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平和だ。実に平和。調所の大半の人がアメリカ目指してる。だから調所内に人がいない。つまり、呼ばれることがほとんどない。当然寂しさもあったけど、1週間もせずに慣れた。どうせ束の間の静けさ、無事みんなが帰って来れば騒がしくなる。それまでこの静寂を堪能しよう。惰眠を貪りたいくらいだ。
そんなことを考えてたら、内田様が珍しく横浜までやって来た。目的は愚痴。せっかく副所長の任が解かれてほっとしてた所で、勝様と箕作様がアメリカ行っちゃったから、俺や勝様が守旧派と呼ぶお偉いさんからのターゲットにされてる。始めは高圧的だったものが段々と懇願になって来てる。自分は本当に何にも関与してないし権限もないと伝えても、しつこく来られて迷惑なのと可哀想になって来た。ほとほと困ってる、と。
うーん、参った、どうしようかな。そっちに行ったか。確かに横浜と幕府への繋ぎを、勝様の代わりに内田様が担ってる。誤認されてもしょうがない状況。なんでか分からんが勝様が中間管理職的ストレスにやられてても、それが仕事だろ?って思うのに、内田様だと手助けできるところはしなきゃいかん、って思う。しょうがない。どうにか考えよう。
それならば、この前地名を聞いて思い出したことを利用するとしよう。生麦事件。生麦村で起きたからそのネーミングだったに違いない。現時点では起きてないけど、いつ起こるかも分からないけど、今後起きる可能性はある。どっかの藩の人が、どっかの国の人を切った。それくらいは覚えてる。むしろ、それくらいざっくりしたことしか思い出せない。でも生麦村って名前を聞いて、掘り起こされた記憶。
今や宿場町の規模をはるかに上回る規模で、独自の発展をしている港町横浜。東海道に面していることもあって通行量もある。この街にいる他国の人たちが、色んな目に晒されてる。気にはなっていた。物珍しさからの好奇の目ならば、それはしょうがない。日本は単一人種の国家だし。でも、話そうとも話す努力もせず、ただ「攘夷」の掛け声だけで切り掛かるなんて、ただのテロ。国際的に見ても、断罪されて然るべき。そんなこと起こって欲しくないが、可能性はある。うん、ここはまた踏み絵を踏まそう。
「内田様、次に誰かが来たら『あと一ヶ月待て。アメリカにほとんど行ってるため、ワガママに付き合いきれないが、仕方ないから対応する。だから、こちらから連絡するまで来るな。来たらそこはこれまでと対応を変えない』と告げて下さい。そうすれば多少の安寧は保たれるでしょ?こちらは色々と準備しますので」
「何か考えがあるのか?」
「正直なところ、無くはないってところですかね。ただ、どうやったらこちら側に利が大きくなるかを考える時間が欲しいのと、相談する時間が欲しいって感じです」
「そうか。オマエに任せる以上、ワシが言うのは」
「やり過ぎるな、でしょ?」
「分かってるなら良い。任せてすまんな」
ついでだから聞いちゃおう。
「ところで内田様、私の元服はなぜ取りやめになったのでしょうか?」
「なに?勝様から聞いてないのか?」
「はい。何も」
「勝様に説明するようお願いしたんだがな」
はい、勝様、もっとストレスフルな生活を送ってもらうこと決定。遠慮減らそう。
「元服前の今の状況はな、オマエの存在を眩ます便利な状態だ。対外的にまだオマエは誰にも仕えておらん。ただの小間使い。だからこそ、オマエを好きに使えるし、オマエも好きに動ける。そして何より、この状況を知らぬ人間が、元服前の半人前の仕業と聞き及んだとて誰も信用せん。一人前になっておらん、ではない。一人前にせんのだ。ワシは独り立ちさせるために慌てて元服させようとしたが、箕作殿からそう言われてな、慌てて取りやめたのだ。大体誰が信用する?数独の生みの親、佐久間を言い負かす、オランダ船を呼びつける、ペリーに一歩も引かない、知の宝庫とも言える洋書調所の影の支配者が実は一人の子供。誰も信じんぞ」
そっか、まだまだ守られてたのね。ありがたい。前言撤回。勝様には今までよりちょっとだけ頑張ってもらう、くらいにしておこう。
「では、案をまとめたら連絡せよ。それと杉殿からの言伝だ。偏差の考え方が分かった、と言っておった。ワシには何のことやら分からんが。では、江戸に戻るとするかな」
やっぱり。データを自分で作り出せたら統計って一気に腹落ちできる。概念だけだと理解できないけど。そして、データは武器になる。データは予測が可能になる。そうだ、勝様に統計を学んで貰おう。B/Sを身につけた勝様が統計を身に付けたら、きっと武器になる。
きっと勝様は幕府のB/Sを作ろうとしてんだろう。自力で。明治維新が成功した理由、幕府内の見解の不一致、制度疲労、幕府の赤字、弱腰外交、これらが原因で「尊王攘夷」の掛け声の熱狂に押し潰された。鎖国してたからこそ時間を止められてた。それを強引に開国させられた結果、止まってた時間分の情報と技術革新の波に押し潰された。「明治維新はテロ」という捻くれ者的見方をすると、そういう解釈も出来る。関わった人がどんどん増えて、守りたいものがどんどんと広がっていってる。立ち回り方を真剣に考える良い時間なのかもしれない。それを考えた上での、内田様への返事だな。




