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4月14日 イベント「毒殺されたカエルのお姫様」

 白い城の門をくぐると、中はひどく静かだった。


 外では乾いた風が吹いていたのに、城の中へ入った途端、それさえ聞こえなくなる。


 床には白い石が敷き詰められている。


 壁には、池の王国の歴史を描いたらしい古い絵。


 冠をかぶったカエル。

 水路を掘る兵士たち。

 泥玉を投げて遊ぶ子どもたち。


 どの絵にも、今はもう動かない者たちが描かれていた。


「誰もいないねえ」


「いるかもしれないわ。気を抜かないで」


 すず先生は私の前を歩いている。


 ダイナマイトペンギンは、火のついていない葉巻を嘴にくわえ、足元の跡を見ながら進んでいた。


「血はねえ」


「何か分かるの?」


「争った跡もねえ」


「毒だから?」


「たぶんな」


 広い廊下を抜ける。


 階段を上る。


 重い扉の前で、すず先生が立ち止まった。


「ひより、後ろへ」


「はい」


 先生が扉へ手をかける。


 ゆっくりと押す。


 軋む音とともに、白い光が差し込んだ。


 そこは、大きな玉座の間だった。


 天井は高く、奥には蓮の花を模した玉座が置かれている。


 その前に、小さな身体が横たわっていた。


「……カエルのお姫様」


 ピンク色のドレス。

 少し曲がった冠。

 緑色の手。


 本の中で何度も池へ落ちていた、あのお姫様だった。


 けれど、もう動かない。


 目は閉じられ、身体のそばには乾いた泥がこびりついていた。


 私は近づこうとした。


 すず先生の腕が、私の前へ出る。


「触らないで」


「でも」


「死体に素手で触れるものではないわ」


「死んでるの?」


 先生は答えなかった。


 ダイナマイトペンギンが、お姫様のそばまで歩いていく。


 しばらく黙って、その顔を見下ろしていた。


「こいつは最後まで逃げなかったんだな」


「どうして分かるの?」


「城に残ってる」


「みんなを置いていけなかったのかな」


「さあな」


 ダイナマイトペンギンは葉巻を嘴から外した。


 いつものような乱暴な言い方ではなかった。


「王ってのは、逃げるのが下手だ」


「お姫様だよ」


「同じだ」


 私は、『カエルのお姫様』第三巻の最後を思い出した。


 元どおりにはならない。

 でも、明日は今日より少しだけ泳ぎやすいかもしれない。


 あの台詞を言ったお姫様は、その明日を見ることができなかった。


「行きましょう」


 すず先生が言った。


「探している漫画は、ここではないはずよ」


 先生の声は冷静だった。


 悲しんでいるようには見えない。


 けれど、玉座の間を出る前に、一度だけ振り返った。


     *


 城の奥には、書斎があった。


 壁一面の本棚。

 大きな机。

 床へ積み上げられた紙の束。


 窓はすべて閉ざされ、部屋の中には古い紙と湿った木の匂いがこもっている。


「本、いっぱいあるねえ」


「探しているものだけ見つけるわよ」


 すず先生が言う。


「全部読んだら?」


「何日かかると思っているの?」


「私、今日は疲れないよ」


「そういう問題ではないわ」


 私たちは手分けして棚を探した。


 背表紙には、知らない文字が並んでいる。


 古いカエル文字。

 池の新しい言葉。

 北の沼地の方言。


 昨日読んだ漫画の中では説明があったけれど、実物を見ると全然分からない。


「読めないねえ」


「読めなくていい」


 ダイナマイトペンギンが、一番奥の本棚の前で立ち止まった。


 短い翼を伸ばし、棚に並んでいた一冊を引き抜く。


「これだ」


 黒い表紙の漫画だった。


 表紙には、赤いダイナマイトを腹に巻き、葉巻をくわえたペンギンが描かれている。


「『ダイナマイトペンギン』」


「ああ」


 背表紙には、大きく「一」と書かれていた。


「一巻だけ?」


「いや」


 ダイナマイトペンギンは、その隣に並んでいる漫画を順番に確認していった。


