4月13日 イベント「ダイナマイトペンギンとクレーンゲーム」
地下から長い階段を上り、狭い通路を抜けて、ようやく本屋へ戻った。
店内には、さっきまでと変わらない静かな音楽が流れている。
レジの前では客が雑誌を買い、奥の棚では店員が本を並べていた。あれほど深い地下に、カエルの兵士が暮らす世界が広がっていることなど、誰も知らないようだった。
外へ出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
駅前の建物には明かりが灯り、仕事帰りの人や制服姿の学生が、私たちの横を忙しそうに通り過ぎていく。
「今日は、このまま寮へ戻ります」
すず先生が言った。
「寄り道は禁止?」
「禁止です」
「本屋も寄り道だったねえ」
「ここから先の話をしています」
先生の声はいつもどおり冷たい。
けれど歩き始めてからも、私たちが全員ついてきているか確かめるように、何度も後ろを振り返っていた。
美羽は綾乃ちゃんの隣を歩いている。
「まだ足、震えてる?」
「震えておりません」
「本当に?」
「美羽先輩は、いつまでその話をなさるおつもりですの」
「次に同じことが起きても、動けるようになるまで」
「わたくしは今、きちんと歩いているでしょう!」
「歩くのと、剣を持って動くのは別だよ」
「初めて実物の兵士を見たのです! 練習と同じようにできるわけがありませんわ!」
「だから、次の練習方法を変えないと」
「もう次の話をなさっていますの?」
美羽は本気で、帰ったあとの練習方法まで考えているらしい。
二人の言い争う声を聞きながら歩いていると、すず先生が小さく息を吐いた。
「話せるくらい元気なら、少し安心したわ」
「先生、心配してた?」
私が尋ねる。
「していないように見えた?」
「うん」
「そう」
すず先生は、それ以上何も言わなかった。
駅前の交差点へ差しかかったところで、賑やかな電子音が聞こえてきた。
ゲームセンターだった。
入口には何台ものクレーンゲームが並び、赤や青の光が歩道まであふれている。
寄り道は禁止。
私は先生の言葉を思い出し、そのまま通り過ぎようとした。
「あ」
ゲームセンターの前に、見覚えのある黒い背中があった。
白い腹。
赤いダイナマイト。
嘴には太い葉巻。
ダイナマイトペンギンである。
「いた」
「何が?」
美羽が私の視線を追った。
「また妙なことをしていますわね」
綾乃ちゃんが呟く。
ダイナマイトペンギンは、一台のクレーンゲームへしがみついていた。
透明な箱の中には、小さなペンギンのストラップが山積みになっている。
黒い体に白いお腹。
首には赤い蝶ネクタイ。
丸い目をした、素直にかわいいペンギンだった。
「似てるねえ」
「似てねえ」
ダイナマイトペンギンは、こちらを振り返らずに答えた。
「気づいてたんだ」
「お前の声は、遠くからでも聞こえる」
「何してるの?」
「見りゃ分かるだろ」
ダイナマイトペンギンは、投入口へ十円玉を押し込もうとしていた。
硬貨が入口にぶつかり、足元へ落ちる。
拾い上げて、もう一度押し込む。
やはり入らない。
「故障か?」
「百円って書いてあるよ」
「十円を十枚入れれば百円だろうが」
「機械は一枚ずつしか数えてくれないみたい」
「融通の利かねえ箱だ」
ダイナマイトペンギンは、落ちた十円玉を拾って腹巻きへ戻した。
それから私へ短い翼を差し出す。
「両替しろ」
「十円玉を百円玉に?」
「ああ」
「どれくらいあるの?」
「三百円分だ」
ダイナマイトペンギンは腹巻きへ両翼を差し込んだ。
中から、十円玉が次々に出てくる。
一枚。
二枚。
五枚。
十枚。
まだ出てくる。
歩道の端に、小さな硬貨の山ができた。
「ずいぶん稼いだねえ」
「三日間、働き詰めだ」
「何をしたの?」
