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4月12日 選択肢「本屋に行ったことを静香ちゃんに内緒にする」

 本屋から寄宿舎へ戻るころには、外はすっかり暗くなっていた。


 校門を通り、寄宿舎の廊下を歩く。


 凜ちゃんには本屋へ行くことを止められていたので、部屋へ戻ったら何と説明しようか考えた。


 正直に言う。


 本を探しに行ったと言う。


 駅前で道に迷った結果、本屋へ着いたことにする。


 最後の案が一番自然な気がした。


 三〇八号室の扉を開ける。


「ただいまあ」


「遅いです」


 凜ちゃんは自分の机に座っていた。


 教科書とノートをきれいに並べ、宿題をしている。


 鉛筆を置き、私をじっと見た。


「どちらへ行っていたんですか」


「駅前」


「駅前のどこですか」


「大きい建物」


「駅前には大きい建物がいくつもあります」


「紙がたくさんあるところ」


「本屋ですね」


「分かるんだ」


「分かるように言ったでしょう!」


 凜ちゃんが机へ鉛筆を置いた。


「本屋には行かないでくださいと、あれほど言いましたよね」


「うん」


「分かったとも答えましたよね」


「分かったとは言ったけど、行かないとは言ってないよ」


「その理屈、本当に嫌いです」


 凜ちゃんが深いため息をつく。


 そのとき、ベッドの下から低い声がした。


「駅前の本屋にいたな」


 私は床をのぞき込んだ。


 ダイナマイトペンギンが、腹ばいになって雑誌を読んでいる。


 腹には赤いダイナマイト。嘴には火のついていない葉巻。


 その隣には、小さな黒いエプロンと見覚えのない名札が落ちていた。


「どうして知ってるの?」


「俺もいたからだ」


「本屋に?」


「ああ」


 ダイナマイトペンギンは雑誌を閉じ、のそのそとベッドの下から出てきた。


「今日は夕方から書店で働いてた」


「働いてたの?」


「労働は男を磨く」


「店員さん?」


「裏方だ。返本の整理、段ボール運び、床掃除、万引き犯への威圧」


「最後も仕事なの?」


「俺が立ってるだけで抑止力になる」


「ダイナマイトを巻いてるからねえ」


「葉巻もある」


「そっちは関係ないと思う」


 私は床に落ちていた名札を拾った。


 黒い文字で、名前が手書きされている。


『爆島』


「ばくじまさん?」


「今日の偽名だ」


「夜島さんと似てるねえ」


「潜入には、それらしい名前が必要だ」


「普通に働いていただけでしょう」


 凜ちゃんが冷たく言う。


「給料はいくらだったの?」


「十円」


「また十円」


「閉店まで働けば二十円だった」


「途中で帰ってきたの?」


「休憩中に競馬新聞を読んでいたら追い出された」


「勤務中に賭け事をするからです」


「研究だ」


「何のですか」


「未来予測」


「それができるなら、馬券で負けないでしょう」


 ダイナマイトペンギンが黙った。


「負けたんだ」


「過去の話だ」


「未来から来たのに?」


「ややこしくなるから黙れ」


 私は名札を返した。


「でも、すごいねえ」


「何がだ」


「学校ではみんなに囲まれて、本屋でも働いてる。人気者だね」


 ダイナマイトペンギンは葉巻を嘴の端へ動かした。


「俺が欲しいのは人気じゃねえ」


「じゃあ何?」


「煙草だ」


 凜ちゃんが両手で頭を抱えた。


「どうして、こんなものを考えてしまったんでしょう……」


「凜ちゃん?」


 凜ちゃんの肩が跳ねた。


「何でもありません」


「今、考えたって」


「言っていません」


「言ったよ」


「聞き間違いです」


 凜ちゃんは机へ額をつけた。


「危険物を巻いて、葉巻をくわえて、賭け事をして、戦争の過去まで持っているなんて……」


「人気が出る要素しかないな」


「どこがですか!」