 二巻。

 三巻。

 四巻。


 同じ黒い背表紙が、棚の奥まで続いている。


「全部あるぞ」


「何巻まで?」


「二十七巻」


「そんなに長かったんだ」


「俺の人生を描くには短すぎる」


「ダイナマイトペンギンの人生、そんなに色々あるの?」


「戦争だけで五巻使う」


「ちょっと長いねえ」


「必要な話だ」


 ダイナマイトペンギンは一巻を腹巻きの中へ押し込んだ。


 漫画は引っかかることもなく、するりと中へ消える。


 続けて、二巻。

 三巻。

 四巻。


 一冊ずつ棚から抜き取り、次々と腹巻きへしまっていく。


「全部入るの?」


「入る」


「お腹、重くならない?」


「ならねえ」


「やっぱりドラえもんみたい」


「誰だそいつは」


「未来から来た便利な生き物」


「一緒にするな。俺は便利じゃねえ」


「二十七冊も漫画が入るのに?」


「俺が便利なんじゃねえ。腹巻きが優秀なんだ」


「同じじゃない?」


「違う」


 十巻。

 十五巻。

 二十巻。


 ダイナマイトペンギンは途中で休むこともなく、漫画を腹巻きへ入れ続ける。


「二十五、二十六……二十七」


 最後の一冊が消えると、棚には漫画が置かれていた跡だけが残った。


「全巻回収したぞ」


「読むの楽しみだねえ」


「先に凜へ渡す」


「凜ちゃんに?」


「こいつは凜の漫画だ」


 ダイナマイトペンギンはそれだけ言うと、机の上を探り始めた。


 紙の束をひっくり返す。


 その中から、一枚の薄い紙を抜き取った。


「これも重要だ」


「何?」


 私へ差し出す。


 受け取る。


 紙には、落書きのようなダイナマイトペンギンが描かれていた。


 丸い頭。

 短い翼。

 腹に巻かれた、三本の赤い筒。


 子どもが勢いだけで描いたような線だった。


 横には、何か文字らしいものがある。


 でも、薄く擦れていて読めない。


「どうして重要なの?」


「持ってろ」


「説明は?」


「今はできねえ」


「また聞くな?」


「今回は言ってねえ」


「同じだよ」


 私は紙を折らないよう、制服の内ポケットへしまった。


「なくさないで」


 すず先生が言う。


「先生は何か分かる?」


「分からないわ」


 即答だった。


「でも、重要なのでしょう?」


「ダイナマイトペンギンが言ってるから?」


「この子が、金にも煙草にも関係のないものを重要だと言うのは珍しいもの」


「信用されてるねえ」


「十円払えばもっと信用できるぞ」


「今は美羽に雇われてるでしょう」


「副業は可能だ」


     *


 漫画を見つけた。


 これで目的は終わったはずだった。


 すず先生は、すぐに書斎の扉へ向かった。


「戻りましょう」


「待て」


 ダイナマイトペンギンが言った。


「何?」


「埋める」


「何を?」


「カエルどもだ」


 先生の眉がわずかに動いた。


「今すぐ戻るべきよ」


「先に埋める」


「予定にないことを始める余裕はないわ」


「だから何だ」


「漫画を見つけた以上、長居する理由はないと言っているの」


「死んだまま放っておくほうが気分が悪い」


「あなたの気分で、ひよりをこんな場所へ長く留めるつもり?」


「ひよりは城にいりゃいい」


「あなた一人でも駄目よ」


 ダイナマイトペンギンは、すず先生を無視して書斎を出た。


「ちょっと」


 先生の声が少し低くなる。


 それでもダイナマイトペンギンは止まらない。


 玉座の間へ戻り、カエルのお姫様の身体のそばに立った。


 短い翼で冠を拾い、泥を払う。


「ダイナマイトペンギン」


「手伝うな」


「でも一人じゃ大変だよ」


「仕事じゃねえ。俺がやる」


 城の裏には、乾いた土の庭があった。


 ダイナマイトペンギンは、どこから出したのか小さなスコップを腹巻きから取り出し、穴を掘り始めた。


 ざく。

 ざく。


 小さな身体に似合わず、土を掘る手は速かった。


