01:発芽
「あーはいはいもういいってば、その話は本当にさぁ」
人は恋をすると狂う。
あんなに内気で人との関わりを苦手としていた一匹狼のような、私の双子の兄、智隼は、何度もしつこいぐらい自称”運命の出会いの経験者”になってから、孤高の狼どころか愛される事を知ったボンボンの家で飼われてるチワワのように、情けないナヨナヨ男になってしまった。思考回路も幼児なのか?ってぐらい、兄の言葉遣いやら表情やら身体の動きやらがフワフワしていて、彼の人間性は一変してしまっていた。
黄金期の美大生時代の兄は、まさに"天才で逸材"だとその界隈やSNSでも話題だった。淀んだ鈍色の空と泥水みたいな海を描いてばかりで、キャンバスに乗っている絵の具は黒か白かその間の色しか見たことがない。そんなような、見ていても描いていても楽しくなさそうな作品ばかり発表していて、性格は陰気で尖っていて偏屈なやつだったのに、そんな兄はすっかり今では出来上がってしまっていて、花屋で奥さんに選んだ花を握りしめながら「今日は曇り一つない澄んだ青い空だねぇ」なんてニヤニヤしながら言っている。自らの意思で下を向き、社会に反発しながら道を歩いていた兄が、気持ち悪い顔して空を見上げて『良い天気だぁ』なんてほざいてやがる。
「お兄の馴れ初め話、結婚式でも散々ビデオで見たし、まじで聞き飽きてんだってこっちは」
「いいじゃんかぁ〜、ずっとコンクールの提出に切羽詰まって解放されて、やっと羽伸ばせるんだから惚気話させてくれてもいいだろ?俺、友達いないんだから"びぃ"ぐらいにしか話せないんだって」
「私じゃなくて桃音さんに惚気れば!?ここで私に自慢したってなんにもならないでしょ」
「だってずっとさ、俺の、彼女の……じゃなかった」
この彼女…の『…』の間のニヤケ顔が鳥肌が暴れるほど気持ち悪い
「俺の"嫁"の事を考えていたいし嫁の話を誰かに聞いてほしいの!新婚の初年度なんて1年しかないんだよ?」
「当たり前」と堪らずツッコミを入れて、まんまと兄の策略に嵌った気がして後悔した。
「びぃも早くそういう人を見つけて、母さんと父さんを安心させてあげなくちゃ……」
話がそういう方向になってきた辺りで「はぁ〜……」とうんざりした大きな溜息をつく。
「まじうるさ!きも!!はよ帰れクソお兄!なんでお前みたいなウザいヤツと私は同時に生まれちゃったんだろ!人生の汚点かも!!」
「桃音に出会う前の俺もさ……、確かに今のびぃみたいに世の常の波にひたすらに逆行しようと生きてたからわかる。だからいずれ、びぃも」
「もうランチタイム終わるから!!私次の案件の計画で忙しいの!!はよ帰れキモお兄!!つきまといストーカー犯罪者予備軍!」
「……いやいや結婚してるし、そしてびぃの実兄なのだから俺はストーカーじゃないんだけど?ねぇ?」
ーーーー
私思うんだけどさ、飲み会ってそんなこまめにやる必要あるかな?でも行かないと、付き合い悪いやつとか思われるの嫌だから結局行くしかないんだけどさ。とにかく今の案件の諸々が無事に終わってから一気にみんなで打ち上げでもやるとかで良くない?でも、まぁ、仕事終わりのハイボールは確かに美味いんだけども。
「なぁなぁお昼頃さ、大峡さん、男の人とロフト居ったよね?」
「……ロフトってモディの中の?」
「そぉそぉ、さっき俺もそこに居ててん、本屋にフラワーアレンジの資料買いに行ってたから、ランチの時」
「………えっ、いたんですか」
ゆったりとした動きと話し方で、彼は何を飲んでるかよくわからないが、その飲み物はピンク色の炭酸を片手に、居酒屋のテーブルの斜向かい側で、身体ごとこちらに向けて私に話しかけてきた。多分、ピーチサワーかな。
全身黒ファッションで、背も体格もデカい関西弁の男は三基 茉麻、通称・三基先輩。ってそのままなんだけど。
彼と私は同じプロデュースチームに属していて、だけどその割には初めて三基先輩の方から世間話を持ちかけられた気がする。ちょっと気まずい。
「彼氏ぃ……?なんか、すごい仲良さそぉやったよな」
「どこをどう見たらそうなるんがですか!?双子の兄です!」
「双子なんや!似てへんけど、二卵性?」
「そうです、私としては、キモい兄と似てなくてよかったです」
「きもい?なんでぇどこがぁ?イケメンやったよ、美大通ってそうなトッキュウ1号の俳優の子みたいな雰囲気やな思たけど」
「とっきゅ……え?美大出身なのは、正解ですけど」
先輩は、伏し目がちに机上のジョッキに目線をやりながら喋ってる。私と全然目が合わない。そっちから話しかけといて先輩も私と話すのが気まずいのか。なら、私なんかに最初から関わらないでよ。なんて事を思う。
「あー、知らん?あのぉー、らいとくんの俳優の子……ごめん名前出てこぉへんくて、トッキュウジャーの子に似てるって事しか言われへんわ」
トッキュウジャー?知らないし見てないし……。いやめちゃくちゃどうでもよくない?
