4月12日 選択肢「本屋に行ってみることにする」
放課後。
私は駅前にある大きな本屋へ向かった。
学校から歩いて十五分ほど。三階建ての建物で、一階には雑誌と新刊、二階には漫画と文庫、三階には参考書や専門書が並んでいる。
凜ちゃんには、寮へまっすぐ戻るように言われた。
正確には、
「絶対に本屋へ寄らないでください」
と言われた。
だから私は、
「分かった」
と答えた。
約束したわけではない。
店の入口まで来ると、柱の前に美羽が立っていた。
桃色の鞄を肩へかけ、片手にはいつもの水筒を持っている。
「やっぱり来たんだ」
「美羽も?」
「ひよりが一人で来ると思ったから、待ってた」
「心配してくれたの?」
「半分はね」
「残り半分は?」
「私も調べたいことがあるの」
美羽は先に店へ入った。
冷房の風と、紙の匂いがする。
平日の夕方なので、制服姿の学生が多かった。
「漫画は二階だねえ」
私たちはエスカレーターへ乗った。
「ダイナマイトペンギンを探すんでしょう?」
「うん。カエルのお姫様も」
「私も同じ」
「美羽も気になったの?」
「少しね」
美羽の返事には迷いがなかった。
「どうして?」
美羽はしばらく黙っていた。
「昼にもらったアルバムを見たから」
「何が写ってた?」
「私の子どものころの写真」
「かわいかった?」
「そこは否定しないよ」
いつもの美羽なら、もう少し得意そうに笑う。
けれど、今日は表情が硬かった。
「私の写真は、弟が生まれる少し前で終わってた」
「アルバムがそこで終わってたの?」
「違う。そのあとのページもあった」
美羽がエスカレーターを降りる。
「弟と両親の写真は続いてた。でも、私だけいなかった」
「どうして?」
「分からない」
「覚えてないの?」
「思い出そうとはしたよ」
「何か思い出した?」
美羽はすぐには答えなかった。
鞄の紐を握る指に、少しだけ力が入る。
「……少しだけ」
「どんなこと?」
「言いたくない」
静かな声だった。
いつものように、私をからかってごまかす様子もない。
「そっか」
「聞かないの?」
「言いたくないなら」
美羽は私の顔を見たあと、すぐに目をそらした。
「そういうところ、ずるいよね」
「何が?」
「別に」
美羽は漫画売り場へ向かって歩き始めた。
「ただ、そのあと変な夢を見たの」
「夢?」
「たぶんね。でも、ただの夢とも思えない」
「どんな夢?」
「知らない建物の中にいた。奥へ道が続いていて、先へ行けば何か分かる気がした」
「進んだの?」
「途中まで」
「何があったの?」
「軍服を着たペンギンがいた」
「またペンギン」
「中佐と名乗ってた。ダイナマイトペンギンのことも知っていた」
「知り合いなのかなあ」
「たぶんね」
「中佐は何て?」
「これ以上先へ行きたければ、覚悟を決めろって」
「何の覚悟?」
「聞いても答えなかった」
美羽は小さく息を吐いた。
「それ以上は進めなかった。だから、先にペンギンたちのことを調べることにしたの」
「漫画に何か書いてあるかもしれない?」
「少なくとも、何も知らないままよりはましでしょ」
「一緒に探そう」
私が言うと、美羽は少しだけ目を細めた。
「そのつもりで待ってたんだよ」
◇
漫画売り場には、色とりどりの表紙がずらりと並んでいた。
新刊。人気作品。完結作品。アニメ化作品。
壁には大きなポスターが貼られている。
「二十七巻まであるなら、すぐに見つかりそうだねえ」
「作者名は?」
「知らない」
「出版社は?」
「知らない」
「掲載誌は?」
「綾乃ちゃんなら知ってそう」
「聞いても、存在しないって言うでしょ」
「どうして隠すんだろうねえ」
「知られたくないからじゃない?」
「何を?」
美羽は答えなかった。
私たちは、まず動物が主人公の漫画を探した。
猫。
犬。
熊。
兎。
鳥。
ペンギンの漫画も何冊かあった。
料理をするペンギン。
会社員のペンギン。
南極で恋をするペンギン。
けれど、腹にダイナマイトを巻いているものは一冊もない。
「ないねえ」
「検索してみよう」
売り場の隅にある検索機へ向かった。
画面へ「ダイナマイトペンギン」と入力する。
該当する書籍はありません。
「出ない」
「表記が違うのかも」
美羽がいくつか試した。
ダイナマイト・ペンギン。
だいなまいとぺんぎん。
爆弾ペンギン。
どれも検索結果はゼロだった。
「カエルのお姫様は?」