 すず先生は少し離れた場所に立ち、腕を組んで見ている。


 明らかに不満そうだった。


「時間がかかりすぎるわ」


「なら帰れ」


「ひよりを置いて帰るわけにはいかないでしょう」


「俺が守る」


「十円で?」


「金額の話はすんな」


 先生は目を細めた。


「そんなに凜を守りたいの?」


 スコップの音が止まった。


 私は先生を見る。


「凜ちゃん?」


 先生はダイナマイトペンギンだけを見ていた。


「ここにいるカエルたちは、凜が作ったものだから?」


 ダイナマイトペンギンは答えない。


「愛されてもいないのに?」


 空気が冷たくなった気がした。


 ダイナマイトペンギンが、ゆっくり先生を振り返る。


「お前は愛を分かってねえ」


「分かっているわ」


「分かってるやつは、愛されてるかどうかを先に聞かねえ」


「一方的に守るだけで満足だと?」


「満足するかどうかじゃねえ」


「では、何?」


 ダイナマイトペンギンは、また穴を掘り始めた。


「守りてえから守る。それだけだ」


「相手が望まなくても?」


「望まれてから守るのは取引だ」


 先生の表情は変わらなかった。


 でも、少しだけ唇が固くなった。


「きれいごとね」


 ダイナマイトペンギンは、それ以上話さなかった。


 穴を掘り続ける。


 先生も何も言わなくなった。


 ただ、不満そうな顔のまま、その背中を見ていた。


     *


 私たちは、カエルのお姫様と兵士たちを埋葬した。


 全部を運ぶことはできなかったので、城の近くにいた者たちだけだった。


 ダイナマイトペンギンは、一体ずつ丁寧に土の中へ寝かせた。


 最後に、お姫様の曲がった冠を墓の上へ置く。


「お墓に置いちゃうの?」


「こいつのだ」


「土に埋めないんだね」


「また誰かが見つけるかもしれねえ」


「誰が?」


「知らねえ」


 先生が時計を見る。


「もう戻るわよ」


 今度はダイナマイトペンギンも反対しなかった。


 城を出る。


 枯れた池を歩く。


 私は、さっき先生が言った言葉を考えていた。


 愛されてもいないのに。


 誰が、誰に愛されていないのだろう。


「先生」


「何?」


「先生も『ダイナマイトペンギン』を読んでるの?」


「当たり前でしょう」


「みんな読んでるねえ」


「読んでいない美羽のほうがおかしいのよ」


「静香ちゃんですら読んでるのに」


 先生の足が止まった。


「静香ちゃんが?」


「うん。ダイナマイトペンギンのほうが面白いって言ってた」


「……あの子が読んだの?」


 先生は、本当に驚いているようだった。


「静香ちゃんなら読んでそうじゃない?」


「いいえ」


 先生は小さく首を振る。


「人の手紙も読まないくせに」


「手紙?」


 私が聞き返す。


 先生は、はっとしたように口を閉じた。


「何でもないわ」


「誰の手紙?」


「聞かなくていいことよ」


「静香ちゃんに送ったの?」


「ひより」


「はい」


「それ以上聞くなら、ここに置いて帰るわよ」


「先生はそんなことしないよ」


「……そういうところだけ、よく分かっているのね」


 先生は再び歩き始めた。


 いつもと同じ背筋。

 いつもと同じ冷たい声。


 でも、今度は少しだけ歩くのが速かった。


 ダイナマイトペンギンが、私の横で葉巻を動かす。


「読まれねえ手紙ほど、長く残る」


「知ってるの?」


「俺は何も言ってねえ」


「今、言ったよ」


「独り言だ」


「便利だねえ、独り言」


 私は制服の内ポケットへ手を当てた。


 そこには、落書きのようなダイナマイトペンギンが描かれた紙が入っている。


 未来から来た漫画。

 埋葬されたカエルたち。

 愛されていなくても守るというペンギン。

 読まれなかった手紙。

 そして、病気を忘れたように軽い身体。


 白い城は、私たちの背後で静かに小さくなっていった。


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