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4月15日 選択肢「漫画『ダイナマイトペンギン』を読む」

 私は地下へ続く階段の前に座り、『ダイナマイトペンギン』の表紙を開いた。


 一ページ目。


 小柄なツインテールの女の子が、机に向かって手紙を書いている。


 窓の外には桜の木。


 机の上には、消しゴムのかすと、何度も書き直した便箋。


 女の子は真剣な顔をしていた。


『先輩へ』


 そこまで書いて、手が止まる。


『いつも、ありがとうございます』


 書いては消す。


『先輩といると、楽しいです』


 また消す。


『好きです』


 女の子の顔が真っ赤になる。


 そして、便箋を丸めてゴミ箱へ投げた。


「凜ちゃんみたい」


 思わず声に出た。


 次のコマ。


 ゴミ箱の中から、黒い頭が飛び出した。


『なら、俺が届けてやる』


 赤いダイナマイトを腹に巻き、太い葉巻をくわえたペンギン。


 ダイナマイトペンギンだった。


『嫌です!』


『遠慮するな』


『遠慮ではありません!』


『俺に任せろ』


『何をするつもりですか!』


 ダイナマイトペンギンは丸められた便箋をくわえ、窓から飛び出した。


 次のページでは、木の枝に引っかかって逆さまになっている。


『飛べないんですか!?』


『今日は風向きが悪い』


『ペンギンは最初から飛べません!』


 思っていたより、ずっと面白かった。


 ツインテールの少女は、いつも憧れの先輩を遠くから見ている。


 廊下ですれ違えば、緊張しすぎて壁へぶつかる。


 先輩が落としたハンカチを拾えば、返そうとしては引き返し、結局三日も持ち歩く。


 話しかける練習を何度もして、ようやく本人の前まで行ったと思ったら、


『きょ、今日はいい天気ですね!』


『そうだね』


『……以上です!』


 と言って逃げてしまう。


 そのたびにダイナマイトペンギンが現れる。


『任せろ』


『何をするつもりですか』


『二人きりになる状況を作る』


『普通の方法でお願いします』


 普通の方法を頼まれたダイナマイトペンギンは、学校の廊下へ落とし穴を掘った。


 先輩だけでなく、校長先生まで落ちた。


 文化祭では、少女と先輩を同じ係にするため、抽選箱の紙を全部書き換えた。


 結果として、全校生徒が同じ係になった。


 雨の日には、少女が先輩と一本の傘に入れるよう、学校中の傘を隠した。


 ところが自分も隠し場所を忘れ、全員ずぶ濡れになった。


「本当に無茶するねえ」


 ダイナマイトペンギンは、毎回ひどいことをする。


 けれど、どこか憎めない。


 少女が先輩の前で失敗すると、必ずそれ以上の騒ぎを起こして、周りの視線を自分へ集める。


 少女が落ち込むと、何も言わず十円玉を一枚渡す。


『何ですか、これは』


『種銭だ』


『何の?』


『次の恋に賭けろ』


『先輩を諦めるつもりはありません!』


『なら、同じ恋にもう一度賭けろ』


 単純なギャグ漫画ではなかった。


 細かい設定も、たくさんあった。


 ダイナマイトペンギンの腹巻きには、毎回違う道具が入っている。


 葉巻には銘柄があり、本人は味の違いを熱心に語るけれど、一度もまともに火をつけられない。


 町にはペンギン専用の競馬場がある。


 学校の購買には、十円で買えるパンが一つだけあり、ダイナマイトペンギンは毎朝それを狙っている。


 少女のクラスメイトたちにも、それぞれ好きな人がいたり、家の事情があったりする。


 背景の掲示物を見ると、前の話でダイナマイトペンギンが起こした騒ぎの後始末まで、小さく描かれていた。


 適当に読んでも笑えるのに、よく見ると、前の話から続いているものがいくつもある。


 それに、少女が先輩へ向けている気持ちも、ずっと丁寧に描かれていた。


 少女は、同性の先輩が好きだった。


 でも、そのことを漫画の中では誰も特別扱いしない。


 ダイナマイトペンギンも、難しいことは言わない。


 ただ普通に、


『今日こそ言え』


 と背中を押す。


『無理です』


『なら明日言え』


『明日も無理です』


『じゃあ来週だ』


『伸ばしただけじゃないですか!』


『一日より一週間の方が覚悟は決まる』


『絶対に忘れているだけですよね!?』


 そういう漫画だった。


 私は何度も笑った。


 この地下の奥で凜ちゃんが何をしているのか、忘れたわけではない。


 それでも、ページをめくる手が止まらなかった。


 これなら人気が出るのも分かる気がした。


 凜ちゃんと綾乃ちゃんがこの漫画のことを話していた理由も、少し分かる。


 分かりやすくて、勢いがあって、毎回ちゃんと笑える。


 それなのに、あとから前のページへ戻りたくなるようなところがある。


「面白いねえ」


 私は誰もいない通路で呟いた。


 これを凜ちゃんが描いた。


 そう思うと、なんだか嬉しかった。


