらったことがあるような。
思い出そうとすると、すぐに消えてしまう。
「先輩?」
「ううん。何でもない」
今日は後ろに、ダイナマイトを巻いたペンギンがいる。
少なくとも、この光景には見覚えがなかった。
*
服屋へ入ると、凜ちゃんは急に真剣になった。
「これはどうですか」
最初に差し出されたのは、白い襟のついた青いワンピースだった。
「かわいい」
「では、試着してください」
「凜ちゃんも選ぼうよ」
「今日は先輩の服を見に来たんです」
「ずっと私の着せ替えをするの?」
「服を選ぶだけです」
「楽しそうだよ」
「気のせいです」
そう言いながら、もう次の服を探していた。
私は試着室へ入り、ワンピースに着替える。
カーテンを開けると、凜ちゃんが少しだけ目を見開いた。
「どう?」
「……似合っています」
「好き?」
「服の話ですよね?」
「どっちでも」
「次を試しましょう」
「あ、逃げた」
「逃げていません」
横からダイナマイトペンギンが私を見上げる。
「何か足りねえな」
「何が?」
「火薬だ」
「服屋で足さないでください」
凜ちゃんに即座に止められた。
その後も、淡い黄色のブラウスや花柄のスカートを試した。
凜ちゃんは、
「これは少し丈が長いです」
「こっちのほうが先輩には似合います」
と、店員さんより真剣に選んでいる。
私が次の服を持って試着室へ向かおうとしたときだった。
「水城さん?」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、綾乃ちゃんがいた。
大きな紙袋を一つ持ち、薄い桃色のワンピースを腕にかけている。
「綾乃ちゃん」
「桜庭先輩。それに水城さん」
綾乃ちゃんの視線が、私と凜ちゃんを往復する。
「お二人でお買い物ですの?」
「デートだよ」
「先輩!」
凜ちゃんが慌てる。
綾乃ちゃんの眉が少しだけ上がった。
「まあ。水城さんにも、そのような勇気がおありでしたのね」
「喧嘩を売っていますか?」
「褒めていますわ」
「勇気しか褒めていないでしょう」
「十分ではなくて?」
笑顔で言い合っている。
やっぱりこの二人は、このくらいの距離が一番自然だった。
「綾乃ちゃんも服を買うの?」
「ええ。少し気になったものがありまして」
腕にかけたワンピースを見る。
柔らかい色で、胸元に小さなリボンがついていた。
「かわいい。似合いそう」
「そうでしょうか」
「美羽に見せるのか」
ダイナマイトペンギンが突然口を挟んだ。
綾乃ちゃんの顔が赤くなる。
「なぜ美羽先輩が出てくるんですの!」
「図星か」
「違います!」
「分かりやすいな」
「あなたに言われたくありませんわ!」
綾乃ちゃんはワンピースを見る。
少し迷ったあと、元の棚へ戻した。
「買わないの?」
「今買うと、この生き物に言われたから買ったようで癪ですもの。別のお店でもう一度、自分で選びますわ」
「美羽に似合うって言ってもらえそうなのに」
「桜庭先輩まで!」
凜ちゃんが小さく笑った。
「綾乃さん、顔に出ていますよ」
「水城さんには言われたくありません!」
「私?」
「今日ずっと嬉しそうですわ」
今度は凜ちゃんの顔が赤くなった。
「……綾乃さんは、別のお店へ行くのでしょう?」
「ええ。そうしますわ」
「では、お気をつけて」
「追い出していますわね?」
「そんなことはありません」
「顔に書いてありますわよ」
綾乃ちゃんは呆れたように笑い、そのまま店を出ていった。
ダイナマイトペンギンが背中を見送る。
「ややこしい女だ」
「一番ややこしいのはあなたです」
*
服を一着買ったあと、私たちはクレープ屋へ行った。
凜ちゃんはチョコバナナ。
私は苺と生クリーム。
ダイナマイトペンギンはメニューの一番上を指した。
「一番高いやつをよこせ」
「自分で買ってください」
「十円しかねえ」
「では買えません」
「世知辛い世の中だ」
私はクレープを少し差し出した。
「一口食べる?」
「先輩、甘やかさないでください」
「恩は忘れねえ」
ダイナマイトペンギンが大きく口を開ける。
そして、苺を一個丸ごと持っていった。
「あっ」
「一口だ」
「一番いいところだったのに」
「男は中心を取る」
「次はあげない」
「恩は忘れねえぞ」
「もう忘れてるよね」