今度はそちらを検索した。
似た題名の絵本や児童書は出てきたけれど、凜ちゃんが話していた漫画はない。
「三巻で終わったから、絶版なのかなあ」
「絶版でも、記録には残るはずだよ」
「古すぎるとか」
「三年間アニメをやった作品と同じ作者なら、何も残ってないのは不自然だね」
「やっぱり二人の想像?」
「それにしては具体的すぎる」
美羽は検索画面を見つめた。
「中佐までいるし」
「夢に出てきただけでしょう?」
「だからこそ、無関係とは思えないの」
棚をもう一度探した。
少年漫画。
青年漫画。
児童漫画。
古い作品を集めた復刻版。
店員おすすめの隠れた名作。
どこにもない。
「店員さんに聞こうか」
「そうしよう」
私たちはレジへ向かった。
そこには、黒縁の眼鏡をかけた細身の男性店員が立っていた。
年齢は分かりにくい。若くも見えるし、ひどく年を取っているようにも見える。
名札には、手書きで「夜島」と書かれていた。
「すみません」
私が声をかけると、夜島さんは顔を上げた。
「お探しの本ですか」
「はい。『ダイナマイトペンギン』という漫画を探しています」
「それと、『カエルのお姫様』も」
美羽が付け加えた。
夜島さんは、私たちの顔を順番に見た。
「一般の売り場には置いておりません」
「存在するんですか?」
美羽がすぐに尋ねる。
「その題名が記された資料はございます」
「見せてもらえますか?」
「本日はできません」
「どうして?」
「保管場所の準備が必要です。明日の夕方でしたら、ご案内できます」
「この店の中にあるの?」
「通常の書庫とは少し違う場所にあります」
「取り寄せるわけではないんですね」
「はい」
美羽は夜島さんの顔を見つめた。
「明日は何を持ってくればいいですか?」
「歩きやすい靴でお越しください。両手が空く鞄と、飲み物もあったほうがよいでしょう」
「遠いんですか?」
「店の外へは出ません。ただ、時間がかかる可能性があります」
「危険な場所?」
私が尋ねる。
「一人で勝手に歩かなければ、問題はありません」
「途中で戻れますか?」
美羽が聞いた。
「はい。私がご案内します」
「なら、分かりました」
美羽はすぐに答えた。
「明日、同じ時間に来ます」
「何名でいらっしゃいますか?」
「まだ決めてません」
美羽はそう答えてから、私を見る。
「ひよりも来るよね」
「もちろん」
「ただし、凜には言わないで」
「どうして?」
「絶対に止めるから」
「静香ちゃんは?」
「そっちにも内緒」
「静香ちゃんなら、何とかしてくれそうだけど」
「だから駄目なの」
美羽はきっぱりと言った。
「何とかされる前に、私たちで確かめるの」
「私たち?」
「必要な人には、私から声をかける」
「誰を呼ぶの?」
「明日になれば分かるよ」
「教えてくれないんだ」
「ひよりに話すと、凜にも伝わりそうだから」
「そんなことないよ」
「本屋に来るなと言われたのに、今ここにいる人の言葉は信用できないな」
「約束はしてないよ」
「そういうところだよ」
美羽は夜島さんへ向き直った。
「少し人数が増えても大丈夫ですか?」
「少人数でしたら問題ありません」
「なら、決まり」
美羽が何を決めたのかは、教えてくれなかった。
「では、明日の夕方に」
夜島さんが小さく頭を下げた。
◇
本屋を出ると、外はもう暗くなり始めていた。
駅前の明かりが、歩道へ長く伸びている。
「美羽」
「何?」
「来てよかった?」
「まだ何も分かってないよ」
「明日には分かるかもしれない」
「そうだね」
「誰を呼ぶの?」
「言わない」
「少しくらい教えてくれてもいいのに」
「ひよりは顔に出るから駄目」
「出ないよ」
「今、凜に隠し事をする顔をしてる」
「どんな顔?」
「申し訳なさそうな顔」
私は自分の頬へ触れた。
「分かる?」
「分かりやすいよ」
「じゃあ、凜ちゃんに会わないようにしないと」
「それも不自然になるから、普通にしてて」
「難しいねえ」
「余計なことを言わなければいいだけ」
「それが難しい」
「知ってる」
美羽は呆れたように息を吐いた。
けれど、そのまま私の隣を歩き続ける。
明日。
同じ時間。
同じ本屋。
存在しない二つの漫画と、軍服を着たペンギン。
美羽が思い出しかけて、言いたくないと言ったこと。
それらがどうつながっているのかは、まだ分からない。
ただ、美羽が誰を連れてくるのかだけは、少し気になった。