 ところが、物語の終盤。


 空気が突然変わった。


 それまで毎回登場していた憧れの先輩が、出てこなくなる。


 最初は、風邪で休んでいると説明されていた。


 次の回では、しばらく学校へ来られないと言われる。


 少女は毎日、先輩の教室の前を通る。


 空になった席を見る。


 ダイナマイトペンギンは、いつものように無茶な計画を提案する。


『病院へ潜入する』


『迷惑です』


『窓から入る』


『もっと迷惑です』


 でも、少女は笑わない。


 次のページ。


 葬儀の場面だった。


 説明はほとんどない。


 黒い服を着た人たち。


 白い花。


 ツインテールの少女の後ろ姿。


 それだけで、憧れの先輩が死んだことが分かった。


「……急だね」


 私はページをめくった。


 そこから、絵が変わった。


 背景がほとんど描かれなくなる。


 人物の顔も、前ほど細かく描き込まれていない。


 コマの形も少しずつ崩れて、台詞も減っていく。


 少女は学校へ行かない。


 机にも向かわない。


 ダイナマイトペンギンが何をしても反応しない。


 葉巻へ火をつけようとして失敗しても。


 競馬で全財産を失っても。


 町の時計台を爆破しても。


 少女は笑わなかった。


『笑え』


 ダイナマイトペンギンが言う。


 少女は答えない。


『怒れ』


 答えない。


『俺を殴れ』


 答えない。


『何でもいいから、こっちを見ろ』


 少女は窓の外を見ている。


 先輩がいなくなった空を。


 最初のころはあれだけ細かく描かれていた漫画なのに、ページが進むほど何もなくなっていく。


 まるで、描くこと自体が苦しくなっていったようだった。


 残りは十数ページしかない。


 どうやって終わるのだろう。


 私は少し怖くなりながら、次のページを開いた。


 ダイナマイトペンギンが、夕日の中に立っていた。


 腹に巻かれたダイナマイト。


 いつもより多い。


 身体がほとんど見えないほど、何重にも巻かれている。


『俺が世界を変える』


 少女が、初めて顔を上げる。


『やめてください』


『やっと喋ったな』


『そんなことをしても、先輩は戻りません』


『やってみなきゃ分からねえ』


『死にますよ』


『俺は最初から、そのために巻いてる』


 ダイナマイトペンギンが葉巻へ火をつける。


 今度は、一度で火がついた。


 その火を、導火線へ近づける。


『待って』


 少女が手を伸ばす。


『次は、ちゃんと言え』


 導火線に火が移る。


 最後に、ダイナマイトペンギンは笑った。


『好きだってな』


 真っ白な見開き。


 中央に、小さく、


 ドン。


 とだけ書かれていた。


 次のページでは、世界が変わっていた。


 桜の咲く学校。


 笑う生徒たち。


 元気に廊下を歩く、憧れの先輩。


 少女がその姿を見つけ、泣きながら走っていく。


 ダイナマイトペンギンも、なぜか普通に生きている。


 爆発の傷もない。


 町も元どおり。


 少女と先輩とダイナマイトペンギンは、みんなで同じ家に暮らし始める。


 朝は三人で食卓を囲み、放課後は買い物へ行き、休日には遊園地へ出かける。


 先輩は笑っている。


 少女も笑っている。


 ダイナマイトペンギンは、勝手に二人の財布から十円玉を集めている。


 最後は、三人で記念写真を撮る場面だった。


『こうして、みんなはいつまでも楽しく暮らしました』


 唐突なハッピーエンド。


 何が起きたのかは、ほとんど説明されていない。


「本当に爆発で変わったの?」


 私は思わず本へ聞いた。


 もちろん、答えはない。


 でも、その終わり方には少し違和感があった。


 それまで細かく作られていた世界なのに、最後だけ急に話が進んでいる。


 先輩が死んだ理由も。


 世界が変わった理由も。


 ダイナマイトペンギンが生きている理由も。


 少女が、その出来事をどう受け止めたのかも。


 何も分からないまま、


 幸せになりました。


 と終わっている。


 考える時間がなかったというより。


 どうしても最後だけは、幸せにしたかったように見えた。


 最後のページをめくる。


 裏表紙の前に、短い文章があった。


『一緒に渡した紙を見ろ。』


「紙?」


 私は制服の内ポケットへ手を入れた。


 白い城の書斎で、ダイナマイトペンギンから渡された紙。


 丸いペンギンの落書きが描かれていた紙だ。


 広げる。


 前に見たときは、薄く擦れた線と文字がいくつもあることしか分からなかった。


 でも、漫画を読み終えたあとなら分かる。


 漫画を考えていたときのメモだった。


 真ん中に、丸いペンギンの絵。


 まだ腹には何も巻いていない。


 その横に、少し大きな字。


『ダイナマイトとか巻いたら面白そう ひより』


