第6話 宇多川熾仁①
出会いは、高校に入学してすぐ。目に痛いほどだった新緑が落ち着いた頃。廊下側の自分の席に座っていたら、ふと初夏の風を感じて、教室の窓を見た時だった。
「なぁ」
窓に合っていたピントが、窓と俺との間に割って入ってきた、弁柄色っぽい、赤茶けた短髪の男に引き寄せられる。
しなやかな筋肉に覆われた腕、良く日に焼けた肌。どこからどう見ても運動部だ。スポーツ特待か? それなら、別クラスだったはずだが。
いかんせんクラスメイトの顔なんて興味がなくて覚えていないので、同じクラスかどうかすら分からない。
ただ分かるのは、この男が団十郎茶のまん丸の目で、何故か俺をじっと見ているという事だけだった。
「お前、なんでいつもぼっちなワケ?」
突然の不躾な質問に、眉間に皺が寄る。
「いきなり何だ」
関わってくるな、の意を込めて低い声を発するも、そいつは少しも気にした様子を見せずに俺の机に両手をついた。
「だって、入学したての時、すっげぇ人気だったじゃんか。なのに今じゃ誰も寄りつかないなんて、不自然だろ? なんで?」
丸い目に大きな疑問符をひとつ浮かべて、真っ直ぐに俺と目を合わせてくる。まるで詰問だな、と思いながら、俺は頭を正面に戻した。
俺はこいつの事を知らない。という事は、父さんと母さんの作った交友リストには居なかったという事。つまりは関わる必要の無い人間。
それなら、これ以上の会話は時間をいたずらに浪費するだけだ。
「お前には関係のない事だ」
幸い、次は移動教室だ。まだ早いが移動してしまおう。と、教科書を取り出すと、ふらりと気配が離れていく。
全く、興味本位で声をかけてくるやつも随分減ったと思っていたが、まだ居たとは。だが、これで流石に最後だろう。
立ち上がり、まだ談笑が満たす教室を後にする。
そうして、少し歩いた時。
「……」
俺にぴったりと着いて来ている足音がある事に気が付いて、足を止めた。
「……おい」
「あ、こっち見た」
「何の真似だ」
「声かけても無視されるかなーって思ってさ~」
「おい、馴れ馴れしく隣に並ぶな」
「良いじゃんか、減るもんじゃあるまいし!」
得意げに笑みを浮かべられ、腹の底から込み上げた、深い深い溜息を廊下にごとんと落として、再び歩き出す。
不本意ながら、当然のように着いて来る奴と共に。
「なぁ、オレ、郁人。阿左美郁人! お前は?」
相変わらず、この男には俺がどう思っているか、というのは大した問題で無いらしい。
俺の顔色を気にしないのは、両親か、怒った時の砂田くらいのもの……。
「……」
「何だよその顔! 名前聞いただけだろ?!」
「お前、今何て言った?」
「え? ……名前、聞いただけだろ、って」
「違う、その前だ」
「阿左美郁人……」
「その後!」
「……? それこそお前の名前、聞いただけだけど」
嘘だろ。こいつ、俺の名前すら知らないのか?! 知らないで話しかけてきたのか?!
しかも、あの短時間で準備して移動教室に着いて来ているんだ。同じクラスのはずなのに? 入学時の騒ぎも、知っているくせに……?!
