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継承の獣


 人と狼が共存するこの里が、牙守(きばもり)の里と呼ばれるようになったのは、旅人が訪れてから2年ほど経った頃だった。その頃には、里も相応に復興していた。大工として技術を学んだ子供が青年となり戻ってきて、秋穂も本格的に巫女としての修行として、白銀と共に山に入る事が多くなり、明確な成長を見せていた。

 

「では秋穂、土地神の仕事がなんであるか、おさらいだ。」


 山の中をゆっくりと先導して歩く白銀は、チラリと秋穂に振り返る。彼女は既に質素でボロボロだった衣服ではなく、村の収益で買った白衣に鮮やかな赤の平袴の巫女装束でいた。背も伸びいくらか幼さの残る顔立ちだが、健全に歳を重ねられている様子だった。

 山を登るには不相応な格好にも関わらず、彼女は慣れた様子で山道を登るのは、修行を始めてからの毎日の日課としてこの山登りをしていたからである。


「はい。土地の外部からの脅威の排除や、龍気の滞りを見つけて治す事。ですね?」


 白銀は「その通り」と答え、また改めて前を向いて歩みを進める。


「龍気などと言う呼び方は、西の都の人間共が名付けたものだが、しかし収まりが思いの外良い…。滞れば淀み、濁り腐ってしまう。コレを『穢れ』とも、人間は呼んでいたな。」


 秋穂は真剣な表情で白銀の言葉を聞き入る。

 

「穢れが溜まれば、それは呪いのように土地に広がる。まるで病のようなものだな。」


 ゴクリと、秋穂は生唾を飲み込んだ。やがて、二人は山の中腹のとある場所に足を止める。ソコには、沼があった。水草と落ち葉に覆われた水面は、ともすれば地面と勘違いして落ちてしまいそうになる。


「秋穂、見えるか?」


 白銀の問い掛けに、彼女はコクリと頷き確りと答える。


「はい。沼の対岸側に黒い靄が渦を巻いて噴き出しています。」


 それは、まるで火事の煙のようであった。

 黒煙が沼の内から沸き立ち、渦を巻くような動きで回っていた。まだ規模こそ小さいが、間違いなくそれこそが穢れであった。

 自然な現象ではあるのだが、それをみていると不安感が胸中の奥より湧き上がる。秋穂は、本能的な忌避感が抑えられないでいた。

 巫女の修行を始めて、最近漸くこういった物質的でない物を感じたり見えたりするようになった。それ故に目の当たりにした時の耐性はまだ不足していたのだ。思わず、半歩自然に後退ってしまったのも当然の反応だろう。だが、そんな彼女の背中をフワリと白いモコモコが支える。白銀の尾があったのだ。


「怖じけるな。穢れはそう言った心根を呼び起こす。」


 すっ、と白銀は秋穂を置いて沼へと歩みを進める。だが、その足が水面に沈む事はなく事も無さげに水面を歩んでいく。その足元から、周囲の木々から、空気から淡い緑色の光が白銀に集まっていく。

 昔、畑に実りを授けた時と同じ輝きが、ゆっくりと白銀を包み込む。その光は温かくて、心地良くて、秋穂の不安や忌避感を洗い流した。光は溢れ沼や森の中、黒煙を巻き込み希釈して流れ溶けていく。

 秋穂は無意識に自然と「綺麗……」と口に溢していた。


「呆けてる暇はないぞ、龍気の修繕を行う。」


 言うが早く、白銀は一つ大きな雄叫びを上げた。それに呼応するように、秋穂も祝詞を唱え始める。

 龍気とはそもそも何であるか、それは白銀すら正しく理解出来てはいない。しかし、土地を流れる何か大きな脈。その脈から溢れる気が大地に染み渡り生命に力を与え、滞れば腐り濁り穢れるもの。それが龍気と呼ばれている。


「龍気はとても繊細でな、下手に弄ると取り返しがつかない事になる。」


 フワリと秋穂の周囲にも淡い緑色の光が集まる。これこそが龍気であり、白銀が先ほど、穢れを払ったのも畑の実りを溢れさせたのも龍気の力だ。

 土地神とは即ち龍気を操り、管理するのが役目となる。今回のような穢れの対応は、その最たるものだ。白銀が秋穂を付けずに一柱で対応していた時は、丸一日掛かったが今ならば。