「配膳、荷物運び、靴磨き、校庭の石拾い、迷子の案内。それからパン屋の手伝いだ」
「真面目に働いてる」
「当然だ」
「賭博は?」
「三回負けた」
「それで残ったのが三百円なんだ」
「その話はするな」
美羽が十円玉の山を見下ろした。
「全部、自分で稼いだの?」
「勝負師は、種銭を他人に頼らねえ」
「三回負けた人が言っても、あまり格好よくないね」
「白石。お前は黙ってろ」
私は十円玉を十枚ずつ数え、三つの山に分けた。
自分の財布から百円玉を三枚取り出す。
「はい。三百円」
「確かに」
ダイナマイトペンギンは百円玉を一枚ずつ光へかざし、表と裏を確かめた。
「私のことを疑わないでよ」
「金のやり取りに、情を持ち込むな」
「そんなに大事なお金で、何を取るの?」
私はクレーンゲームの中をのぞいた。
どのストラップも、少しずつ表情や形が違う。
ダイナマイトペンギンが見つめていたのは、右奥にある一つだった。
ほかのものより少し小さく、片方の目の刺繍がずれて細くなっている。首の蝶ネクタイも、わずかに曲がっていた。
「あれだ」
「手前に、もっと取りやすそうなのがあるよ」
「あれじゃなきゃ駄目だ」
「どうして?」
「凜が欲しがってた」
あまりにも普通に答えたので、私は一瞬反応が遅れた。
「凜ちゃんが?」
「この前、ここを通ったときに見てただけだ。欲しいとは言ってねえ」
「でも、欲しいと思ったんだ」
「知らねえよ」
「取ってあげるの?」
「俺が取ってから、いらねえなら捨てればいい」
「凜ちゃんは捨てないと思う」
「まだ取れてねえ」
ダイナマイトペンギンは、それ以上聞くなというように百円玉を投入した。
軽快な音楽が鳴り、クレーンが動き始める。
「右奥だね」
「分かってる。黙って見てろ」
ボタンを押す。
クレーンが横へ動いた。
次に、奥へ進む。
「もう少し右じゃない?」
「口を出すな」
「はあい」
ダイナマイトペンギンがボタンを押すと、アームがゆっくりと下りていった。
三本の爪が、ストラップの胴体をつかむ。
「取れそう」
ストラップが持ち上がった。
出口へ向かって運ばれていく。
けれど、途中で爪の隙間から滑り落ちた。
「ああ」
「くそっ」
「惜しかったねえ」
「次だ」
二枚目の百円玉を入れる。
今度は、アームの爪が赤い蝶ネクタイに引っかかった。
ストラップは少し手前へ動いたが、それだけだった。
「近づいたよ」
「取れなきゃ同じだ」
「前進ではあるよ」
「勝負に慰めはいらねえ」
三枚目。
ダイナマイトペンギンは、何度も箱の横へ回り込み、位置を確認した。
右。
少し奥。
もう少しだけ手前。
小さな体を伸ばし、真剣な顔でボタンを見つめている。
「そこじゃない?」
「黙ってろ。集中が切れる」
「さっきから黙ってって言われてばかりだ」
「なら学習しろ」
ダイナマイトペンギンがボタンを押した。
アームが下りる。
爪が、ストラップの頭と片方の翼を挟んだ。
今度はしっかり持ち上がる。
「取れたかも」
出口の真上まで運ばれていく。
あと少しだった。
けれど、アームが開く直前、ストラップがゆっくりと傾いた。
出口の縁へぶつかり、そのまま景品の山へ転がり落ちる。
ゲームの終了を知らせる音楽が流れた。
ダイナマイトペンギンは、しばらく動かなかった。
空になった翼を、操作台の上へ置いている。
「終わっちゃったね」
「ああ」
「私がお金を出そうか?」
私は財布を開いた。
「あと一回くらいなら――」
「いらねえ」
「でも、凜ちゃんにあげたいんでしょう?」
「だからだ」
ダイナマイトペンギンは、透明な箱の向こうにあるストラップを見つめた。
「人の金で取ったものを渡しても、俺が取ったことにはならねえ」
「同じ百円だよ」
「違う」
低く、はっきりした声だった。
「自分で働いて稼いだ金で取る。そうじゃなきゃ意味がねえ」
