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・ギア/ファイナル ■■■■■■■■■■■

 最終章(ギア/ファイナル) ■■■■■■■■■■■  








 怪異というのは偏った陰気の塊だ。


 例えば、千年妖狐。

 彼女の場合は、お稲荷様の祟りに触れた白狐の肉体を媒体にして、陰気がその魂に収束し強く結びついている存在だ。

 喜逸が六道輪廻・天道にて行った陰気の浄化は、本来不可逆であるはずの妖狐の偏った陰気すらをも完全に祓ってのけた。


 ……というものの、あの時の喜逸は『終焉の観測者』という『崩界』を発動していた。

 あれは、本来終わりのないものに終わりを付与するだけの『崩界』だ。

 ヒガナの魂に密接に絡みついた陰気もまたある意味では永遠不変の終わりなきもの。

 そこに喜逸は終わりを与え、天道の力で偏った陰気のみを清める事が出来たのだ。

 一時的に増加した陰気を祓った所で、暴走状態のヒガナはまた周囲から陰気を集めてしまう。

 陰気を喰らい無限膨張するヒガナ。

 その暴走の根本的な核であったヒガナ自身に宿る偏った陰気を除去できたからこそ、ヒガナの暴走を食い止めることが出来たという訳だ。


 偏った陰気を完全に祓われた今のヒガナは、怪異ではなくなっている。

 人語を介し、霊力を操る彼女は、喜逸の手によって仙狐と呼ばれる存在へ昇華していた。


 もしあの時、喜逸が『崩界』を発動していなかったらと思うとゾッとする。

 喜逸の天道の力で暴走するヒガナの陰気を強引に祓う事は可能だったかもしれないが、それはヒガナの魂を含めての消滅。

 つまりはヒガナという怪異を祓う事を意味する。


 少なくとも、こうして喜逸とヒガナが再び並んで歩くような未来はなかっただろう。


「なあ、きーつ」

「なんだよ」


 満天の星空の下、歩く隣にヒガナがいる。

 ただそれだけの事実に緩んでしまいそうになる頬を引き締めながら喜逸が答える。


 するとヒガナはくすりとおしとやかにほほ笑んで、楽しそうに少し先を歩き出す。

 月に伸びる二つの影法師が、楽しそうにリズムを刻む。


「……ふふ、なんでもない。呼んでみただけだ」

「……変なヒガナだ。いや、甘えん坊なのと泣き虫なのは昔からだったな」

「なんだよ、いいじゃないか少しくらい。こっちは五百年以上待たされたんだから」

「それを言われると死ぬほど胸が痛えんだが……マジで」


 口元を尖らせるヒガナの冗談が喜逸には笑えない。

 なにせ五百年ぶりに再会しておきながら何も覚えておらずいきなりヒガナに殴りかかり、その後も五百年待っていてくれた大切な人に散々暴言を吐いて暴言を吐いて暴言を吐いて……挙句命まで救われてと、それはもうヒガナのヒーローを首にされても文句が言えないくらいのダメダメっぷりだったのだから。


「仕方がないな。それじゃあ、きーつに名誉挽回の機会をあげよう」


 どこか得意げにない胸を張って、芝居がかった仕草でヒガナが言う。

 これは当分の間、彼女に頭があがりそうにないなと喜逸は苦笑しつつ、五百年前にもそうしたように、物語風の受け答えで彼女に応じた。


「……何なりとお申し付けください、姫」

「じゃあ、ぼくをおんぶして」


 楽しそうに笑うヒガナを背負って、喜逸は再び歩き出す。

 ……少し前にもこんな事があった気がする。あの時と同じで、背中におぶったヒガナはあまりに軽く儚げて、風に吹かれてどこかに飛んでいってしまうのではないかと心配になる。