「そうだ上手いぞ。焦らず丁寧に編んでいけ。」


 秋穂が祝詞を上げ続けると、彼女を包む龍気が細く長く白銀に伸びていく。

 今彼女は中継地点を担おうとしている。今回処置して途切れてしまった龍気の道を、新しい龍気に繋げる必要があるのだが、龍気を引っ張り伸ばせば良いという事ではない。少しずつ、少しずつ溜まってくる龍気を編んで安定させて運ぶという作業必要になる。でなければ、龍気は飛び散る、それが新たな穢れになってしまう事があるからだ。

 白銀は、この編むという作業が苦手だった。故に時間が掛かっていたが秋穂はこれがとても上手い。

 十分な太さと強度の龍気の通り道を編めたのを確認すると、白銀は地を駆け出す。木々の間を縫って流星もかくありやと山肌を駆け上がり、目星をつけていた新しい龍気の道への繋ぐ。

 渦巻き光る緑色光の帯はすぅーっと、地面に沈んでいく。その瞬間、山全体がフワリと輝いたような錯覚を感じた。山の滞っていた脈が繋がった証左がこれだ。


「やはり、格段に早く済むな。」


 白銀は呟き、秋穂の元へと駆け戻る。今日の仕事はまた一段と良く出来ていたなと振り返る、ならば褒めてやらねばなと、彼はふふと笑った。


「お、狼の戻ったか。」


 が、そんな彼を出迎えたのは、秋穂だけではなかった。ソコにいたのは珍しい白猿。その赤い瞳で白銀を認めると、気さくに挨拶をしていた。


「き、北の御仁!!」


 白銀は直ぐ様その正体に気が付いた。以前、白蛇の姿で、白銀に人里と共にある道を選ぶ選択を後押しした、一帯の土地神の元締め。北の御仁の別の化身である。


「え、えと……白銀様…こちらの方は?」


 秋穂がいまだ上手く状況を理解できずに困惑気味に質問をするが、白銀が答える前にその背に、白猿が飛び乗り遮った。


「狼の、めんこい巫女を従えたのぉ。それに、……ふむ。名を伝えているのか。…………さて、巫女殿。儂はここより幾つかの山を抜けた、北の土地を治める土地神じゃ。皆は儂を北の御仁なぞと呼んでおる。」


 朗らかに、白猿が自己紹介する。それに秋穂も、


「は、はじめまして!白銀様の巫女をさせて頂き、牙守の里の代表も務めています。秋穂と申します!!」


 深々と頭を下げて自己紹介をしてみせた。その様子に北の御仁は、「そんなに固くなるな」と笑って見せた。

 だが、白銀は少し秋穂に目を向けると


「本来なら、修行中の巫女が立ち会えるお方ではない、ましてや先に名乗らせるなど……。土地神によっては不敬と、災禍を向けられかねんぞ?」


 その言葉に、秋穂は顔を青くして直ぐ様北の御仁に謝罪をするが、北の御仁はむしろ白銀の額をペチペチと叩き、


「これ狼の!おいそれと名を明かす事の危険性は貴様は知っておろう?秋穂が儂に名を明かさなんだのは、必要な自衛じゃろうが。」


 と何とも和やかな絵面を展開する。普段はあまり見れない白銀の新しい一面に秋穂は困惑する。


「そ、それで北の御仁……今日はどうされたのですか?」


 頭をペチペチされながら、白銀が訪ねる。すると北の御仁も「ふむ」と手を止めて、暫し考える様子を見せる。

 沈黙はどれ程だったか、一拍にも満たない時間だったが、秋穂目の前に土地神がニ柱も居るという緊張からとても長い沈黙に感じていた。


「儂はもう朽ちる。次の土地神の元締めを決めねばならない。」


 真面目な口調で告げられた言葉に、秋穂も白銀でさえ鳩が豆鉄砲を食らったような表情で固まってしまった。







 それからすぐ、里に一言伝えて白銀は白猿の北の御仁と、秋穂を背に乗せて山を駆けた。とんでもなく早い足取りで野山を駆け、人の足ならば3日かかる距離を数刻で駆け抜けたのだ。

 そうしてたどり着いた大森林地帯。正に樹海を前にして、その足を漸く止めた。。


「あそこに大穴があるじゃろ?」


 北の御仁が樹海の奥の方で、木々の切れ目が見える場所を指差す。ソコに、本物の北の御仁がいるのだと語っていた。


「時間のありそうな土地神には声をかけていてな、既にそれなりに集まっておる。」


 ならば急ごうと、白銀はまた秋穂と白猿を背に乗せて樹海へと足を踏み入れる。慣れない道と太く大きな根が張っている為に、比較的ゆっくりと走る。


「あ、あの白銀様……。私は、今は何とお呼びするべきでしょうか。」


 名とは、魂に刻まれた印である。

 先ほど、おいそれと名乗るべきではないという北の御仁が言っていたのも、そこに理由がある。秋穂も道中に北の御仁や白銀から教えられていた。

 (まじな)いにおいて、名前をを知るというのは大きな意味があるのだ。それが土地神に知られるとなると、大きく意味が変わる。土地神は、龍気を操り干渉できる為にその呪いもまた神の御業と等しくなる。白銀が畑を一瞬で回復させたような事の反対の事すら、土地神ならば行える。故に名は伏せるべきで、彼女は白銀を何と呼ぶべきかを尋ねたのだ。


