4月15日 選択肢「凜ちゃんとデートの約束をする」
白い城の広間には、まだ私たちの声が残っているようだった。
凜ちゃんとダイナマイトペンギンの口喧嘩。
私の笑い声。
乾いた壁に反響して、少しずつ遠ざかっていく。
カエルのお姫様は戻らない。
池も枯れたままだ。
それでも、この場所へ来たときより、少しだけ空気が軽くなった気がした。
「凜ちゃん。もう少し聞いてもいい?」
「先ほど、これからは何度でも聞くとおっしゃっていましたからね」
「覚えてたんだ」
「先輩ほど忘れっぽくありません」
凜ちゃんは崩れた玉座の前に立ち、曲がった王冠が置かれていた場所を見ていた。
「この世界って、結局何なのかな。漫画の中なのか、凜ちゃんが作ったのか」
凜ちゃんの表情が、わずかに固くなる。
「それは、まだ私にも分かりません。今の高校二年生として過ごした記憶も、その先で大学を卒業して漫画家になった記憶もあります。どちらも、自分で生きた記憶のように感じるんです」
「二つとも本物みたいなんだ」
「はい。だから、どこまでが本当に私の経験で、どこからがこの世界に与えられたものなのかも、まだ整理できていません」
美羽や静香ちゃん、すず先生にも、凜ちゃんの知らない記憶があるのだという。
「じゃあ、これから一緒に考えようか」
「そのつもりです」
凜ちゃんがこちらを向く。
「ですから先輩。明後日、私と出かけてください」
「明後日?」
「土曜日です。朝から予定を空けておいてください」
そうだった。
今日は木曜日だった。
「どこへ行くの?」
「それは秘密です。行けば、今の話の続きもします」
「また秘密なんだ」
「今度はちゃんと話すための秘密です」
少し緊張した顔をしていた。
でも、以前みたいに何かをごまかそうとしている感じではない。
「それって、デート?」
凜ちゃんの顔が赤くなる。
「……そういうつもりです」
「じゃあ行く」
「少しくらい考えてください」
「凜ちゃんとのデートなら楽しそうだから」
「……そうですか」
顔をそらしたけれど、嬉しいのはよく分かった。
「服はどうしようかな。凜ちゃんはどんなのが好き?」
「先輩が自分で選んでください。私に聞いたら意味がありません」
「俺が選んでやる」
横からダイナマイトペンギンが口を挟んだ。
「黒いコートに黒い帽子。仕上げに腹へダイナマイトだ」
「お前は明後日、絶対に来るな」
「まだ何も言ってねえだろ」
「来ようとしている顔です」
「ペンギンの顔をそこまで読めるとは、さすが生みの親だな」
「先輩、帰りましょう」
「そうしようか」
「おい」
置いていくと、結局ダイナマイトペンギンも後ろからついてきた。
*
城を出て、枯れた池と墓の並ぶ道を通る。
長い階段を上っている間も、私は何度か行き先を当てようとしたけれど、凜ちゃんは教えてくれなかった。
「動物園も水族館も違うなら、遊園地?」
「もう答えません。楽しみにしていてください」
「気になるなあ」
「そのために秘密にしているんです」
本屋へ戻ると、店内にはまだ何人か客がいた。
私たちが地下から戻ってきたことを気にする人はいない。
そのまま店を出る。
外はもう暗くなり始めていた。
「静香先輩」
凜ちゃんが足を止めた。
本屋の入口の横に、来たときと同じように静香ちゃんが立っていた。
「静香ちゃん、ずっと待ってたの?」
「ええ。すず先生が来ないようにしていたの」
「先生は?」
「帰ってもらったわ」
「素直に?」
「話せば分かる人よ」
静香ちゃんは穏やかに答えた。
何を話したのかは、聞かないほうがよさそうだった。
それから静香ちゃんは、凜ちゃんを見る。
しばらく何も言わなかった。
凜ちゃんも黙って、その視線を受け止めている。
やがて静香ちゃんが歩み寄った。
そして、何の前触れもなく凜ちゃんを抱きしめた。
「静香先輩?」
「よかったわ」
静香ちゃんは、それだけ言った。
凜ちゃんが目を見開く。
「私、まだ何も言っていません」
「顔を見れば分かるわよ」
静香ちゃんは凜ちゃんの背中へ回していた腕を離した。
