第5話 秘密
あれから、一週間が経過した。
「う~~~~ん……」
ベッドに寝そべり、天井を見上げ、考える。ここに来てからそればかりをしている気がする。
良い方法は、相変わらず思いついていない。
やっている事といえば、少しでも山城さんと仲良くなろうと雑談を多めにしている事くらいか。
玄関は、普通の玄関だ。外から入る時にはパスコードを入力する必要があるみたいだが、中から出る分には内鍵を回せばいいだけの。この間、ドアが閉まらないようにしながら実験した。
「くっそ~……」
心の端が、じりじりと黒く焦げていくようだ。
「……そろそろ時間か」
俺はベッドから起き上がって、ドアノブに手をかけた。
山城さんと雑談を増やす、といっても、彼はこの家に仕事をしに来ているわけで、暇な時間なんてない。だったら、どうするか。
くっついていても違和感が無くて、喋る余裕もある時間。そんなもの、どこにもないように思えたけれど。あった。ひとつだけ。
「山城さん!」
出来るだけ明るい顔を意識して口角と片手をあげると、エプロンを結んでいた山城さんがぱぁと顔を綻ばせた。
「瀧浪様!」
「今日も昼ご飯作るの、手伝っていいですか?」
「もちろん! ですが、お部屋でお待ちいただいても大丈夫ですよ?」
山城さんが、俺と視線を合わせる。
山城さんの目は苦手だ。きらきらしていて、まるで占いの水晶玉みたいで。
「やる事なくて、暇なんです。やらせてください!」
逃げるみたいに、目を細めて、力こぶを作るように腕を曲げると、山城さんもつられるみたいに目を細めた。
「分かりました。それでは、今日も宜しくお願いします」
「はい!」
「今日はオムライスを作ろうと思っているのですが、バターライスのオムライスはお好きですか?」
山城さんに首を傾げられて、俺は首を左右に振る。
「食った事無いです!」
「じゃあ、ケチャップライスの方にしましょうか」
「いえ、せっかくなんでバターライスで!」
「……分かりました、そうしましょう!」
二人して腕まくりをしていると、ふいに山城さんが「あっ」と声を上げた。
「忘れるところでした。もしも今日もお手伝いをしてもらえたらお渡ししようと思って、用意していたものがあるんです! ちょっと待ってくださいね~」
弾んだ声を残して、山城さんはバッグを漁りだす。
ややあって取り出されたのは、水色の布だった。
「じゃーん、広げてみてください!」
「失礼します……」
一体何だろう。恐る恐る布の端を探って、振って広げてみる。と。
「……エプロン?」
「はい、お料理をするなら必要だと思って!」
淡いブルーのそれは、シンプルな無地のものだった。
胸が、ぎゅうっと苦しくなる。
「ありがとう、ございます」
紐で締め上げられてるみたいだ。強弱をつけながら、少しずつ、少しずつ食い込んでくる。
息が、苦しい。
「……瀧浪様」
「はい」
エプロンに向けていた視線を山城さんに向けると、彼はふぅ、と息を吐いてから、大きく息を吸い込んだ。
「先日、玄関から外に出られましたね」
心臓が、一度。大きく脈を打った。
ただ、顔を見る事しかできない俺に、山城さんは眉尻を下げて微笑んだ。
「瀧浪様が脱走を計画しているから注意するように、と、上から指示がありました」
なんで、それを知っているんだ。この人が。宇多川家が。
扉の隙間から忍び込んだ黒い電流が、床を這いずり、俺の足の裏から脳天まで駆け上ってくる。
意識しないと呼吸が出来ない。でも、吸えばいいのか吐けばいいのかもわからない。空気の塊が喉に積み上がっていくみたいだ。
まばたきばかりを繰り返す俺の前で、山城さんは目を伏せた。
「玄関からエレベーターまでの間には、監視カメラがついていて、常に監視されています。顔認証で許可されていない人間がそのエリアに入ると、管理会社に連絡が行く仕組みになっているんです」
言っている意味が、理解できない。
「貴方が玄関から一歩でも外に出れば、貴方の行動は通知されてしまいます。例え僕からパスコードを聞き出せても、入力を終えるころにはエレベーターをロックされてしまうでしょう」
ひゅっ、と喉が鳴る。背中から汗が噴き出して、背中に布が張り付く。
……知られている。バレている! 全てが!
