4月9日 イベント「ダイナマイトペンギンの登場」
カチ。
カチカチ。
カチ。
朝六時二十分。
目覚まし時計が鳴るより少し早い時間に、私は妙な音で目を覚ました。
「むう……」
薄く目を開ける。
部屋はまだ薄暗い。カーテンの隙間から差し込んだ朝の光が、細い線になって床へ落ちている。
向かいのベッドでは、凜ちゃんが布団に包まれて眠っていた。
いつもなら私より先に起きているのに、今日は珍しい。昨日一日、ダイナマイトペンギンを隠すために走り回っていたから、疲れたのかもしれない。
カチ。
また音がした。
目覚まし時計ではない。
もっと近い。私のベッドの下から聞こえている。
床をのぞき込むと、暗がりの中に小さな黒い背中が見えた。
ダイナマイトペンギンだった。
白い腹には赤い筒が何本も巻きつけられ、嘴には太い葉巻をくわえている。
そして短い翼には、銀色のライターが握られていた。
カチカチ。
何度鳴らしても、火はつかない。
「何してるの?」
私が尋ねると、ダイナマイトペンギンはびくりと身体を揺らした。
「起きてたのか」
「今起きた」
「なら寝てろ」
「そのライターで何するの?」
「見りゃ分かるだろうが」
「葉巻?」
「違う」
ダイナマイトペンギンは、腹に巻かれた赤い筒を翼で指した。
「こいつに火をつける」
「朝から?」
「朝だからだ」
「どういう理屈?」
「一日の始まりには刺激が必要だろうが」
カチ。
やはり火はつかない。
「ライター、壊れてるんじゃない?」
「壊れてねえ」
「貸して」
「触るな。これは大人の道具だ」
「ペンギンが言うと説得力がないねえ」
「俺はお前より修羅場をくぐってる」
「何歳なの?」
「年齢で男を測るな」
「ペンギン年齢?」
「黙れ」
もう一度、ライターが鳴る。
火は出ない。
「安全装置がついてるんじゃない?」
ダイナマイトペンギンの動きが止まった。
「安全装置?」
「押し込みながら回すやつ」
「俺を子ども扱いするな」
「翼だと難しそうだねえ」
「翼ではない。男の手だ」
「短いね」
「殺すぞ」
私は手を伸ばし、ライターを受け取った。
側面を押し込みながら回すと、小さな炎がついた。
「ついたよ」
ダイナマイトペンギンの目が輝いた。
「よこせ」
「駄目」
私はすぐに火を消し、ライターを握り込んだ。
「何しやがる!」
「本当にダイナマイトへ火をつけるつもりだったの?」
「そのために巻いてる」
「飾りかと思ってた」
「俺は見せかけの男じゃねえ」
「爆発したら困るよ」
「だからいいんだろうが」
「どうして?」
「スリルだ」
ダイナマイトペンギンは、遠くを見るように目を細めた。
「火が導火線を走る。残された時間はわずか。生きるか死ぬか、その境目に立つ瞬間だけ、俺は本当に生きてると感じる」
格好いいことを言っているが、まだ私のベッドの下にいる。
「部屋の中ではやめてね」
「細けえ女だな」
「寮がなくなると困るから」
「爆発する前に消せばいい」
「消せるの?」
「たぶんな」
「今、たぶんって言った」
「男には賭けなきゃならねえ瞬間がある」
「凜ちゃんが怒るよ」
「あの小娘には黙ってろ」
「もう聞こえています」
冷たい声がした。
私とダイナマイトペンギンは、同時に振り返った。
凜ちゃんがベッドの上で身体を起こしている。
黒いツインテールはまだ結ばれておらず、髪が頬にかかっていた。布団を胸元まで引き上げたまま、私たちをじっと見ている。
「いつから起きてたの?」
「『一日の始まりには刺激が必要』のあたりからです」
「結構前だねえ」
「朝から何をしているんですか」
「スリルを楽しんでた」
「楽しんでいたのは、そのペンギンだけです」
「まだ楽しめてねえ!」
「火がついていませんからね」
「安全装置なんて卑怯なものがついてやがる」
「安全のための装置です!」
「男の浪漫を邪魔してる」
「寮を爆破しようとする浪漫など認めません!」
凜ちゃんは勢いよくベッドを下り、こちらへ歩いてきた。
「ライターを渡してください」
「私が持ってるよ」
「先輩も信用できません」
「私は火を消したのに」
「そのあと、面白がってもう一度つけるかもしれません」
「よく分かってるねえ」
「否定してください!」
凜ちゃんは私からライターを取り上げた。
机の引き出しへしまい、鍵をかける。
続いて、ダイナマイトペンギンの腹を指さした。