「ねえ、きーつ。ぼくをおぶってドキドキしてる?」

「狐の耳には心臓の鼓動も聞こえるんじゃなかったのか?」

「分かってないな、きーつの口から聞きたいんじゃないか」

「……あー、とってもすごくドキドキ胸がときめいております。……これで満足か?」


 茶化して敗北を宣言すると、その態度がお気に召さなかったのかヒガナはぎゅっと背中に抱き着く力を強めると、喜逸の頬に頬を擦り付けて、


「ふぅん、きーつはぼくみたいな幼児体系の小さな女の子に興奮する変態なのかぁ」

「……おい、俺にどうしろって言うんだ、お前は」

「ん、そのまんまの意味だけど? ぼくに興奮して欲しいんだよ」


 さらに密着する力を強めてくるヒガナ。

 着物越しに僅かな膨らみの感触を感じ、喜逸の腰回りに彼女の尻尾がしゅるりと絡みついてくる。


「……分かった、本当に全面的に降参するから勘弁してくれ……参った、俺の負けだ」

「ドキドキしてる?」

「してます、めっちゃ。だからもう許してくれ本当に頼む」

「うむ、素直で大変よろしいぞ、きーつ」


 喜逸の顔が真っ赤になっている事を確認したヒガナは満足げに笑って、大人しく元の位置に戻っていく。 

 内心、心臓飛び出るかと思っていた喜逸はホっと安堵の息を吐き出した。

 火照った顔に夏の夜風では生温い。今すぐ川にでも飛び込みたい気分だった。

 

 それからしばらくの間、二人は川のせせらぎに身を委ね歩いていた。

 そうして幾らか時間が経って、喜逸が星夜に言葉を忘れてしまった頃、ヒガナが口を開く。


「なあ、きーつ……」


 真剣でいて、どこか沈んだヒガナの憂い声。

 喜逸の背中の温もりに触れながら、ヒガナがそれをいつ切り出そうかずっと悩んでいた事に喜逸は気づいていた。

 だから、いつもの調子で先を促す。


「ぼくは妖狐ではなくなった。けれど、仙狐だって不死身ではないにしろ長命だ。なあ、きーつ。ぼくは……きみがいなくなったら、……また独りぼっちになってしまうんだろうか」


 何もかもがうまくいったように思える結末を迎えてなお、その問題だけは解決しなかった。

 ヒガナは孤独になることを恐れている。

 それは、千年という長い時間をかけてヒガナにかけられた呪いであり、出会いと幸福を与えた喜逸が掛けた呪いでもある。

 喜逸と出会いヒガナは孤独の恐怖をより鮮明に知った。

 だからと言って、あの出会いがなければ良かったとは喜逸は思わないし、ヒガナだってそれは同じだと信じている。


 それでも、どうにもならない感情はある。

 今が幸せだからこそ、それを失った時の事を想うと恐ろしくて堪らなくなる。

 そんなヒガナの気持ちも、痛い程によく分かるから。


「……俺の魂がもう保たないってのは、極夜の野郎が言った事だ。話半分に聞いとけばいい。でも……多分俺は、お前より長くこの世界にはいられないんだと思う」


 永久人も真に永遠の存在である訳ではない。

 どれだけ手入れをしても『永魂体』は劣化するし、『永魂体』に縛り付けた『魂』の方が壊れない保証もない。


 とりあえず、五百年は何とかなるというのが、現在進行形で確認されているだけだ。

 この先も『魂』が壊れて狂わない保証はどこにもない。なにせ自分達以外の前例がないのだから。


 だからこそ『永魂体』のストックを多量に持つ貴族がいるのだし、魂の強度を高めると言われている人食が貴族の間で流行しているのだ。

 命を持たない筈の彼らは、いつ訪れるか分からない自身の喪失を常に恐れている。


 ましてや世界で唯一無二の機械仕掛けの永久人である斑輝喜逸の魂がいつまで保つのかなんて、それこそ誰にも分からないだろう。


「でもな、ヒガナ。お前が持ってる孤独への恐怖は、なにもお前だけの特別なモンじゃねえんだ。生きている限り、誰もが取り残される恐怖を持ってるし、取り残しちまう恐怖を持ってる。当たり前のことなんだよ、終わりがあるっていうのは」


 喜逸は終わりを知っている。取り残す恐怖を知っている。


 幼い頃から身体が弱く、長く生きられないと言われていた喜逸は、常に己の死を隣り合わせにして生きてきた。

 明日には自分はもうこの世界にいられないかも知れない。

 そう思うと、怖くて眠れない夜だってあった。泣きじゃくり目覚める朝もあった。食事が喉を通らない日も沢山あった。

 けれど、ある時ふと思ったのだ。


 寿命は誰にだってある。

 いつかは皆、死に追いつかれる。それでも誰も喜逸のように騒がないのはなぜなのだろう。

 明日には車に轢かれて死んでしまうかもしれないのに、明後日には運悪く強盗にあって殺されてしまうかもしれないのに、どうして平気で生きていけるのだろう。


 簡単な話だった。誰もが皆、頭では理解していても自分がいつか終わる存在であるなどと、欠片も理解していないのだ。


 ……自分がいつか終わる事を知る喜逸は、もしかすると幸運なのかもしれない。

 だって、誰もが当たり前のように享受している何気ない日々の一幕が、二度と取り返しのつかない尊く大切なものである事を、斑輝喜逸は知っているのだから。


 ……終わりがある。だから愛せるものがある。


 ――いいや。この世の全てはいつか終わるが故に愛するのだと。


「俺はいつか終わるこの旅を愛してる。いつか終わるお前との時間を愛してる。いつか終わるからこそ、愛せるんだ。無限に続くものなんて道端の石ころと変わらねぇ。端からなくならないと分かっているものに、執着するなんざ不可能だ。ヒガナ、お前はどうだ? お前は今を、いつなくなるか分からないこの瞬間を、愛してくれるか?」

