第4話 怒り
「後片付けはお任せください」という山城さんの言葉に甘えて部屋に引き上げた俺は、戻ったところでやる事もないので、ベッドに仰向けに横たわり、ひたすら天井を見上げていた。
スマホを見たり、雑誌を読んだりしても良かったのだとは思うが、とてもそういう気にはなれなかった。
なんせ、先が真っ暗すぎる。一筋の光明も見いだせないほどに。
「……どうしたら良いんだ」
諦める、のは嫌だ。こんな事で俺の人生捻じ曲げられてたまるか。
だけど、現実的な手段が思いつかない。
俺がこの家から逃げ出す方法は、2つある。1つはパスコードを知る事。もう1つは、誰かが呼んだエレベーターを使って下りる事。
「つっても、どっちも微妙なんだよなぁ~……」
ごろりと寝返りを打って横向きになる。
パスコードを知りたいなら、パスコードを知る人物と仲良くなって教えてもらえばいい。例えば……それこそ山城さん、とか。
「だけどなぁ……教えてもらえなかった場合がな~……」
最悪、逃げようとしていると告げ口されて、手枷なり足枷なりをつけられかねない。そうなったら、今以上に脱出の難易度は上がる。一般人の力では、もう出られなくなるかも。
「やるなら確信をもって、だな」
それは即ち、時間がかかるという事。次のヒートまでに間に合わせられる確信があるほど、俺は人心掌握に自信はない。
「なら、呼んだエレベーターを使う方か……」
しかし、これも現実的とは言えない。
まず、玄関から外に出れるとは思えない。し、仮に出られて、誰にもバレずに物陰に隠れ続けられて、誰かが出てきた後に入れ替わりで乗れたとして。絶対に扉が閉まるまでの間に、異常に気付かれてボタンを押されて捕まって終わるからだ。
「う~~~~ん……」
本当に、どうしたら良いのか。
「いっそ説得……」
いや、あの熾仁がそんなものに応じてくれるだろうか。
だって、アイツからは温度が感じられない。今回の件も、まるで書類に判を押すようなものだとでも思っているかのような態度だった。
だからこそ、という部分もあるかもしれないが。
「何なんだよアイツマジでぇ〜〜〜〜!!」
別に運命の番とやらに夢を見ていた訳ではないが、まさかここまで普通のαとΩのカップルと変わらないなんて思わなかった。
「あーあ、結局アイツもただのαじゃねぇかよ! 一瞬でもアイツにときめいた俺を殺してぇ~~~~!」
うつぶせになって、枕に思いを吐き出し、じたばたと気持ちを発散させる。それでも、沈殿した黒い思いは、じりじりと心を蝕んだ。
「やっぱ、第二性なんてクソだわ……」
ぽつりと零した言葉が床に転がる。
こんなもの、初めから無ければ。そうすれば俺の人生、こんな事にならなかったのに。
目を閉じれば、瞼の裏に中学時代の恋人の微笑みが浮かんだ。
『ごめんね、瀧浪くん。私、好きな人が出来たの』
そう言って、αの先輩と付き合い始めた彼女は――。
「――第二性に振り回される奴なんか、全員嫌いだ」
目を開いて、変わらずそこにある天井を睨みつける。
必ず脱出してやると、胸に炎を燃やして。
けれど、この日は特に何も思い付けず、ただ時間だけが悪戯に過ぎていき。あっという間に夜になってしまった。
山城さんが俺の昼食の片付けを済ませたら帰ってしまってから、本当に1人だ。
「……静かだな」
これからずっとこんな日が続くと思うと、胸の奥から折れ曲がった針金のような嫌悪感が噴出して、思わず胸を掻きむしる。見開いた目が乾いて痛くなり始めても、まばたきひとつ出来ない。
喉がぎゅうっと狭まって、ひりひりと痛む。
嫌だ、考えたくない、向き合いたくない。
頭を掻きむしったその時、扉の開く音がした。
部屋のじゃない。この音の重さ、玄関のだ。
考えるよりも先に足が動く。
そうして辿り着いた先では、熾仁がガチャンと玄関の扉を施錠していた。
