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4月15日 凜視点「凜とダイナマイトペンギン」

 白い城の裏には、墓が並んでいた。


 黒い水はもう引いている。


 けれど、枯れた草も、ひび割れた土も、そのままだった。


 一番奥。


 小さな墓の上に、曲がった王冠が置かれている。


 凜はその前にしゃがみ込んでいた。


 王冠へ手を伸ばす。


「もう少しです」


 誰に言ったわけでもない。


「待っていてください」


 カエルのお姫様を生き返らせる。


 この世界を、もう一度作る。


 すず先生のいない世界。


 誰にも壊されない世界。


 そこへ先輩を連れてくる。


 今度こそ、何も失わない。


「やめろ」


 後ろから声がした。


 凜の手が止まる。


 振り返らなくても分かった。


「来ないでください」


「無理だ」


「先輩には、待っていてもらっているはずです」


「あいつは待ってる」


「なら、あなたも戻ってください」


「嫌だね」


 凜は振り返った。


 ダイナマイトペンギンが立っている。


 いつもの赤いダイナマイト。


 火のついていない葉巻。


「邪魔をしないでください」


「邪魔しに来たんじゃねえ」


「では、何をしに来たんですか」


 ダイナマイトペンギンは凜を見上げた。


「お前を助けに来た」


「必要ありません」


「知ってる」


 即答だった。


「お前は助けてって言わねえからな」


「……帰ってください」


「前にもあったな」


 凜の表情が変わる。


「何の話ですか」


「ひよりが美羽に閉じ込められたときだ」


「……」


「あいつは最初、大丈夫だって言ってた」


 凜は何も答えない。


「美羽には事情がある。自分のためにやってくれてる。だから信じるってな」


「知っています」


「お前も扉の外にいた」


「知っています」


「でも最後に、あいつは何て言った?」


 凜の手が、スカートを強く握った。


「……助けて、と」


「ああ」


「私に、助けてと言いました」


「そうだ」


「それが何ですか」


「あのとき、お前は助けたかった」


「当たり前です」


「でも、助けられなかった」


 凜が唇を噛む。


「扉を開けることもできなかった。中へ入ることもできなかった。あいつが助けてって言ってるのに、何もできなかった」


「分かっています!」


 凜の声が響いた。


「そんなこと、言われなくても分かっています!」


 ダイナマイトペンギンは黙っていた。


 凜の目に涙がたまる。


「ずっと、覚えています」


 声が小さくなる。


「先輩が私を呼んだのに、何もできなかったことくらい」


「ああ」


「だから、もう同じことにはしません」


「違う」


 ダイナマイトペンギンが言った。


「だから俺が現れたんだ」


 凜が顔を上げる。


「……何を言っているんですか」


「お前には、あいつを助けるすべがなかった」


 ダイナマイトペンギンは葉巻を嘴から外した。


「だから俺が来た」


「あなたが?」


「ああ」


「先輩を助けるために?」


「お前が助けたかったあいつを、助けるためにな」


 凜はダイナマイトペンギンを見つめた。


「俺は最初に言っただろ」


 低い声だった。


「止まった時間を動かしに来たって」


「……」


「あのときは、お前に扉を開ける力がなかった」


 ダイナマイトペンギンは、凜の後ろにある墓を見る。


「でも今は違う」


「何が違うんですか」


「今度は、お前が扉を閉めようとしてる」


 凜の顔が強張った。


「違います」


「何がだ」


「先輩は、自分で一緒に行くと言いました」


「ああ」


「私は無理やり連れてきたわけではありません」


「ああ」


「だったら――」


「そこは美羽のときと違う」


 凜が言葉を止めた。


 ダイナマイトペンギンは、あっさり認めていた。


「ひよりは自分でお前についていくと決めた。そこまで否定する気はねえ」


「なら」


「でも、その先は?」


「……」


「世界を作ったあと、あいつが帰りたいって言ったらどうする」


 凜は答えなかった。


「美羽に会いたい。静香に会いたい。学校へ戻りたい。ここから出たい」


「言いません」


「何で分かる」


「言わせません」


 凜はすぐに答えた。