「俺の苗字も、知らないのか」
「は?」
「いや、何でもない」
今の声に、嘘があるように思えなかった。
驚いた。この学校の中に、まさか俺を知らない人間が居るとは。
……まぁ、だから何だと言われればそれまでだが。
俺を知っていようがいまいが、リスト外である以上、関係を持つだけ無駄なのだから。
「なぁ、さっきの質問何だったんだよ」
「……」
「てか、名前! 結局教えてもらってねぇんだけど!」
「……」
「返事くらいしろよ!」
一方通行の、しかもそこそこの音量の会話は注目を集めたが、その後は一ラリーもやり取りをする事がないままに教室に入った。
その後も授業が始まるまで、暫くは声をかけて来ていたが、チャイムが鳴る頃になっても俺に応じる気がないと分かると、自分の席に戻っていった。
昼休みには、もう一度話しかけてきたが。
「お前、すげぇとこの坊ちゃんなんだってな。友達に聞いた」
持たされた弁当を黙って広げる。
「坊ちゃんってどんな感じ? やっぱ家にお抱えのシェフとかいんの? 家庭教師とかいて、帝王学とか学んじゃったり?」
白米を箸で摘まみ上げ、口に押し込む。
けれど、そんな俺の答えなんて意にも介さず、そいつは前の席に座り、購買のパンをかじりだした。
「……おい、食事を共にする許可を与えた覚えはないぞ」
「寂しくねぇの、お前」
焼きそばパンを頬張りながら、ひどく気軽にそいつは言う。
「なんでみんな遠ざけてんの?」
腹の底に、ぶわりと黒い埃が立つ。
「それを聞いてどうする」
「そこまでは考えてなかった」
「考えが及ばないというのなら軽々しく触れるな」
言葉に、何本もの鋭利な棘が生える。それをコントロール出来ない。
くそ、俺は何でしっかりと相手をしているんだ。無視すればいずれ諦めるだろうに。
相手をして、不快になって。馬鹿みたいじゃないか。
「なんだよ、急にめっちゃ喋るじゃん」
パンを齧る手を止めて、また団十郎茶がこちらを見る。
舞い上がった黒い埃が結合して、ヘドロ状になっていく。
「態度で示しても無駄だと悟っただけだ。はっきり言ってやる、迷惑だ。質問に答える気は無い。二度と俺に関わるな」
これ以上は良くない。具体的に何がと言われると分からないが、とにかく良くない予感がする。何か、言語化出来ない良くないものが込み上げて来ている。
手早く弁当を纏め始めた俺の手を、よく日に焼けた手が、がしりと掴む。
「おい待てって、まだ全然食ってねぇじゃん!」
「お前が居ない所で食う」
「なんでだよ、ここで良いだろ! オレお前と仲良くなりてぇんだって、熾仁!」
「馴れ馴れしく呼ぶな!」
声が、思ったよりも響く。教室中の視線が肌を刺して、酷く居心地が悪い。
まるで悪い事でもしたみたいじゃないか。俺はただ、付き纏われただけなのに。
「熾仁!」
俺は教室を後にした。
それから、そいつは流石にもう一度関わろうとはしなかった。
けれど、その次の日には、懲りずにまた声をかけてきた。
「おはよう、熾仁!」
教室に着くなり見えた顔を素通りして、真っ直ぐに自分の席を目指す。
「おい無視すんなって!」
机にバッグを置くなり、めげずに寄ってくるその姿が、まるでコバエのように感じられて仕方がない。
「お前の目的はなんだ、叶えてやるからもう付き纏って来るな」
ぎろりと睨みつけてやると、そいつはぱぁと目を輝かせた。
「マジ?! じゃあ友達になろうぜ!」
「この期に及んでそんな事を……まどろっこしい真似をしなくて良いと言っているんだ」
赤茶色の短い眉毛が片方だけ上がり、空気が妙な粘度を持つ。
なんだ、この空気は。じりじりと壁際に追い立てられているような気分だ。
「何、言ってる意味がわかんねぇんだけど」
角の立った声。すっかり輝きがなりを潜めた目。
呑まれる。
「なら、はっきり言ってやる。金が欲しいならくれてやる、コネが欲しいなら繋いでやる。だからもう黙って」
「はぁ?!」
噴き上がった声に、思わず口を噤む。
「いらねぇよそんなん! ふざけんな!」
「なっ……」
「お前、なんでそういう態度ばっか取るんだよ。いつも自分の向こう側に別の何かを見られてるみたいな!」
言葉が、喉に詰まる。
「……俺は、お前に興味があるだけなんだって。なんでそれが分かんねぇんだよ……!」
まるで心臓を氷の腕で掴まれたみたいな顔をして、そいつは教室から飛び出していった。
後に残されたのは、ざわめく教室と、状況が理解できない俺だけ。
「……なんなんだ、一体」
なんでお前が、傷付いたみたいな、苦しいみたいな顔をするんだ。
なんで付き纏わなくて済むようにしてやったのに、そんな顔をするんだ。
俺はただ、そいつが出て行った出入り口を呆然と見ていた。