「ごめんなさい、瀧浪様。僕には、どうすることもできなくて」
真っ白になった心に最初に浮かび上がったのは、一点の黒だった。
それはじわじわと広がり、やがて真ん中に穴が開き、そこから赤く揺らめく炎が顔を覗かせた。小さな炎は心を焦がしながら、少しずつ大きく育ち、いつしか全てを呑み込んで燃え盛り始めた。
……ふざけるな。
そんな事にばかり気が回りやがって。金に物を言わせれば、全てがなんとかなると思っていなければこんなシステムを作り上げられないだろう。
どこまで腐った奴らなんだ。
いつのまにか食いしばった歯が、ぎりぎりと音を立てていて酷く耳障りだ。
「この状況をなんとかできるとしたら、それは熾仁様しか」
「アイツが俺の為に何かしてくれるわけないだろ!!」
山城さんの肩が跳ね、銃口でも突き付けられたかのような目で俺を見る。
何だよ、俺が悪い事でもしてるって言いたそうな顔しやがって!
「何がどうする事も出来なくてだよ! どうする気もないくせに! 目の前で起きてる犯罪に加担するより、権力に逆らって自分の身に何かあるのが怖いんだろ! そうだよ、お前は所詮自分が可愛いんだよ! 我が身を守るために、俺を生贄に捧げてんだ! ごめんなさいって言えば済むと思って! ふざけんな!」
「ちが……」
「何が違うんだよ言ってみろよじゃあ!」
手に持っていた水色の布をフローリングに叩きつける。
布は、ばしんと音を立ててぐちゃぐちゃに床に落ちた。
山城さんはそれを、身につけたエプロンの胸と腹、それぞれの部分がしわくちゃになるほどに握りしめて、しばらく黙って見つめていた。
けれども、唇をぎゅっと結んだのち、エプロンを握りしめなおして、絞り出すような声を落とした。
「……熾仁様になら、貴方の気持ちが分かるはずです」
「はぁ……?!」
脳の太い血管が、何本か熱くなる。
「適当言うんじゃ」
「熾仁様もまた、宇多川家に人生を狂わされた一人なんです! 家に囚われて、自由を奪われて、自分の意志を無視された方なんです! だから、突破口があるとしたらそこなんです……!」
神に必死の祈りを届けるような表情に、思わず言葉が詰まる。
「これからお話をする事は、他言無用でお願いいたします。熾仁様ご自身にもです。そして、僕が前任者から聞いた情報が中心であることもご留意ください」
まるで、懺悔室で罪の告白をするかのように、山城さんは語り始めた。
「熾仁様は、この家の長男としてお生まれになり、常に最優であることを求められてきました。保育園から大学に至るまで、難関と呼ばれる場所へ進む事を決められていたんです。それでも、熾仁様は見事ご両親の、一族からのご期待に応えられてきました。……でも」
山城さんの、コーヒーのような色の瞳が、痛々しいものでも見たかのように歪む。
エプロンの胸元のしわが、これ以上ないほどに深くなる。
「熾仁様の心を、徹底的に打ち砕く出来事が起こってしまうんです」
「……心を」
頭に過ったのは、初めて出会ったあの日の事。エレベーターを呼べないと知った俺に胸倉を掴まれた熾仁が、俺に「嫌じゃないのか」と聞かれて「慣れている」「諦めろ」と言った、あの時の表情だった。
閉じられた目。本当に、当たり前の事で騒ぐなとでも言いたげな、あの表情。
あの時、熾仁は事前に知らない奴と子どもを作れと言われていたわけではなさそうだった。俺がこの生活を終わらせる条件を提示された時、熾仁も驚いていたからだ。
だけど、熾仁はあの短時間で受け入れた。呑み込んで、俺にも同じように諦めろと言った。
余裕がなかったから、気にもしていなかったけど。それって、凄くおかしなことじゃないのか。
「熾仁様が、まだ高校生だった頃の話だそうです。熾仁様のご友人であった一人の生徒が、退学させられました」
「……“させられた”?」
「はい。彼は、宇多川家の力で学校を去らざるを得なくされたのです」
その時、俺の胸に浮かんだのは、驚きではなく。こいつらならやりかねないという、ある種の信頼だった。