視線がばちりと合うと、気だるげだった目がわずかに見開かれる。けれど、すぐに元に戻ってしまった。
「……なんだ、お前か」
靴を脱ぐその姿から、視線が外せない。まるで引力でも発生しているみたいだった。
「何をじろじろと見ている」
「……ぁ」
「まさか、出迎えに来たわけじゃないだろう?」
じとりとした視線に、心拍数が上がっていく。それは、恐怖の形に良く似ていた。
「ヒートまでは大人しくしていろ、必要なものは山城に言え。用意させる」
熾仁が俺の横を通る瞬間、咄嗟に「おい!」と声をかける。
どういうつもりで声をかけたのかは、俺自身にもよく分からない。本当につい、声をかけてしまったのだ。
無視されるかと思ったが、熾仁は意外にも気だるげにこちらを向いた。
「何だ。俺は忙しいんだ、お前と違って」
「俺だってこんなところに閉じ込められてなかったら忙しいわ!」
反射的に言い返すと、熾仁の目が鋭さを帯びる。
「俺とお前の忙しさを同列に語るな」
「はぁ?! 見下してんじゃねぇよファザコン野郎!」
「なんだと?」
瞬間、急激にピリ、と空気がひりつく。本能がまずい事を言ったのだ、何とかしろと伝えてくる。
だけど、ここで引き下がるのは気に食わない……!
「ファザコン野郎っつったんだよ! 親父の言いなりになって、人ひとりの人生平気で捻じ曲げようとしてんだから!」
「ふざけるな、撤回しろ」
剣呑な光を宿した赤い瞳を、真正面から睨み返す。
「嫌だ」
「撤回しろ」
「絶対嫌だ!」
熾仁の額に血管が浮き出る。
分かってる、こいつと敵対して状況が好転するわけないって。
だけど、どうしても口が止まらなかった。
「自分の人生にとって大事な選択さえ親父にしてもらうような奴なんか、ファザコン野郎で充分――」
「黙れ」
ぱしっ、と口を手で塞がれる。
てっきり手入れが行き届いていてすべすべだと思っていた手は、存外乾いて、荒れていた。
「何ひとつ知りもしないくせに、好き放題言われるのはいい加減不愉快だ。二度と俺の前で口を開くな」
傲慢な物言いにカチンと来て、再び熾仁の目を睨みつけてやろうと目に力を込めようとしたのに、逆に目を見開いてしまった。
熾仁が、なんだか傷付いたような顔をしていたからだ。
俺が何も言えなくなっている間に、熾仁は今度こそ玄関から去った。多分、向こうには熾仁の部屋があるんだろう。
「はぁー……」
リビングに来た俺は、感情のままに噛みついてしまった事を後悔しつつ、ちょっとだけすっきりもしていた。
昨日から好き放題されてたんだ、こっちからもちょっとぐらいやり返してもいいだろ。
とは、思いつつも。あの手負いの獣のような顔が、なんでだか忘れられずにいた。
「多分、Ωの性なんだろうなぁ」
熾仁と初めて会った時の、あの衝撃を思い返す。
初対面の男を、愛したい、愛されたいと思った。守り、癒したいと願ってしまった。
きっと、それの延長線上だ。
ピー、とレンジが温め完了の合図を出したので、温めていたものを取り出す。
今日の夕食はハンバーグだ。ソースまで手作りしたって言うんだから、山城さんは凄い。うちはいつも温めるだけのレトルト煮込みハンバーグばっかりだったから、ソースって手作り出来るんだとびっくりしてしまった。
さっそくテーブルに並べてひとくち。うん、美味しい。なんか店みたいな味がする。本当に店出せるんじゃないかあの人。
「……」
だけど、山城さんの料理の腕前は、これまで腐らせられていた。
熾仁が、食事を摂らないから。
「……なんでなんだろう」
効率を重視した結果だって山城さんは言ってたけど、本当にそれだけなんだろうか。
だって、食べるって事は、生きるって事だ。
それを極限まで削ぎ落して、歪な形にしてしまうのには、なんだか尋常じゃない理由があるように思えてならない。
「それ知ってどうするんだよって話だけどな……」
だって、どれもこれも、俺には関係のない話なんだから。