「それで、私たちの協力関係はこれで解消、ということでいいのかしら」
凜ちゃんは少しだけ黙った。
それから、うなずく。
「はい」
「そう」
「カエルのお姫様は生き返らせません。この世界も作り直さない。ループを終わらせます」
静香ちゃんは静かに聞いていた。
「先輩の言葉がきっかけにはなりました。でも、最後に決めたのは私です」
「それが聞ければ十分よ」
「……本当に、それだけですか」
「ほかに何を言えばいいの?」
「静香先輩は、この世界を守るために私に協力してくれていたでしょう」
「少し違うわね」
静香ちゃんは凜ちゃんをまっすぐ見る。
「私は、この世界そのものを守りたかったわけじゃない」
「では、どうして」
「あなたが自分で答えを決めるまで、誰にも勝手に壊させたくなかっただけよ」
凜ちゃんが黙る。
「前にも言ったでしょう。あなたの望みが決まったら、私に言いなさいって」
「……はい」
「あなたがここに残ると決めたなら、私はその結末を守った」
静香ちゃんの声は変わらない。
「終わらせると決めたのなら、今度はそちらを守る。それだけよ」
「静香先輩」
「だから、私に許可を求める必要はないわ」
静香ちゃんは、今度は凜ちゃんの頭へ軽く手を置いた。
「自分で決めたのでしょう?」
「はい」
「なら、胸を張りなさい」
凜ちゃんが俯きかける。
でも、途中で止まった。
顔を上げる。
「はい」
さっきより、少しだけ大きな声だった。
静香ちゃんは満足そうに笑って、手を離した。
「まだ、やることが残っているのでしょう?」
「はい」
「必要なら手は貸すわ。でも、最後は自分でやりたいのでしょうね」
凜ちゃんは一瞬だけ驚いた。
それから、小さく笑う。
「……はい」
「そうでしょうね」
最初から分かっていたような答えだった。
「静香ちゃん、格好いいねえ」
「急に何?」
「凜ちゃん、まだ何も言ってなかったのに分かってたし」
「長い付き合いだもの」
「すず先生をどうやって帰したかも教えて」
「それは、ひよりが知らなくていいことね」
「やっぱり怖いねえ」
「ひより」
「はい」
「余計なことを言わないの」
「はあい」
凜ちゃんが小さく笑った。
静香ちゃんは今度は私を見る。
「ひよりも、それでいいのね」
「うん」
「後悔するかもしれないわよ」
「するかも」
「それでも?」
「それでもいいよ」
静香ちゃんは私の顔を見て、それ以上は何も聞かなかった。
来たときもそうだった。
本当にいいのかと、一度だけ聞いた。
答えを変えさせようとはしない。
自分で決めたのかだけを確かめる。
「では、帰りましょうか」
「静香ちゃんも一緒?」
「もちろんよ」
歩き始めようとしたところで、静香ちゃんが凜ちゃんを見る。
「ところで、明後日はどこへ行くの?」
凜ちゃんが固まった。
「どうして知っているんですか」
「今のあなたを見れば、何か楽しみにしていることがあるくらい分かるわ」
「デートだよ」
「先輩!」
「そう」
静香ちゃんは少しだけ笑った。
「よかったわね、凜」
「……はい」
凜ちゃんは恥ずかしそうに、それでも素直にうなずいた。
私たちは三人で歩き出した。
ダイナマイトペンギンも、少し後ろからついてくる。
「凜ちゃん。明後日、何時?」
「九時に寮を出ます」
「八時半に起こして」
「自分で起きてください」
「同じ部屋なのに」
「デートの日くらい、自分で起きてください」
「じゃあ頑張る」
「起きるだけです」
静香ちゃんが横で小さく笑った。
凜ちゃんも、少し遅れて笑う。
明後日、凜ちゃんとデートをする。
行き先はまだ知らない。
この世界のことも、凜ちゃんが覚えている未来のことも、分からないことはたくさん残っている。
でも、さっきまで凜ちゃんは、今日がずっと続けばいいと言っていた。
その凜ちゃんが今は、明後日の予定を決めている。
「楽しみだね、凜ちゃん」
「……はい」
凜ちゃんは少し恥ずかしそうに、それでも笑って答えた。
「私も、楽しみです」
明後日の約束がある。
それだけで、今日はもう十分だった。