「それでも……それでも永遠が欲しいと願ってしまうのは、ぼくの我儘なんだろうか」


 ヒガナとて本当は分かっているのだろう。

 終わらないものに価値なんてない。

 だからこそ、彼女は終わる事を恐れて永遠が欲しい願うのだから。

 ヒガナは今を愛している。その愛が強すぎたが為に、彼女を襲う恐怖もまた人一倍に大きかったのだ。


「ならさ、ちょっと俺に付き合ってみねえか?」

「え?」

「俺は永久人だ。だが同時に、魂葬者でもある。だから、俺は探さなきゃならない、自分を終わらせるに相応しい終わりを」

「……きーつ? それって、一体……」

「独りぼっちで生きるのが嫌だって言うなら、俺がお前の終わりになってやる。……ああ、今すぐ殺しあうとかそういう訳じゃねえから勘違いすんなよ。ただ、俺が言いたかったのは俺達に相応しい終わりってのが、きっとこの世界のどこかにあると思うんだって事で――」

「――ひゃあ! きーつ!?」


 そこまで言って喜逸は己の言葉の纏まらなさにガシガシと頭を掻きむしると、背中のヒガの脇に両手を通しその矮躯を抱え直して自分の前へと降ろす。

 そうして、少しはにかむように笑ってきょとんとしているヒガナに手を差し伸べて。


「二人で終わりを探す旅に出ねえか? 終わらない終わりを終わらせる、そんな旅に」

「終わりを探す、終わりの旅……」

「ああ、そうだ。いつまで掛るかも分からねえが、少なくともゴールは必ずどこかにある。これならほら、いつか言った通り、俺達はずっと一緒だ。そうだろ?」

「……ああ、確かにそれは楽しそうだ。きっと毎日一緒に遊べるなっ、きーつ……!」


 弾けた涙が月明かりに煌めいて、微笑む少女は星明りのように美しい。


 七月十九日。

 七夕の日に出会い、およそ二週間の軌跡を経て五百年ぶりの約束の再会を果たした少年と少女は、また新たな約束を胸に、満天の星空の下、旅立ちの一歩を踏みしめる。


 繋いだ手は離さずに、歩幅を合わせて、歌うように精いっぱいの生を奏でる彼らはしかし――真っ当な生命ではない。


 片や、千年の時を生き、千年妖狐と恐れられた怪異の主が転じて、仙狐となった狐の少女。


 片や、数多の永久人を屠る魂葬者にして、機械仕掛けの永久人である生き人形の少年。


 そんな終わらない二人は、己の人生という物語に相応しき終わりを求める旅に出るのだ――







 ――終わりのない(Endless)物語の終幕( End Roll)、その終わりを求めて。









☆ ☆ ☆ ☆




 最終章(ギア/ファイナル) ■■■■■■■■■■■   



 最終章(ギア/ファイナル) 終わりのない物語の終幕  




☆ ☆ ☆ ☆



「……ところで、いつまで付いてくる気だよ、お前」


 手を繋いだまま数メートル後方に呆れたような声を飛ばすと、呑気な笑い声が返ってくる。


「はっはっは、これまたおかしな質問をなさる喜逸殿だ。ボロボロに朽ち果てた身体を修理して差し上げたのが誰であるか忘れてしまったご様子」

「あー、覚えてる覚えてる。ちなみが全部色々と指示してくれて、ヒガナともう一人名前も忘れたどっかのモブがやってくれたんだったっけ? ……それで、いつまで付いてくる気だよ」

「そんなの決まっておりまする、拙僧との約束、忘れたとは言わせませぬぞ、喜逸殿。貴殿と滾る拳をぶつけ合い、拙僧が心の底から満足するまでに決まっておりましょうぞ」


 ……どうやらしばらくの間、旅の道連れが増えそうだ。


 喜逸は頭を抱え、ヒガナは二人のやり取りにおかしそうに笑っていた。


 まあ旅は長い。

 たまにはこんな喧しい道中だって、悪くはないだろう。


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