凜ちゃんが呆れた顔をしていた。
「だから連れてくるべきではなかったんです」
「私は連れてきてないよ」
「自分で来た」
「胸を張らないでください」
凜ちゃんがクレープを食べる。
口元に、少しだけチョコがついた。
「凜ちゃん、ついてるよ」
「どこですか」
「口の横」
指で取ろうとすると、凜ちゃんが慌てて一歩下がる。
「自分で取れます!」
「動いたから広がった」
「本当ですか?」
「うん」
凜ちゃんはスマートフォンの画面を鏡代わりにして、急いで口元を拭いた。
私はその姿を見ながら、また妙な感じがした。
前にも。
凜ちゃんとクレープを食べて。
口元に何かがついて。
私が笑って。
凜ちゃんが怒った。
そんなことがあった気がする。
「どうしました?」
「凜ちゃんと、前にもこういうデートをしたことがあるのかなって」
凜ちゃんの手が止まった。
「どうしてそう思うんですか」
「何となく。さっきから、知ってる感じがするんだよね」
「……そうですか」
「凜ちゃんは?」
凜ちゃんはすぐには答えなかった。
私を見て、それから少しだけ目を伏せる。
「その話も、あとでします」
「あとで?」
「今日、先輩に話したいことがありますから」
「分かった」
私はそれ以上聞かなかった。
凜ちゃんはもう、話さないために秘密にしているわけではない。
それは一昨日、分かったから。
*
午後は映画館へ行った。
凜ちゃんが選んだのは、評判のホラー映画だった。
「凜ちゃん、怖いの平気?」
「平気です。先輩が苦手なら、別のものにしますか?」
「凜ちゃんが見たいなら、これでいいよ」
「無理はしないでくださいね」
「怖かったら手をつなぐ」
「映画を見る前から決めないでください」
後ろからダイナマイトペンギンが言う。
「俺の翼も空いてるぞ」
「お前はどうやって映画館に入るつもりなんですか」
*
結局、ダイナマイトペンギンは私の鞄の中に入った。
本人は、
「俺は荷物だ」
と言っていた。
映画館のロビーへ入ったところで、見覚えのある顔を見つける。
「美羽」
「あ、ひより」
美羽は大きなポップコーンと、派手な色の飲み物を持っていた。
「一人?」
「うん」
「何見るの?」
「これ」
指したのは、私たちが見る予定のホラー映画だった。
「同じだね」
「私は今日三回目だけど」
「三回目?」
「昨日も二回見た」
美羽は平然としている。
「そんなに面白いの?」
「気になるところがあるんだよね」
美羽がポスターを指す。
「七十二分くらいの廊下の場面。右側の鏡に手が映るんだけど、見るたびに位置が違う気がする」
「同じ映画ですよね?」
凜ちゃんが尋ねる。
「うん。だから確認してる」
「五回も?」
「まだ確信が持てないから」
美羽は本気だった。
一度気になったことは、納得するまで確かめるらしい。
「美羽、映画なのにずいぶん真剣だね」
「失礼だな。映画だから真剣なんだよ」
「五回は見すぎだと思います」
凜ちゃんが呆れる。
「そういえば美羽先輩、すず先生はどうですか」
「今のところ何もしてないよ。約束どおり見てる」
「そうですか」
「毒を使う気配もない。まあ、何かしたら止めるけど」
美羽は簡単に答えて、ポップコーンを一つ食べた。
「綾乃ちゃんにも会ったよ」
「綾乃に?」
「かわいいワンピース見てた」
「買った?」
「やめた」
「そっか」
美羽はそれだけ言った。
「美羽に見せたかったみたいだよ」
「そうなの?」
「たぶん」
「じゃあ今度、一緒に見に行こうかな」
「ちゃんと似合うって言ってあげてね」
「似合わなかったら?」
「似合うものを選んであげて」
「それならできる」
美羽は真面目な顔でうなずいた。
たぶん綾乃ちゃんが聞いたら、また怒ると思う。
*
映画が始まった。
古い洋館。
いなくなった家族。
勝手に動く人形。
暗い廊下。
私は開始十五分で、凜ちゃんの手を握った。
「先輩、まだ何も出ていませんよ」
「準備」
「何の準備ですか」
「出たときにすぐ握れるように」
「もう握っています」
画面の中で、主人公が暗い地下室へ降りていく。
「行かなきゃいいのに」
「行かなければ映画が進みません」
「電気つけようよ」
「壊れています」
「後ろも見たほうが――」
「先輩、映画を見てください」