「それも外してください」
「断る」
「危険です」
「これは俺の正装だ」
「昨日も聞きました」
「なら分かるだろう」
「分かりません!」
「腹巻きだけなら、かわいいのにねえ」
私が言うと、ダイナマイトペンギンはこちらを睨んだ。
「赤い筒がなけりゃ、ただの腹巻きペンギンだろうが」
「人気が出そう」
「人気?」
「こういうキャラクターが出てくるアニメ、流行りそうじゃない?」
私は両手で四角い画面を作った。
「未来からやってきたダイナマイトペンギンが、毎回爆発しようとして失敗するの」
「俺を間抜けなマスコットにするな」
「決め台詞は、『男には爆発しなきゃならねえ朝がある』」
「悪くねえ」
「気に入ったんだ」
「声は渋い方がいい」
「葉巻は放送できるかなあ」
「そこは譲れねえ」
「ダイナマイトも難しそう」
「何が残るんだ!」
「腹巻き」
「ただのペンギンじゃねえか!」
私は笑った。
「流行ると思わない?」
凜ちゃんは鍵を持ったまま、冷たく答えた。
「流行るわけありません」
「即答だ」
「危険物を身体に巻きつけ、葉巻をくわえたペンギンですよ」
「個性的だよ」
「教育上よくありません」
「凜ちゃんは毎週見る?」
「見ません」
「グッズが出たら?」
「買いません」
「腹巻きとか」
「絶対に買いません!」
強く否定したが、凜ちゃんの口元が少し動いた。
「ちょっと面白いと思ってる?」
「思っていません」
「決め台詞のところで笑いそうになってたよ」
「呆れていただけです」
「劇場版もあるかもねえ」
「ありません」
「劇場版ダイナマイトペンギン――最後の導火線」
凜ちゃんは顔を背けた。
肩がわずかに揺れている。
「笑ってる?」
「笑っていません」
「こっち向いて」
「嫌です」
「やっぱり笑ってるねえ」
「先輩がくだらないことを言うからです!」
凜ちゃんは私の枕をつかみ、投げてきた。
私は両腕で受け止める。
「朝から枕投げ?」
「静かにしてください!」
「凜ちゃんも楽しくなってきたね」
「なっていません!」
ダイナマイトペンギンが、私たちを見比べて鼻を鳴らした。
「お前ら、随分と呑気だな」
「朝だからねえ」
「朝は忙しいんです!」
凜ちゃんが時計を見る。
六時三十五分。
いつもの起床時間まで、あと五分だった。
「まだ早いね」
「誰かがカチカチ音を鳴らしたせいです」
「スリルに時間は関係ねえ」
「もう二度と、この部屋で火を使わないでください」
「善処する」
「絶対に守らない人の言い方です!」
「私と同じだねえ」
「一緒にするな!」
「一緒にしないでください!」
二人の声が重なった。
「仲良しだ」
「違う!」
「違います!」
また重なった。
私は枕を抱えたまま笑った。
未来から来たというダイナマイトペンギン。
誰かが抱えている迷いを見抜き、怪しい選択肢を差し出すペンギン。
本当なら、もっと真剣に聞かなければならないことがある。
未来で何が起きたのか。
なぜ私たちの前に現れたのか。
昨日、美羽に何を伝えたのか。
けれど、朝六時三十五分の三〇八号室で、ダイナマイトペンギンは安全装置に敗れ、凜ちゃんは笑いを隠すために怒っていた。
今は、それでいい気がした。
「朝ごはん、ダイナマイトペンギンも食べる?」
「魚はあるか」
「今日は目玉焼きかも」
「魚を出せ」
「食堂にペンギンは連れていけません!」
凜ちゃんが言う。
「鞄に入れれば大丈夫だよ」
「昨日、どれだけ大変だったと思っているんですか!」
「今度は静かにする?」
「断る」
「本人も断っています!」
「じゃあ、部屋で待ってる?」
「腹が減ったら、ダイナマイトに火をつける」
「脅迫です!」
「ライターは凜ちゃんが持ってるから大丈夫だよ」
「先輩が開け方を教えたでしょう!」
凜ちゃんは、鍵をかけた引き出しを確認した。
その隙に、ダイナマイトペンギンが私へ小声で言う。
「予備のライターがある」
「凜ちゃん」
「何ですか」
「没収した方がいいかも」
「裏切り者!」
ダイナマイトペンギンが叫んだ。
凜ちゃんは素早くライターを取り上げる。
「これも没収します」
「俺の魂を返せ!」
「ただのライターでしょう!」
「男の魂だ!」
部屋の中に、凜ちゃんの声とペンギンの抗議が響く。
その騒ぎに負けじと、ベッドの下で目覚まし時計が鳴り始めた。
朝六時四十分。
今日もまた、少し変わった一日が始まった。