「凜ちゃんは、誰のお金か気にしないと思うけど」
「凜が気にするかどうかじゃねえ」
ダイナマイトペンギンは、曲がった蝶ネクタイのストラップから目を離さなかった。
「俺が気にする」
私は、ダイナマイトペンギンを見た。
この三日間、十円玉を一枚ずつ集めていた。
途中で賭けに負けながらも、残った硬貨を腹巻きへしまい続けた。
自分で稼いだお金で、凜ちゃんが見ていたストラップを取るために。
「格好いいねえ」
「当然だ」
ダイナマイトペンギンは、少しだけ顔をそらした。
「でも、お金なくなっちゃったね」
「明日また稼ぐ」
「また働くの?」
「ああ」
「賭けない?」
「条件のいい勝負があれば考える」
「やっぱり賭けるんだ」
「増やせれば、早く取れる」
「三回負けてるよ」
「次は勝つ」
後ろで、すず先生が腕時計を確認した。
「桜庭さん。そろそろ戻ります」
「はあい」
「寄り道は禁止と言ったはずですが」
「私はゲームセンターに入ってないよ」
「十分立ち止まっています」
「先生も一緒に立ち止まってたねえ」
「あなたたちを置いて帰れないからでしょう」
ゲームセンターの入口には、自動販売機が並んでいる。
私は、そのうちの一台へ向かった。
「何してるの?」
美羽が尋ねる。
「コーラを買う」
「今の話を聞いていた?」
すず先生が言う。
「これで最後です」
「最初から最後まで寄り道でしょう」
私は百六十円を入れ、ボタンを押した。
音を立てて、冷たい缶が落ちてくる。
それを取り出し、ダイナマイトペンギンへ差し出した。
「はい」
「何だ」
「コーラ」
「見りゃ分かる」
「飲んで」
「俺は、自分で稼いだものしか受け取らねえ」
「これは景品じゃないよ」
「じゃあ何だ」
「三百円も働いて稼いだお祝い」
ダイナマイトペンギンは、缶と私の顔を交互に見た。
「対価は?」
「ないよ」
「借りは作らねえ」
「それなら、今度くだらない話を一つ聞かせて」
「俺の話に、くだらねえものはない」
「戦争の話は重いから、もっと軽いやつ」
「難しい注文だな」
「受け取らない?」
ダイナマイトペンギンはしばらく迷い、やがて缶を両翼で抱えた。
「今回だけだ」
「うん」
「次は俺が買う」
「また十円玉を集めないとね」
「コーラはいくらだ」
「百六十円です」
すず先生が答えた。
ダイナマイトペンギンが固まった。
「物価が狂ってやがる」
「未来から来たのに知らないんだ」
「未来ではコーラは配給制だった」
「本当?」
「嘘だ」
ダイナマイトペンギンは、缶の上へ翼をかけた。
けれど、プルタブへうまく引っかからない。
何度試しても、翼が滑ってしまう。
「開けようか?」
「自分でやる」
「コーラは私にもらったのに?」
「もらったからこそ、開けるところくらいは自分でやる」
しばらく缶と格闘したあと、ダイナマイトペンギンは葉巻の先をプルタブの隙間へ差し込んだ。
ぷしゅっ。
小さな音を立てて、缶が開いた。
「おお」
「見たか」
「葉巻が初めて役に立ったね」
「俺の魂を便利道具扱いするな」
ダイナマイトペンギンは、缶へ嘴をつけた。
ごくごくと飲む。
それから、目を大きく見開いた。
「うまい」
「よかった」
「炭酸が喉へ刺さる」
「スリルがある?」
「ああ」
ダイナマイトペンギンは、今までで一番うれしそうな顔をした。
「ダイナマイトよりは安全だよ」
「比べるものじゃねえ」
透明な箱の中では、赤い蝶ネクタイのペンギンが、こちらを向いたまま転がっていた。
今日も取れなかった。
きっと明日も、ダイナマイトペンギンは十円ずつ稼ぐのだろう。
「では、今度こそ帰ります」
すず先生が歩き始めた。
綾乃ちゃんと美羽が、その後へ続く。
ダイナマイトペンギンも、コーラの缶を両翼で抱えたまま、私たちと一緒に寮への道を歩き始めた。