「先輩が嫌なものは全部なくします。好きなものは何でも作ります。悲しいことも、苦しいことも起きないようにします」


「それでも帰りたいって言ったら?」


「……」


「どうする」


「そんなことにはなりません」


「凜」


「なりません!」


 凜の声が震えた。


「先輩が幸せでいられる世界を作るんです! ここにいたいと思えるように、全部私が――」


「それを美羽もやった」


 凜の言葉が止まった。


「私は美羽先輩とは違います!」


「ああ」


「違います!」


「ああ。違う」


 凜が息を呑む。


 ダイナマイトペンギンは静かに続けた。


「だから、お前はまだ止まれる」


「……」


「あのときの美羽は、ひよりが助けてって言っても、その気持ちを認めなかった」


 ダイナマイトペンギンが凜を見る。


「お前は違うだろ」


 凜の目から、一滴だけ涙が落ちた。


「私は……」


「お前が欲しいのは何だ」


「先輩です」


「違う」


「違いません」


「出られねえ世界に置いておけば、それでいいのか」


「……」


「お前が欲しいのは、逃げられねえひよりか?」


 凜は答えない。


「違うだろ」


「……違います」


 小さな声だった。


「じゃあ何だ」


 長い沈黙があった。


 やがて、凜が口を開く。


「先輩に」


 声が震える。


「私を選んでほしいです」


 涙がまた落ちる。


「先輩が自分で私を選んで、私のそばにいてほしいです」


「ああ」


「ずっと一緒にいたいです」


「ああ」


「どこにも行ってほしくありません」


「ああ」


「それが私の望みです」


 ダイナマイトペンギンは一度だけうなずいた。


「なら、選べなくするな」


 凜は俯いた。


「……怖いんです」


「知ってる」


「先輩が私を選ばなかったら、どうすればいいんですか」


「行くなって言え」


 凜が顔を上げる。


「え?」


「嫌だって言え」


 ダイナマイトペンギンは続けた。


「泣け。すがれ。置いていくなって言え」


「そんな……」


「格好悪くていいだろ」


 ダイナマイトペンギンが、自分の腹に巻かれた赤い筒を翼で叩く。


「俺を見ろ」


「あなたと一緒にしないでください」


「だったら、もっとみっともなくてもいい」


「よくありません!」


「何でだ」


 凜は答えられなかった。


「お前は、カエルのお姫様みたいに、きれいに笑って諦める必要なんかねえ」


 凜の視線が、墓の上の王冠へ落ちる。


「行かないでほしいなら、そう言え」


「……」


「ずっと一緒にいたいなら、そう言え」


「……」


「先輩に選んでほしいなら、ちゃんと頼め」


 ダイナマイトペンギンの声が少し低くなった。


「でも」


 凜を見る。


「あいつが最後に『助けて』って言ったら、その時は扉を開けろ」


 凜の肩が震えた。


「前は開けられなかった」


「……」


「今度は、お前が開けろ」


「そんなの……」


 凜は両手を握りしめた。


「そんなの、ひどいです」


「ああ」


「私に、全部失えと言っているのと同じです」


「違う」


「同じです!」


「失いたくねえって言いながら開けろって言ってんだ」


 凜が顔を上げる。


「どっちかを嘘にする必要はねえ」


 その言葉に、凜の目が大きくなる。


「ひよりを失いたくない。それでも、ひよりが助けてと言ったら助けたい」


 ダイナマイトペンギンは言った。


「両方、本当なんだろ」


 凜は何も言えなかった。


 ずっと昔。


 静香にも同じことを言われた。


 先輩を助けたい。


 でも、失いたくない。


 どちらか一つを嘘にする必要はない。


 あのときは、答えを出せなかった。


「……でも」


 凜が墓を見る。


「カエルのお姫様は、死んだんですよ」


「ああ」


「みんな死にました」


「ああ」


「生き返らせられるんです」


「ああ」


「だったら、どうして諦めなきゃいけないんですか」


 ダイナマイトペンギンは少し黙った。


「覚えてねえのか」


「何をですか」


「こいつが言ったことだ」


 翼で、曲がった王冠を指す。


「元どおりにはならない」


 凜の呼吸が止まった。


「でも、明日は今日より少しだけ泳ぎやすいかもしれない」


「……」


「書いたのお前だろ」


「漫画の台詞です」


「ああ」


「現実とは違います」