「…………狼と呼べばよい。敬称を付けたくば、狼様で良い。お前も牙守の巫女を名乗れ。」


 彼女は「はい、狼様」と短く答える。日が傾き始める頃まで歩みを進めると漸く大穴の縁に辿り着く。


「本来なら、洞穴を通るのじゃが、狼のこのまま降りれるな?」


「ええ。」


 白猿の言葉に即答する白銀に、秋穂が一番困惑する。彼女は「え?え?」と恐怖に顔を引き攣らせていたが、白銀はお構いなしに飛び降りる。


「…………ッッッ!!」


 秋穂は声にならない悲鳴を上げるが、直ぐに落ちているというのに内臓がひっくり返るような違和感を感じない事に気が付いて、目を開ける。

 すると、周りを龍気が包み、まるで雲の上に乗って降りているような感覚になる。


「こ、こんな事も出来るんですね!」


「まぁ、余り使わない術ではあるがな。今度教えてやろう。」


 秋穂は「はい!お願いします」と答え、改めて辺りを見渡す。

 大きな縦穴に幾つもの横穴が空いていて、そして縦穴の中央には巨大で立派だったであろう枯れ木が聳えていた。落雷にでも合ったのか、かなりの部分が焼失しており、恐らく全盛の頃はこの縦穴の上まで枝を伸ばしていたのではないかという大きさだ。

 その樹の根元には大きな猪と、綺麗な白兎。立派な角を持つ鹿。そして虎がソコにいた。更に、彼等の側には北の御仁の化身である白い動物達、蛇、トカゲ、リス、ネズミもいた。


「オイオイオイオイ、なんで人間が居るんだぁ!?」


 そう声を荒げたのは、鹿の土地神であった。白銀の背に乗る秋穂を睨みつける。

 土地神からの敵意の籠もった眼差しに、彼女は思わずビクリと肩を震わす。


「拙の巫女である。北の御仁が共に来いと仰せだったのでな。」


「……はぁん、となるとアンタが噂の人里に降りた狼の土地神か。鳥共が噂してたぞ、人間を依怙贔屓する土地神の風上にも置けない奴だってな!」


「辞めんか、鹿の……。若いとは言え、土地を代表する土地神として相応しい言動を意識しろ。」


 挑発するような鹿の言動を阻んだのは、猪の土地神であった。しかし、彼もまた鹿を制しはしたが、秋穂を見るその瞳に嫌悪の色が滲んでいた。


「狼の、お初にお目にかかる。儂はこの地より東、山や平原を幾つも越えた先にある海沿いの土地を守る者だ。こっちの鹿のは、つい4日ほど前に土地神を受け継いだばかりでな、経緯も少々特殊で気が立っている。無礼を変わりに謝罪したい。」


 白銀はなるほどと合点がいった。

 鳥どもの噂を、白銀も耳にしたのだ。

 東側の土地で、人と人の大きな争いがあり、その土地の土地神を巻き込み多くの生命が失われた。龍気もグチャグチャとなり、復興にはかなりの時間を要するだろうと。そして急遽土地神の役を担うことになった。

 その重責、人への恨みは推して測るには余りある。


「気にしなくて良い猪の。そして鹿の、貴君の苦悩は察するには余りあるが、コレも拙の従者である。余り虐めてくれるな。」


 鹿の胸中に渦巻くのは、拭いきれない怒り、そして土地神として矜持。猪に恥をかかせる訳にはいかないという子心もあるのだろう。


「…………娘、済まなかった。」


 それは、噛みしめるような絞り出すような声だった。

 他の土地神達は多くを語らず、その鹿の行動を黙して見守っていた。若く、修行が不十分だったにも関わらず必死に責務を果たそうとする彼の姿に思うところがあったのだろう。その瞳はどこか優しかった。


「「「「「さて、では本題に入ろうか。」」」」」


 と、北の御仁の化身達が集まり一斉の声を上げる。

 そうだ、ただ多忙な土地神を集めた訳では無い。北の御仁の後継を決めるのだ

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