4月8日 白石美羽はとっても重い。
一時間目の授業が始まる三十秒前、私は三年二組の教室へ滑り込んだ。
「間に合った」
「間に合ってないよ。席に着くまでが登校だから」
窓際の席から、やわらかな声が飛んできた。
声の主は、白石美羽。
ふわりと巻かれた栗色の髪に、長いまつ毛。制服のリボンは、校則に違反しないぎりぎりのゆるさで結ばれている。
頬杖をついて小首をかしげれば、だいたいの人は一度くらい見とれる。
本人も、それをよく分かっている。
「美羽、おはよう」
「おはよ。靴下いつもと違うね」
「凜ちゃんとおそろい」
「寝坊して、凜ちゃんの靴下を勝手に履いただけでしょ」
「さすが美羽。私のことをよく分かってるねえ」
「小さい頃から見てるからね。ひよりが何かやらかしたときの顔くらい分かるよ」
美羽は、私の幼い頃からの親友である。
高校に入ってからも三年間ずっと同じクラスで、私のことについては、本人である私より詳しいかもしれない。
「はい、ひより。これ」
美羽が一冊のノートを差し出した。
「なあに?」
「先週休んだ日の授業。試験に出そうなところは印をつけておいたから」
「美羽……!」
「抱きつかないでね。髪が崩れるから」
伸ばしかけた腕を止める。
「まだ何もしてないのに」
「抱きつく顔をしてたよ」
「どんな顔?」
「人の善意に全体重を預ける顔」
「愛が深いねえ」
「警戒心が深いの」
休み時間にも勉強し、放課後は図書室か予備校へ行く。休日も朝から机に向かっているらしい。
見た目はふわふわしているのに、中身は努力と執念でできていた。
その日の世界史の授業中、私は美羽の横顔を眺めながら、小声で話しかけた。
「美羽って、私と結婚してもずっと勉強してそう」
「とりあえず、式はいつにしようか?」
「えっ。受け入れてくれるの?」
「うん。その前に、私以外の女の子の連絡先を全部消して」
「それはちょっと」
「あと、離れてるときは十五分おきに連絡してね。夜は私が寝るまで、ずっと私の部屋にいること」
「厳しい」
「そんな軽い覚悟なら、告白なんてしないことだね」
さすが美羽。
なんとも重い女だ。
そんなくだらない話をしていると、春日井先生が私たちの方を向いて微笑んだ。
「あら。二人とも余裕ねえ。では、白石さん。この問題は分かるかしら」
「十二表法です」
焦る私を尻目に、美羽は悠然と答えた。
「正解。桜庭さんも白石さんを見習うように」
「はい」
先生が黒板へ向き直る。
「さすが。賢いね」
「まあ、死ぬほど勉強してるから」
「死なない程度にしてね」
「順位が落ちないなら考える」
「命より順位が上なの?」
「ひよりよりは上かな」
「結婚の話をした直後なのに?」
「まだ式の日も決めてないからね」
美羽は何事もなかったように、かわいらしい花柄のシャープペンシルを動かし始めた。
先生が何気なく口にした補足まで、素早くノートへ書き込んでいく。
速い。しかも字もきれいだ。
「美羽のノート、見やすいねえ」
「写すならプリン一個ね」
「善意だけでは助けてくれないの?」
「善意を無料だと思ってる人には、少しくらい請求した方がいいの」
「医師を目指す人とは思えない発言」
「医師だって診療報酬で働いてるからね」
美羽の家は病院を経営している。
両親も祖父も医師で、美羽も将来は医学部へ進むつもりだ。
それが子どもの頃からの夢なのか、最初から決められていた予定なのかは、私にはよく分からない。
ただ、美羽が中途半端な気持ちで勉強していないことだけは分かる。
昼休み。
私たちは中庭のベンチに座り、購買で買ったサンドイッチを食べていた。
約束どおり、私は美羽へプリンを差し出す。
「はい、報酬」
「よろしい」
美羽は満足そうに受け取った。
「美羽は、本当に医学部へ行くんだねえ」
「まあね」
「お医者さんになりたいの?」
「なりたいよ」
美羽は迷わず答えた。
「もっと悩むかと思った」
「何で?」
「家族がみんなお医者さんだから」
「親に言われた道だからって、嫌いになる必要はないでしょ」
美羽はプリンの蓋をきれいに剥がした。
「向いてると思うし、生活には困らないし、人の役にも立つ。何より、やるなら一番になりたいから」
「世界一のお医者さん?」
「当然でしょ。なる前から二番を目指す人なんている?」
「意識が高いねえ」
「ひよりが低すぎるの」
美羽はプリンを一口食べる。
「ひよりが病気になったら、私が診てあげる」
「優しくしてね」
「生活習慣から全部変えるよ」
「もう診てもらうの嫌になってきた」
「治すためなら、患者の意見なんて聞かないから」
「それは駄目なお医者さんじゃない?」
「結果が出れば名医だよ」
「出なかったら?」
「出るまでやる」
美羽は、当たり前のことのように答えた。
冗談なのか本気なのか、私にはよく分からない。
でも、美羽なら本当にそうしそうだった。
「美羽は頑張り屋さんだねえ」
「知ってる」
「そこは謙遜するところじゃない?」
「事実を否定するの、嫌いだから」
どんな道であっても、自分が歩くなら誰にも負けたくない。
誰かに決められた道でも、歩き始めたなら自分の力で一番まで行く。
美羽は、そういう女の子だった。