「ああ」


「そんな綺麗な言葉だけで、諦められるわけがないでしょう!」


「諦めなくていい」


 凜がダイナマイトペンギンを見る。


「生き返ってほしいって思ってろ」


「……」


「先輩に行ってほしくないって思ってろ」


「……」


「全部元に戻したいって、ずっと思っててもいい」


 ダイナマイトペンギンは墓へ近づいた。


「でも、思ってることと、全部その通りにすることは同じじゃねえ」


 凜の涙が止まらなくなった。


「お前はこいつに、元どおりにならなくても明日は来るって言わせた」


 曲がった王冠。


 毒に侵された池。


 最後まで逃げなかった、小さなお姫様。


「だったら、一回くらい自分でも信じてみろ」


「……怖いです」


「ああ」


「明日なんて、来てほしくありません」


「ああ」


「ずっと今日ならいいのにって思っています」


「ああ」


「先輩と、ずっとここにいたいです」


「ああ」


 ダイナマイトペンギンは一度も否定しなかった。


 凜は泣きながら王冠を持ち上げた。


「私、本当に嫌なんです」


「ああ」


「先輩がいなくなるのが」


「ああ」


「一人になるのが」


「ああ」


「終わるのが」


「ああ」


 凜は王冠を胸へ抱いた。


「それでも……」


 声が途切れる。


「それでも、先輩が帰りたいと言ったら」


 ダイナマイトペンギンは待った。


 凜が自分で続きを言うまで、何も言わなかった。


「……帰します」


 小さな声だった。


「聞こえねえ」


「帰します」


 凜は涙を拭った。


「先輩が助けてと言ったら、今度は私が助けます」


 ダイナマイトペンギンは、何も言わなかった。


 凜は墓の前へしゃがむ。


 抱えていた王冠を、元の場所へ戻した。


 曲がった王冠が、乾いた土の上に置かれる。


「ごめんなさい」


 凜が言った。


「生き返ってほしいです」


 王冠へ手を添える。


「本当は、もう一度会いたいです」


 手が震えていた。


「先輩と一緒に、またあなたの国で遊びたいです」


 しばらく、そのままでいた。


「でも」


 凜はゆっくり手を離した。


「世界を作り直すのは、やめます」


 風が吹いた。


 曲がった王冠は動かなかった。


「ループを終わらせます」


 口にした瞬間、凜の顔が歪んだ。


「……怖いです」


「知ってる」


「先輩がどうなるか分かりません」


「ああ」


「私のことを忘れるかもしれません」


「ああ」


「もう会えないかもしれません」


「ああ」


「それでもですか」


 ダイナマイトペンギンは葉巻をくわえ直した。


「離れたら、また会いに行きゃいい」


 凜の目が揺れる。


「何度離れてもな」


「……それ」


「あ?」


「手紙に書いてありました」


「ああ」


「ずるいです」


「何がだ」


「私がずっと大事にしていた言葉を、こんなときに使うなんて」


「俺が書いた手紙だ。俺が使って何が悪い」


 凜は泣いたまま、ほんの少しだけ笑った。


「本当に、嫌いです」


「知ってる」


「すごく嫌いです」


「それも知ってる」


「先輩に余計なことばかり言うし、勝手なことばかりするし」


「ああ」


「私の嫌なところばかり知っているし」


「そうだな」


 凜はダイナマイトペンギンを見た。


「でも」


 言葉にするまで、少し時間がかかった。


「来てくれて、ありがとうございました」


 ダイナマイトペンギンは答えなかった。


 葉巻を嘴の端へ動かし、顔をそらす。


 凜も、それ以上は言わなかった。


 もう一度、墓を見る。


 生き返ってほしいという気持ちは、少しも消えていない。


 先輩を閉じ込めて、永遠にそばにいてほしいという気持ちも消えていない。


 それでも。


 今度、先輩が助けてと言ったなら。


 もう扉の外で、何もできずに立っているだけではいない。


 そして、自分が扉を閉める側にもならない。


「先輩に、行かないでって言います」


 凜が言った。


「ああ」


「ずっと一緒にいてほしいって、ちゃんと言います」


「ああ」


「それでも先輩が先へ進むと言ったら」


 一度だけ目を閉じる。


 それから、開いた。


「今度は、私が助けます」


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