表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/13

4月8日 神楽坂綾乃はお世話がしたい。

 生徒会室の長机には、学院祭の企画書が扇のように広げられていた。


「先生方は例年どおりの講堂公演を希望していて、生徒からは中庭を使った企画が出ているのね。両方やりましょう」


 静香ちゃんが当然のように言うと、隣に座るすずちゃんが目を丸くした。


「さすがに無理ではありませんか?」


「大丈夫よ。私が少し寝なければ終わるから」


「出た。静香の根性論。古いわー」


 美羽が頬杖をつき、シャープペンシルをくるりと回す。


「では、あなたならどうするの?」


「予算が足りないなら、どっちもやらなければいい」


「あら。それも合理的ねえ」


 美羽は生徒会役員でもないのに、いつの間にか議論の中心にいた。


 そして私は、その隣で企画書の余白に猫を描いている。


「ひよりちゃん」


「はい」


「聞いている?」


「聞いてるよ。この計画には猫が足りない」


「猫の話はしていないわ」


「中庭に猫を集めれば、お客さんが増えるかも」


「どうやって集めるの?」


 美羽が聞く。


「心でお願いする」


「企画書には書かないでね」


 静香ちゃんがため息をついた、そのときだった。


 生徒会室の扉が、きっちり二度叩かれた。


「失礼いたします」


 入ってきたのは、二年生の神楽坂綾乃ちゃんだった。


 腰まで届く青みがかった黒髪は、一筋の乱れもなく艶やかに整えられている。色白の端正な顔立ちに、切れ長の目。制服も靴も新品のようにきれいで、背筋を伸ばして歩く姿は、それだけで育ちの良さを感じさせた。


 片手には美羽の上着。もう一方には、小さな紙袋を提げている。


「綾乃。どうしたの? 私がいなくて寂しくなった?」


「予備校へ行く時間を過ぎても戻っていらっしゃらないので、迎えに参りました」


「やっぱり寂しかったんだ」


「違います」


 きっぱり否定しながらも、綾乃ちゃんはまっすぐ美羽の隣へ向かう。


「今日は夕方から冷えるそうです。上着をお持ちしました」


「ありがとう」


「それから、昼食をプリンだけで済ませたと伺いましたので、サンドイッチも作ってまいりました」


 紙袋から取り出された包みは、きれいな布で丁寧に結ばれていた。


 中には、一口大に切り揃えられた色鮮やかなサンドイッチが並んでいる。具材の大きさまで均一で、売り物よりも上品に見えた。


「綾乃ちゃんが作ったの?」


「ええ。この程度でしたら、どなたにでもできますわ」


「私はできないよ」


 美羽があっさり言う。


「白石先輩は、包丁を持つ前に髪を結んでください。先日はそのまま調理を始めようとなさったでしょう」


「綾乃が結んでくれるから大丈夫」


「そういう問題ではありません」


 そう言いながら、綾乃ちゃんは美羽の後ろへ回った。


 美羽の巻き髪を指先で丁寧に整え、緩んでいたリボンを結び直す。その手つきは慣れていて、美羽も当然のように大人しくしている。


「なんだか、美羽の奥さんみたいだねえ」


 私が言うと、美羽がすぐに振り返った。


「高校生に妻を持たせないでくれる?」


「でも、上着を持ってきて、ご飯を作って、髪まで直してるよ」


「ただの世話焼きな後輩だよ」


「疑似姉妹です」


 綾乃ちゃんが即座に訂正した。


「そこは譲らないんだ」


「当然ですわ」


「じゃあ、将来は本物の妻に?」


「話を進めないで」


 美羽が私の額を指で押した。


 綾乃ちゃんは頬を赤くしていたが、否定はせず、美羽のリボンを最後まできれいに整えた。


「美羽より綾乃ちゃんの方が、ずっと女子力が高いねえ」


「私は見た目を整える担当。綾乃は生活全般を整える担当だから」


「役割分担が夫婦なんだよ」


「だから高校生に妻を持たせないでって言ってるでしょ」


 美羽はそう言いながら、綾乃ちゃんの作ったサンドイッチを一つ口に運んだ。


「おいしい」


「当然です。白石先輩のお好みは把握しておりますから」


「じゃあ毎日作って」


「構いませんわ」


 迷いのない返事だった。


 美羽が一瞬だけ目を丸くする。


「冗談なんだけど」


「わたくしは本気です」


「重いなあ」


「白石先輩にだけは言われたくありません」


 私は思わず笑った。


「美羽より重い子、初めて見たかも」


「ひより。本人の前で珍獣みたいに言わないで」


 美羽も口ではそう言いながら、どこか楽しそうだった。


「綾乃は何でもできるんだよ。料理も裁縫も、お茶をいれるのも上手」


「白石先輩が何もなさらなすぎるのです」


「でも、勉強は私に聞きに来るよね」


 綾乃ちゃんの動きが止まった。


「……確認しているだけです」


「昨日も英語の問題を持ってきたよね」


「一問だけです」


「三問」


「細かいことをよく覚えていらっしゃいますわね」


「綾乃のことだからね」


 美羽が笑うと、綾乃ちゃんは視線をそらした。


「そういう言い方で、ごまかさないでください」


「ごまかしてないよ。料理も上手だし、身だしなみも完璧。勉強だってすごく頑張ってる。かわいい疑似妹だと思ってる」


「……それなら結構です」


 さっきまで尖っていた綾乃ちゃんの声が、少しだけ柔らかくなった。


 そのとき、生徒会室の扉がもう一度開いた。


「先輩。寮へ戻ってこないので、様子を見に来ました」


 凜ちゃんが、私の水筒とカーディガンを抱えて立っていた。


「凜ちゃん。会いたかった?」


「忘れ物を届けに来ただけです」


「優しいねえ」


「桜庭先輩も、ずいぶん後輩にお世話されていらっしゃるのですね」


 綾乃ちゃんが凜ちゃんへ微笑みかける。


「神楽坂さんも、白石先輩のお迎えですか?」


「ええ。白石先輩は勉強の予定を立てるのはお得意なのに、ご自分の生活を整えるのは苦手ですので」


「分かります。先輩も自分のことになると、急に何もできなくなります」


 二人の間に、静かな連帯感が生まれた。


「私たちを材料に仲良くならないでよう」


「仕方ないよ。手のかかる同室者を持つと苦労するからね」


 美羽はサンドイッチを食べながら、他人事のように笑っている。


「白石先輩。そろそろ予備校へ参りましょう」


「うん。綾乃も来る?」


「もちろんです。最後までお供いたします」


「途中まででいいんだけど」


「最後までです」


 綾乃ちゃんは美羽へ上着を着せ、襟元をきれいに整えた。


「ほら。やっぱり妻だよ」


「ひより、まだ言うの?」


「白石先輩がお望みでしたら、わたくしは別に――」


「綾乃も乗らないで」


 珍しく美羽が二人分の突っ込みを入れた。


 綾乃ちゃんは美羽の鞄まで持とうとして、さすがにそれは断られていた。


「自分の鞄くらい持てるよ」


「では、疲れましたらすぐにお申し付けください」


「はいはい」


「返事は一度です」


「もうお母さんじゃん」


「妻から母親に変えないで」


 美羽が呆れた顔をする。


 けれど、綾乃ちゃんが隣に並ぶまで、先へは歩かなかった。


 二人は肩を並べて生徒会室を出ていく。


 綾乃ちゃんは、美羽が行く場所なら、どこへでもついていくのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