 ダイナマイトペンギンは胸を張った。


「男の浪漫だ」


「教育上の悪夢です!」


「でも、かわいいし面白いよ」


 私が言うと、凜ちゃんが勢いよく顔を上げた。


「先輩が、そもそも無責任なことを言うから――」


 そこで言葉を止める。


「私のせいで?」


「……何でもありません」


「続きが気になるねえ」


「気にしないでください」


「漫画になったら人気が出るって、私が言ったの?」


「違います!」


 凜ちゃんは強く否定した。


 けれど、その反応は、私の言葉が何かに関係しているように見えた。


 ダイナマイトペンギンが鼻で笑う。


「もう隠すのは無理だろ」


「あなたは黙っていてください」


「こいつは本屋まで行ったぞ」


「分かっています」


「明日も行く気だ」


「それも分かっています!」


 凜ちゃんは立ち上がった。


 椅子が床を擦る。


 いつもならすぐに持ち上げて置き直すのに、今日は気にしなかった。


「先輩」


「はい」


「本屋で、何か見つかりましたか」


「何もなかったよ」


「検索機にも?」


「出なかった」


「店員には聞きましたか」


「明日なら見せられるかもしれないって」


 凜ちゃんの表情が固まった。


「店員は、どんな人でしたか」


「黒縁眼鏡で、前髪が長くて、夜島さん」


「何を言われました」


「明日、歩きやすい靴で来てほしいって。飲み物もあったほうがいいって言ってた」


 凜ちゃんは目を閉じた。


「やっぱり……」


「知ってるの?」


「知りません」


「今、やっぱりって」


「そう言いたくなる気分だっただけです」


 凜ちゃんは私を見た。


「一人で行ったんですか」


 少しだけ返事が遅れた。


「うん。一人だよ」


 ベッドのそばにいるダイナマイトペンギンを見る。


 美羽も一緒だったと知っているはずだけれど、何も言わなかった。


「明日も一人で行くんですか」


「そのつもり」


「本当に?」


「うん」


 嘘をつくつもりはなかった。


 ただ、美羽のことを話せば、凜ちゃんはもっと強く止める気がした。


 静香ちゃんに相談するかもしれない。


 だから、今は言わないことにした。


 凜ちゃんはしばらく黙っていた。


 机の上のノートを見る。


 私を見る。


 ダイナマイトペンギンを見る。


 もう一度、私を見る。


「本屋へ行くのを止めても、先輩は明日も行くんですよね」


「うん」


「どうしてですか」


「気になるから」


「危ない場所かもしれません」


「夜島さんが案内してくれるって」


「あの人の案内なら安全だとは限りません」


「やっぱり知ってるの?」


「知りません!」


 強い否定だった。


 凜ちゃんは一度、深く息を吸った。


「ダイナマイトペンギンの原作を、そこまで知りたいんですか」


「カエルのお姫様も気になるよ」


 凜ちゃんの眉が動く。


「今日、二年一組で、神楽坂さんと話していましたよね」


「うん。凜ちゃん、すごく詳しかった」


「詳しくありません」


「二話に一回、池に落ちるんだよね」


「そこは忘れてください!」


「でも、好きなんでしょう?」


「……もし存在するなら、です」


 凜ちゃんは指先で制服のスカートをつまんだ。


「本屋へ行けば、先輩はもっと知りたくなるかもしれません」


「何を?」


「今は、うまく説明できません」


 凜ちゃんは小さな声で答えた。


「それでも行くんですよね」


「うん」


 凜ちゃんはしばらく私を見ていた。


 やがて何かを決めたように、自分の机へ向き直った。


 一番下の引き出しへ手をかける。


「先輩」


「なあに?」


「これから出すものについて、一つ約束してください」


「何を?」


「笑わないでください」


「凜ちゃんの子どものころの写真?」


「違います!」


「カエルのぬいぐるみ?」


「違います!」