その直後、画面いっぱいに幽霊の顔が映った。
「ひゃっ」
私は凜ちゃんの腕へ抱きついた。
「先輩!」
「出た」
「出る映画ですから!」
鞄の中からダイナマイトペンギンまで顔を出す。
「敵か!」
「静かにしてください!」
前の席の人が振り返った。
私は慌てて頭を下げる。
少し離れた席では、美羽だけが画面をじっと見つめていた。
問題の廊下の場面が近づく。
美羽が少しだけ身を乗り出した。
暗い鏡の端に、白い手が映る。
その直後。
主人公の背後から幽霊が飛び出した。
「きゃっ」
美羽の手から、ポップコーンがこぼれた。
美羽は数秒固まったあと、何事もなかったように座り直す。
「今、美羽が一番驚いたね」
私が小声で言う。
「見てません」
凜ちゃんはそう答えたけれど、肩が少し震えていた。
笑っている。
鞄の中からダイナマイトペンギンが顔を出す。
「安心しろ。俺がついている」
ちょうどその瞬間、画面の人形の首が勢いよくこちらを向いた。
「うおっ!」
ダイナマイトペンギンが鞄の奥へ消えた。
「怖いんだ」
「戦略的撤退だ」
「ハードボイルドは?」
「今日は休みだ」
映画が終わるころには、私は凜ちゃんの腕へ完全にしがみついていた。
凜ちゃんも最初は平気そうだったのに、最後の十分くらいは私の手をかなり強く握っていた。
「凜ちゃんも怖かった?」
「先輩が離さないので、仕方なく握り返しただけです」
「手、冷たいよ」
「映画館の空調です」
「汗もかいてる」
「……先輩」
「はい」
「それ以上言ったら、次は一人で見てもらいます」
「ごめんなさい」
美羽が席から立ち上がった。
「やっぱり、手の位置が違った」
「ポップコーン落としたところは?」
「容器が悪い」
「驚いたんじゃなくて?」
「違う」
「もう一回見るの?」
「次の回も空いてる」
「六回目だよ」
「あと一回見れば分かる気がする」
本気らしい。
「美羽」
「何?」
「楽しい?」
美羽は少しだけ考えた。
「うん。すごく」
「そっか」
「ひよりも、もう一回見る?」
「見ない」
「返事が早いね」
「夜眠れなくなる」
「凜がいるから大丈夫でしょ」
「美羽先輩」
凜ちゃんが困った顔をする。
鞄からダイナマイトペンギンも顔を出した。
「幽霊が出たら俺が爆破してやる」
「寮では絶対に何もしないでください」
*
映画館を出ると、外は夕方になっていた。
服を買って。
クレープを食べて。
映画を見た。
どれも初めてのはずなのに、今日は何度も懐かしいと思った。
凜ちゃんと並んで歩いた道。
凜ちゃんが選ぶ服。
口元についたチョコ。
映画館でつないだ手。
どこかで同じようなことをした気がする。
でも。
ダイナマイトペンギンが苺を盗んだり、ホラー映画に驚いて鞄へ逃げたりした記憶はない。
「何だ」
私が見ていることに気づいて、ダイナマイトペンギンが振り返る。
「ううん。何でもない」
懐かしいのに、今日しかない。
そんな不思議な一日だった。
「先輩」
凜ちゃんが私を呼んだ。
「今日は、楽しかったですか」
「うん。すごく」
「よかったです」
凜ちゃんが、少し安心したように笑った。
「まだ、話していないことがあります」
「この世界のこと?」
「はい」
「じゃあ、これから聞く?」
「その前に夕食にしましょう。落ち着いて話したいので」
「まだデートは続く?」
凜ちゃんは一瞬だけ黙った。
「……続きます」
「嬉しいなあ」
「俺は何を食えばいい」
「お前は帰ってください」
「朝から一日つきあった男に冷てえな」
「勝手についてきただけでしょう!」
凜ちゃんが怒る。
ダイナマイトペンギンが言い返す。
私は、その間を歩いた。
ふと、映画館でつないでいた凜ちゃんの手に、もう一度触れる。
凜ちゃんが私を見る。
でも、今度は離さなかった。
私はその手を握る。
「先輩?」
「今日は、ちゃんと言おうと思って」
「何をですか」
「凜ちゃんと来られて、嬉しい」
凜ちゃんは驚いたように私を見る。
それから、少しだけ俯いた。
「……私もです」
小さな声だった。
でも、ちゃんと聞こえた。
「俺も楽しかったぞ」
「お前には聞いていません!」
やっぱり最後は、ダイナマイトペンギンに入ってこられた。
でも。
今度は凜ちゃんも、笑っていた。