 矢印が引かれ、その先に別の字。


『それはやりすぎでは(笑) 凜』


 さらに、その下。


『でも普通のペンギンより目立つよ ひより』


『普通のペンギンに失礼です 凜』


『葉巻も似合いそう ひより』


『子ども向けですよね? 凜』


『火がつかなければ大丈夫 ひより』


『安全への配慮が雑すぎます(笑) 凜』


 私は目を見開いた。


「私の名前……」


 漫画そのものを書いていたのは、凜ちゃんだ。


 でも、その横で私も好き勝手なことを言っていたらしい。


 文字は急いで書いたように少し乱れていた。


 丸が歪み、矢印が別の文字へ突っ込んでいる。


 書き損じを、そのまま上から直した跡もあった。


 きっと、話しながら思いついたことを、そのまま書いていったのだろう。


 もう一度、文字を追う。


『先輩が出てくる話も読みたい ひより』


『恋愛漫画にするんですか? 凜』


『かわいくて優しい先輩がいい ひより』


『注文が多いです(笑) 凜』


『ちょっと抜けてるともっといい ひより』


『それは褒めているんですか? 凜』


『もちろん ひより』


 その横には、ツインテールの少女と、髪の長い先輩らしい人物の落書き。


 先輩の頭には、なぜか大きな花が三つ描かれている。


『花多くないですか? 凜』


『華やかな方が先輩っぽいよ ひより』


『そんな先輩います?(笑) 凜』


 別の場所には、


『毎回告白に失敗する』


『ペンギンが余計なことをする』


『最後はちゃんと言える』


 というメモが並んでいる。


 その下へ、少し濃い字で、


『絶対に幸せにする』


 と書かれていた。


 誰の字かは分からなかった。


 ひより、と名前が添えられていない。


 凜、とも書かれていない。


 ただ、その言葉だけが、ほかのふざけた書き込みの間に残っている。


 紙を見ていると、楽しそうな様子が浮かんできた。


 凜ちゃんが漫画を考えて。


 私が横から好き勝手なことを言って。


 それはやりすぎだと凜ちゃんが笑って。


 結局、その案が漫画に入っている。


 そんなことを何度も繰り返していたのかもしれない。


 私は、その場面を覚えていない。


 それでも、なぜか簡単に想像できた。


『先輩、それはさすがに駄目です』


『でも面白そうだよ』


『面白ければ何でも許されると思わないでください』


『じゃあ、これは?』


『もっと駄目です』


 そんなやり取りをしながら、凜ちゃんはこの漫画を描いていたのだろう。


 楽しかったのだと思う。


 すごく。


 私は覚えていない。


 でも、凜ちゃんが一人で作っていたわけではなかった。


 凜ちゃんが作るものを、私は隣で面白がっていた。


 もっとやろうと背中を押していた。


 その結果できたのが、ダイナマイトペンギンだった。


 そして、その漫画の最後では、先輩が死んでいた。


 少女は笑えなくなり。


 ダイナマイトペンギンが自爆して。


 世界が変わった。


 最後には、全員が幸せになった。


「これが、凜ちゃんの望んだ終わり方なのかな」


 私の声が、地下への通路へ小さく響いた。


 答えは返ってこない。


 紙の最後。


 端のほうに、小さな文字が残っていた。


『終わり方は、あとで考えましょう 凜』


 その下に、少し乱れた字。


『大丈夫。最後はみんな笑ってるよ ひより』


 私は、その文字を指でなぞった。


 これを書いたときの私は、どんな気持ちだったのだろう。


 この漫画が最後にこんな話になると、分かっていたのだろうか。


 それとも、ただ凜ちゃんが作っている漫画なら、最後は幸せになると信じて書いただけなのか。


 地下の奥には、凜ちゃんとダイナマイトペンギンがいる。


 私はまだ降りてはいけないと言われている。


 膝の上には、唐突なハッピーエンドで終わった漫画。


 手の中には、凜ちゃんが漫画を考えていたとき、私もそばにいたことが分かる紙。


 漫画の最後では、世界が変わると、死んだ先輩が戻ってきた。


 そして今、凜ちゃんは死んだカエルのお姫様を生き返らせようとしている。


 私は紙を丁寧に折り直した。


 ダイナマイトペンギンが、どうしてこれを私に読ませたかったのか。


 少しだけ分かった気がした。


 凜ちゃんは、今やろうとしていることを突然思いついたわけではない。


 大切な人を失ったら。


 世界そのものを変えて。


 失ったものを取り戻して。


 最後には、みんな笑っている。


 この漫画にも、同じ終わり方が描かれていた。


 地下から、遠く小さな音が聞こえた。


 何かが崩れたような音だった。


 私は顔を上げる。


 ダイナマイトペンギンは、まだ待っていろと言った。


 でも。


 もうすぐ、ここで待っている時間は終わる。


 そんな気がした。


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