「曲がった王冠?」


「なぜ小道具まで想像するんですか!」


「当たり?」


「違います!」


 凜ちゃんは顔を赤くしたまま、引き出しを開けた。


 きれいに畳まれたハンカチ。


 予備の文房具。


 学校から配られた書類。


 小さな裁縫箱。


 その一番下に、三冊の薄い本が重ねて隠されていた。


 凜ちゃんは両手で三冊を取り出す。


 どれも淡い緑色の表紙だった。


 桃色のドレスを着たカエルが、少し曲がった王冠を頭に載せている。


 表紙の上には、丸い文字で題名が書かれていた。


『カエルのお姫様』


 右下には、それぞれ一、二、三と数字がある。


 私は三冊と凜ちゃんの顔を交互に見た。


「全部あるんだ」


「……あります」


「本当に三巻まで」


「全三巻です」


「打ち切り?」


「その言い方はやめてください」


「綾乃ちゃん、知ってたんだねえ」


「神楽坂さんの話は今は関係ありません」


 凜ちゃんは三冊を胸元へ抱いた。


 恥ずかしそうではある。


 けれど、それだけではなかった。


 とても大切なものを、誰かへ見せようとしている顔だった。


「先輩」


「はい」


「この三冊を読んでください」


「私が?」


「はい。全部です」


「凜ちゃんも読んだの?」


 凜ちゃんは答えなかった。


 代わりに、本を持つ手へ少しだけ力を込める。


「どうして私に?」


「先輩に読んでほしいからです」


「それだけ?」


「それだけです」


 嘘ではない。


 でも、全部でもない。


 そんな答え方だった。


 私は三冊を受け取った。


 古い本らしく、表紙の角が少し擦れている。


 一巻を開こうとすると、凜ちゃんが私の手を押さえた。


「一人では読まないでください」


「凜ちゃんと一緒に?」


「……はい」


「今から読む?」


「夕食と課題が終わってからです」


「三冊とも?」


「三冊ともです」


「夜更かしになりそうだねえ」


「先輩が途中で寝なければ、すぐに終わります」


「寝たら?」


「起こします」


「優しく?」


「必要な強さで」


 ダイナマイトペンギンが、ベッドの下からこちらを見ていた。


「とうとう出したか」


「あなたは何も言わないでください」


「そいつを読めば、少しは分かる」


「何が?」


 私が尋ねる。


 ダイナマイトペンギンは答えず、葉巻をくわえ直した。


 凜ちゃんは私の手から三冊を一度取り戻し、机の上へ順番に並べた。


『カエルのお姫様 一』


『カエルのお姫様 二』


『カエルのお姫様 三』


 本屋にはなかった本。


 存在しないはずの漫画。


 凜ちゃんがずっと引き出しの奥へ隠していた三冊。


「凜ちゃん」


「何ですか」


「やっぱり、カエル姫が好きなんだねえ」


 凜ちゃんの顔が真っ赤になった。


「そこは今、重要ではありません!」


「大事なことだと思うよ」


「違います!」


 凜ちゃんは慌てて本の上へハンカチをかけた。


 三冊の表紙に描かれたカエルのお姫様が隠れる。


「先輩は、早く夕食へ行く準備をしてください」


「漫画は?」


「帰ってからです!」


「三冊とも?」


「三冊ともです!」


 凜ちゃんの声が部屋に響く。


 ダイナマイトペンギンは、呆れたように葉巻を揺らした。


「素直じゃねえ女だ」


「あなたにだけは言われたくありません!」


 私はハンカチの下に隠された三冊を見た。


 桃色のドレス。


 曲がった王冠。


 少し頼りなさそうな、カエルのお姫様。


 今夜、凜ちゃんと一緒にその物語を読む。


 そう思っただけで、なぜだか胸の奥が落ち着かなかった。


 まだ一ページも開いていないのに。


 私は、その物語を以前にも読んだことがあるような気がしていた。


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