「いやーごめんごめんこいつウザいよねー!茉麻って特撮ヲタクだからさ!トッキュウジャーとか言われてもフツーわかんないよねー!」
私が困ったような態度を見て察したのか、横から、中身の入ったジョッキを持ったまま茉麻先輩の肩に腕を回したおちゃらけ気味の男、髙槻先輩が会話に参加してきた
彼は髙槻先輩……わかりやすく言えばチームのムードメーカーみたいな、チーム内の人望も厚いけど、正直、熱血っぽいテンションが私は苦手だ……。
「いやいや、ちゃうねん俺ライダー派やしほんまは」
「あーはいはいわかったわかったもう特撮はいいから!大峡さんドンッ引いちゃってるからもうやめよ!」
髙槻先輩に嗜まれる茉麻先輩の頬が火照っていて赤くなっている事に今更気づいた。見るからに酔っているようだった。そんな姿に、ちょっとかわいいのかななんて思ってしまった。まぁ、茉麻先輩は口数の少ないクールな人だけど、目鼻立ちが整ってるし、イケメンだな、と思う。
「えー!茉麻先輩と響季ちゃんが一緒に飲んでるー!私も混ぜてよー!」
「私も私も〜!」
同僚の女子ら、ちゃっかりしてんなー……。イケメンな分、女子人気もすごい、って感じよね、そりゃそうか。「ちょっとー!?俺もー!この髙槻禎春もいますけどー!」なんて高槻先輩が慌ててノリに合わせてきたが。……このウェーイなチャラい雰囲気がめんどくさいのよ、だから飲み会って嫌い。もうさっさと理由つけて帰ろう……、明日13時から麻生の宅で打ち合わせがあるし。
「すみません、明日打ち合わせ早いので、私今日はこれで……」
あくまで申し訳なさそうな体で、近くのテーブルの人達に平謝りをする。
「そっかー響希ちゃん今、益見さんのアザリアの案件のとこなんだっけー」
「お疲れお疲れー!」
「そうなんですよー、お疲れ様です、お先失礼しますね」
居酒屋の座敷から降りて、靴箱から自分のヒールを探す。
会社のみんなで仕事終わりにここに来たから、女性陣はみんなヒールなのよね。
居酒屋って暗いし、どれが私のなのかわからんわ……最悪だ。スマホのライトを立ち上げて、キョロキョロと辺りを照らししばらくしたところで、やっとこさ自分のヒールとの再会を果たせた。うん、町田のABCマートで買ったよくわからんどっかのブランドの3000円のヒール、間違いなく私のだ。
「大峡さん」
通路でヒールを履き直してるところ、ジョッキをもったままの長身の大き目の図体した影がぬぅっと私の頭上を覆った。しゃがれた感じの、混雑多の低音の声で名前を呼ばれた。さっきも聞いたばかりのその声の主は茉麻先輩だった。
「大峡さんってもっとふわふわしとる子なんかな思てたわ」
「……え?はい?」これから帰ろうとしている所に意味のわからない事を言われる。「すみません、なんか期待はずれで」
それわざわざ言いに来たの?これは嫌味?この人いつも何考えてるのかわかんなくて怖いんだよな……。
「んーん」
茉麻先輩、ハイボールのジョッキ握りしめてほろ酔いなのか、フヘッと笑って首を横に振った
「いあぁ、なんか意外やなぁって思ってん。今日、乗り気ちゃうかったけど、飲み会来て良かったなって、ええ収穫。話せて嬉しかったわ。邪魔されちゃったから、大峡さんにそう言いたかってん」
「え?」
「お疲れ様、ほなまたね」
それだけ言って彼は座敷に戻っていった
「お疲れ様です……?」
結局私に何が言いたかったんだ?あの人は。




